こんにちは。

今回は、わしが参加している、「真の聖書福音と預言」の管理人であるミカエル氏が監督する「神のイスラエル教会」についてキリスト者として励む中で得られたことを記します。聖書に則って「教会=キリスト者の集まり(≠宗教信者の集まり)」ということを頭に入れており、怪しいことは一つもしておらず、地上の諸教会のようではなく純粋に主イエス・キリストに従って声掛け、情報共有、励まし合いや聖書の学び合い等をしてることを含めてお知らせします。聖書に触れ、新たにもっと深く学ぶ環境や同じ信仰を共にする人たちとの励まし合いをする場所を探している人などにとって何か参考になればと思います。

 

得られたこと 感じていること

他にもありますが、大きく項目は以下の通りです

  • 自主性、努力の重要性
  • 当たり前のことを当たり前にすること
  • 信仰の兄弟の間での聖書の学びにおける 新たな気づきや発見
  • 自分の問題点への的確な指摘や助言
  • 自身を客観視すること

 

自主性、努力の重要性

例えば教会での学び合いや自身の活動において、過去に自分があまり自主性をもって行わなかった事柄については結果も伴わず今思えばむなしいことばかりだったし、努力せずに何とかなるといった怠惰からくる謎の楽観的思考は間違いだと以前気づくことができました。ミカエルさんがご自身でこれまでにしてきた努力の成果を現在様々な面で発揮しておられるのを、我々が間近で見られるからです。相談も丁寧に乗ってもらえるし、神に依拠しながらも自身で努力をするからこそその相談も甲斐のあるものとなります。

 

当たり前のことを当たり前にすること

ミカエルさんはブログのコメント欄でも投稿時は挨拶の言葉を徹底するように仰いますが、確かにネット上でやたら威張るような人や相手の事情を気にかけずに自分の主張や質問を投げる人がおり、あるいは質問して返してもらっても礼の一言すらなかったり返答が気に入らずに反発・逆ギレしたりする者も色々なところで見かけたこともあります。交流する上での最低限の礼儀等については繋ぎの場である兄弟の集いの場の時点で教わるのですが、今時丁寧に人として当たり前になすべきことを教えてくれる機会ってそうないと思います。それだけ多くの人が、基本的なことすらあまりにできてなさすぎる故かもしれませんが…。こがな礼儀のことも含め、人間として当たり前のことを抜かりなく実行することによっても自然に他者への思いやりみたいな気持ちも形成されていくのかなと感じます。また、福音伝道も主イエスからの命令として当たり前にすべきことだと学べたし、当たり前のことをせん方が異常であるという認識になれました。

 

信仰の兄弟の間での聖書の学びにおける 新たな気づきや発見

公開されている教会についての要項等に書かれてるとおり、教会に入る前に聖書を複数回読み通してそれなりのきちんとした理解をした後にその聖書理解を確認する入会試験があるため、教会員は既にある程度の聖書の知識を身につけており、熱心な学びを求めています。したがって、聖書について何となくてきとうに受動的に学習するといったことは求められておらず、一人一人が真剣に自分の意見や考えを練るので他の教会員からの自分とは違う視点から見た考えを聞くことができ、良い学びになることが多いです。「なるほど、こがな見方もあるか」といった新たな発見があるのはありがたいことです。重要なのは、決して受動的ではなく教会員皆が積極的に学びに参加することです。それによってより理解や吸収も早くなると実感してます。学校の勉強でも、いやいやで仕方なく受け身の姿勢で勉強した内容と好きで自発的に勉強した内容では圧倒的に後者の方がはるかに自身の頭に入りやすかったと思ってますが、聖書の学習においてもまさにそがーな感じです。また、自分一人ではなく同じ信仰を持つ仲間と学びをすることで意欲の向上にも繋がっております。

もちろん、ミカエルさんからの解釈や考えも教えていただける機会がありまして、自分自身に未熟な部分がまだ残ってるゆえにおかしな過ちや以前頂いちょった学びを活かせてない箇所があったりすることもありますが、しっかり自分で取り組んだ学習において新たに学びがあった時の達成感は大きいです。こがなことを通しても、掟にもある兄弟愛や兄弟との交流の重要性が実感でき、実に「一人でも信仰は保てるわー」という根拠なき自信からくる思い上がりも打ち砕かれます

 

自分の問題点への的確な指摘や助言

ミカエルさんから戒めや注意喚起、励まし等を頂くことも多くあり、自分の足りないところを省みたり自分が今後どう改めて成長していくかを考えたりするきっかけになっています。もちろん戒めとかをもらって上記のような機会を得られること自体大変ありがたいのですが、わしが感じるのは、その戒めや注意や助言の一つ一つが、自分を振り返ったうえでまさに現段階で必要なものごとであるということです。わしは、その鋭さに驚かされる(いい意味で)ことがあります。文字でのやり取りではありますが、その書かれた文字からその人の考えや意図や性質といった内面に関するさまざまなことをミカエルさんは丁寧に読み取っておられるんだなとわかります。自分では気づかんかったことを極めて客観的な視点から指摘していただき改善したりもっと伸ばしたりすべき点が新たにわかって成長に繋げることができます。時に、正直自分の肉親ですらわかってないであろうと思うような自分の内面も文章から感じ取って的確に助言をもらったこともありました。

