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●北総の豊かな米どころ、千葉県香取郡神崎町(こうざき)にある道の駅「発酵の里」。日本全国からの選ばれた発酵食品を集めた発酵市場があり、酒造りも盛んらしいが、ここで大きな木樽桶を見た。左側のものは、高さ2mオーバー、7尺もあるが、「瀬戸内小豆島 山六醤油」と記されている。

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辞書によれば、発酵食品とは、食材を微生物などの作用で発酵させることによって加工した食品で、冷蔵庫などが存在する以前から保存食として、または風味を改良したり食品の硬さを柔らかくしたりするといった目的でも行われる。

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日本の伝統的な食品では納豆、醤油、味噌、漬物、鰹節など、世界ではパンやヨーグルト、紅茶、キムチなどの形で利用されてきている。また、穀物や果物を発酵させて製造される酒は、アルコールが殺菌作用を持つと同時に精神作用を持つ飲料だ。

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この駐車場への入り口の両側では、お役御免の木桶1対が出迎えてくれるが、これが江戸期の防水桶の原型で、江戸時代には法度により天水桶に転用された訳だ。「第十六号」と名付けられているから、たくさんのこの木桶が発酵場に並んでいたのだろう。前22項では、酒樽に関して色々と記述しているのでご参照いただきたい。

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前82項前97項では、都内板橋区赤塚の区立郷土資料館を訪問しているが、ここの屋外展示場には、人の背丈ほどもある「とうご」と呼ばれる大きな木樽が並んでいる。沢庵漬け用に使用されていた大樽で、この中には4千本以上の大根が入ると説明されている。

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板橋区や練馬区は、江戸時代から練馬大根の生産地として有名なのだ。大樽は、最初は酒造りに用いられ、次に味噌醤油、最後に漬物用となった。時々タガを取り替えれば、100年は永らえるようだ。樽の値段は、昭和10年(1935)の新品で200円、昭和40年ごろの中古で5~10万円であったという。

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●出会いたくない桶??に出会ってしまった。都内のとある寺院のドラム缶の流用だ。確かに役目は全うしようが、いくらなんでも味気ない、寺院らしくないと思わず苦笑いだ。

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ドラム缶は、200リットル以上の大型の鋼鉄製の缶で、日本のJIS規格では、直径60cm、高さは90cmとなっている。円筒部の中間にあるビード、輪帯と呼ばれる2本の輪っか状の出っ張りは、構造上の補強の役割を持つと同時に、転がして運搬する際には車輪の役割を果たしている。

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●都内墨田区文花(ぶんか)の街中には、ドラム缶を利用した防火用水がある。現代的なリサイクルであるが、あちこちにあって町名が書かれているから、地域の施策なのであろう。この文花と言う地名は、昭和41年(1966)の住居表示により誕生している。

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文教施設が多いことから「文」、域内の吾嬬神社の祭神の弟橘媛(おとたちばなひめ)から「花」をとり、「文花」と掛けたようだが、弟橘媛は、日本武尊の妃である事から「花」としたのだろうか。なお、このような情景には、前83項でも出会っている

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●江戸時代の街中には、ごく普通に天水桶が置かれていた訳だが、実際にその風景を原寸大で見られるのが、都心から車で約1時間の茨城県つくばみらい市にある「ワープステーション江戸(前82項)」だ。5.5ヘクタールの広大な敷地に、時代劇用のオープンセットが立ち並ぶ屋外型の商用ロケ施設だ。他にも簡易スタジオや支度部屋、出演者の控室も充実していて本格的だ。


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中近世エリアでは、人情長屋、大店通り、寝殿造り屋敷や戦国大手門、近現代エリアでは、下町小径、路地裏通り、オフィス街や路面電車まで置かれ充実している。町中の情景の中での天水桶は、四角だったり丸型だったりだが、雰囲気に違和感は無く、正にワープした感じになれる。

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●さて今回は、天水桶鋳造の巨匠、川口鋳物師・山崎甚五兵衛作の桶を見ていこう。埼玉県上尾市宮元の氷川鍬神社は、JR高崎線の駅のすぐ近くにあって、地元では「お鍬さま」と呼ばれる上尾宿の総鎮守だ。創建は、109代明正天皇の御代の寛永9年(1632)だが、明治41年(1908)の神社合祀以前は、「御鍬大神宮」と呼ばれていたという。

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鋳鉄製の天水桶1対は、「昭和42年(1967)7月15日」に、社殿の「新築記念」として奉納されている。一方、境内の石碑には「明治百年祭記念 氷川鍬神社 造営記念碑」と見える。日本の元号が慶応から明治に改元されたのは、1868年(明治元年)9月8日だ。そこから数えて100周年となったのは昭和43年であったが、めでたいこの時期に合わせて社殿を新築したようだ。


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●日本政府は、1968年10月23日に、日本武道館で「明治百年記念式典」を主催している。「この百年の経験と教訓を現代に生かし、国際的視野に立って新世紀への歩みを確固としたものにする決意を明らかにする」のが主旨であった。

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この頃は、国家挙げて周年を祝う記念すべき時期だったのだ。天水桶に鮮明に浮き出た「川口市 山崎甚五兵衛」銘が誇らしいが、寄進は地元の人達だ。大きさは口径Φ900、高さは940ミリとなっている。

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●江戸川区上篠崎の篠崎公園近くに日蓮宗の石歴山妙勝寺がある。弘安2年(1279)、台東区浅草の金龍山浅草寺(前1項など)の住職であった、寂海法印本覚坊日寂上人によって浅草石浜村に開創され、以後ここに移転している。本尊には、十界曼陀羅(前27項)を祀っていて、聖観音菩薩立像は、新田義貞公献納と伝わるという。