 

自身を客観視すること

人間は他者のことをどうこう批評することはできても自分自身を客観視することは意外と難しいものではないでしょうか。我々は感情を持つし主観的にあるいは何となく感覚的に物事を判断することも少なくないですが、主イエス・キリストを模範として主に求められる品性を目指して生きる以上は人間自身の主観やら当てにならんものではなくしっかり客観的な視点や思考を持って根拠とすることも必要です。人間自身の主観や感情は自我からくることが多いですしね。ミカエルさんはあらゆることを俯瞰してご自身の主張のすべてに聖書などから明確な根拠を持って示しておられ、世の悪や真相についてもご自身で多くの情報を見渡して論理的に判断したものを根拠に述べておられます。

それに、我々人間はラクをしようと思考停止に陥り主観的・感覚的に物事を判断することであっという間に世の権威に惑わされることになります。それほどこの世を裏で支配する悪魔の悪知恵や狡猾さは人間には敵わないほど強力なんです。現に、大多数の人々が学校教育や報道機関等からの悪影響をもろに受けて思考停止し、理知的ではなく頼りない感覚で判断するなどして見事に惑わされてますよね。今のコ□ナについてもそれが世界規模の 犯 罪 だとは夢にも思ってないし…。改憲についても改憲案の中身(内容)をきちんと吟味せずに「自主憲法作成を急げ」だの「押しつけ憲法がー」だの正直論点ずれでしかないことに囚われる者も見られますし。

おかしな物事に決して惑わされることなく、最終的には神からのお恵みによって正しい信仰を維持することで悪魔のあらゆる誘惑や惑わしにも打ち勝てるのですが、やはりそげなるためにも人間側が物事を俯瞰するようになることも大切であり、その大切さを教会内で理解することができました。まだ自分自身全てを客観視できる程には至っておりませんが、改善と成長に努めています。

 

(関連して)

巷では時々「ミカエルさんは怖い」などといった印象を抱く者がおるようですが、教会で学びを受けたり兄弟と交流したりしちょー中で確かに厳しいことを言われることも少なくはないけど、それ以上に人々に対して救われて永遠の命の冠を神から頂けるよう導くために熱心にご指導してくださり並々ならぬ慈愛を行いで体現しておられるとわしは思います。こがーにも慈愛があって自身のことなんかよりもずっと人のためにさまざまなことを考えて働いていらっしゃるキリスト者は他に滅多におらんでしょう。ネット上でも見たことないし、わしがこれまで(長くはないですが)生きてきた中で出会った人でもおらん気がします。

教会内では、もちろん内部の秩序維持のためにもある程度の規則はあるし、神の掟や律法その他神の御心に反する言動は論外であって当然許されてはないですが、キリスト者としての活動をするうえで例えば特定の「○○をせよ」とかいう強制や押しつけはなく、一方的な「ノルマ」もなく、個人の能力や状況に合わせてその人が無理なく継続できる内容や自由な活動が認められており、聖書にある「タラントン」や「ムナ」のたとえ(マタイ二十五章、ルカ十九章参照)にあるような神から受ける各々の能力差や得意不得意が考慮され、個々が尊重されてます。だけん安心して活動を行うことができます。もちろん怠惰は厳禁ですが。特定の思考を押し付けられることもないです。

聖書の記述による創造の秩序に則った男女の役割の違いこそありますが、兄弟の皆が平等な立場であり、金銭的問題は当然ながら役職といった煩いも一切ありません

地上に存在する諸教派あるいはその他聖書を悪用した宗教の諸教会では決して学ぶことのできない、聖書の真理についてより深い学びを頂けることは間違いないと断言できます。いずれ世の終わりが近づくにつれ世の情勢が悪化して困難が極まって兄弟同士の交流ができんようになっても決して信仰がブレることの無いようにしていく必要があります。主イエス・キリストから加えて与えられた掟である「我はお前たちに新しい掟を与える。互いに愛しなさい。我がお前たちを愛したように、お前たちも互いに愛しなさい。(ヨハネによる福音書 十三章三十四節 拙訳)」を守るためにも兄弟との交流は必須ですが、その重要性を直接強く実感できるようになりました。兄弟と心を一つにして励まし合ったりすることでしか成長できん部分も少なくありません。生半可な気持ち、あるいは悪意を持って入ってくるなら確かに得られるものは何もないでしょうけど、成長し続けて最期まで正しい信仰を保つ覚悟を持ってわしは教会に参加しており、わしはそこに入って本当に良かったと思っています。本当に多数の学びもあるし、真のキリスト信仰者を目指すのにこんなにも有益となる場所を他に見たことは無いくらいです。自由に学んだり活動したりする残り時間が少ないのは周知のとおりです。手遅れになる前に、わしが所属する教会を新たに目指して来られることを前向きに検討してはいかがでしょうか。

 

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