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鋳鉄製の天水桶1対のデザインは、上の氷川鍬神社とほぼ同じで、この頃の主流のものだ。支えが3脚で、大きな丸いベースメントではない。時代が少し下ると、次例に見るように、転倒防止対策のため3脚式は見られなくなるのだ。

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「昭和41年(1966)9月吉日」に地元の工務店などの業者が奉納しているが、「石歴山妙勝寺 45世 玄游日快代」の時世であった。鋳造者の銘は、「川口市 山崎甚五兵衛」となっている。

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●足立区との都境にある埼玉県八潮市大曽根の大曽根八幡神社。掲示板によれば、「当社は、文亀2年(1502)に勧請されたが、一説には後三年役に源義光が兄源義家援軍のため、寛治元年(1087)に花俣郷から綾瀬川を渡河し、大曽根の地を経て東国に赴いた頃より、八幡神を奉斎されたとも伝える」という。江戸時代の寛文10年(1670)11月には、この地の旗本の森川摂津守重房公から3石の黒印状を受けていて、同家の氏神社であった事が判る。

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鋳鉄製の桶1対は、「昭和45年(1970)10月15日」に奉納されているが、文字は丁寧に塗装され、大切に管理されている。本体の大きさは直径Φ1m、総高は1.17mだ。石の台座の上の丸い脚がやけに大きく安定感があるが、これが転倒し難いベースメントで、その最下部の直径は1.1mもあり、本体よりも大きい口径だ。

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正面や幅135ミリの額縁には、神紋の三つ巴紋が配されている。氏子らの奉納であり、裏側には氏名が並んでいるが、鋳造者の銘は、「川口市 山崎甚五兵衛」だ。

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●杉並区阿佐谷北、JR中央線・阿佐ケ谷駅の真北にあるのが、真言宗豊山派の正覚寺世尊院(せそんいん)。真言宗豊山派の寺院で、山号は地名に由来するのであろう、阿谷山だ。

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創建は正長2年(1429)頃とされ、本尊を不動明王立像(前20項)としているが、中杉通りを挟んで東側に本堂、西側に観音堂がある。地名としての「阿佐谷」、駅名としての「阿佐ケ谷」、山号としての「阿谷山」と表示が少しづつ違うので混同しそうだ。

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●正面に山号の「阿谷山」が見えるが、立派な導水パイプが金網で保護されていて、落ち葉の沈殿を防止している。直径1.060、高さは1.130ミリと大きく存在感充分で、緑豊かないい景色の中に鎮座している。額縁のぐるりを廻る紋章は、「三つ柏」だが、古くから神前への供物の器の代わりに用いられた神聖な植物だ。

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「昭和36年(1961)10月吉日新調」で、「現住 聖駒代」の時世であった。現在の本堂は、昭和10(1935)年に再建され、その後、都道中杉通り建設のため昭和48年(1973)にここに移築されているが、この鋳鉄製の天水桶1対も同道したようだ。作者の銘は、「製作人 川口市 山崎甚五兵衛」となっている。

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●栃木県真岡市荒町の大際山長蓮寺は、江戸時代においては真岡藩主、稲葉正成公(3代将軍徳川家光公の乳母、春日局の夫)縁の寺として朱印地12石を拝領しているが、神奈川県藤沢市の藤沢山遊行寺(後128項)を総本山とする時宗の寺だ。

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ここに掛かる銅鐘は、「奉祭 明治天皇尊儀」、「奉祈 今上皇帝聖寿無窮」と題されている。鐘身に刻まれている銘文は、「大正10年(1921)7月30日 遊行64世 大僧正 他阿尊昭 謹撰」であり、遊行寺との関わりを示している。

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ホムペによれば、『日本一の弁財天さまは、今も尚伝承し続けられる「びわ葉温灸」発祥の地でもあり、秘仏とされる日限地蔵さまは、人々にとってどうしてもこの日は、という大切な一日のために願掛けする、日本でも珍しいお地蔵さまです』という。黄金色に輝く大きな弁財天さまは、元禄13年(1700)に完成し、台東区浅草の金龍山浅草寺(前85項など)に奉納され、その後、この地に招かれたという。

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●天水桶の中央に見える時宗の宗紋は、「隅切三(すみきりさん)」だ。これは伊予河野家から出家した、開祖・一遍上人とも関係があるが、稲葉家の家紋でもあり、ここの本堂の屋根や垂れ幕など各所に見られる。大きさは口径Φ1.060、高さは990ミリとなっている。

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鋳鉄製の1対は、「昭和51年(1976)8月11日再建」で、「檀徒一同」が奉納しているが、「45世 観冏代」の時世であった。そろそろ化粧直しが必要だろう、サビが浮き出始めている。作者を示す銘は「川口市 山崎甚五兵衛」だが、「再建」とあるので、これは後継の天水桶であろう。

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●同じく真岡市東郷にあるのは、1500年余りの歴史を誇る延喜式内の名社、大前(おおさき)神社だ。福の神である大国主大神、大黒様を御祭神としている。延喜式神名帳は、平安時代の延長5年(927)にまとめられた「延喜式」の巻9と巻10の事で、当時、官社に指定されていた全国の神社一覧だ。

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これには、祈年祭で奉幣を受ける2.861社の神社が記載されている。当時朝廷から重要視された式内社という社格だが、現在では消滅したり不明となっている神社も多い。


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境内には、平成元年(1989)に鎮座した大前恵比寿神社があり、パワースポットとして訪問者が絶えない。全高20mの大きな恵比寿像だが、抱えているのは鯛ではなく、大きさ5mの金色の鯉だ。ここの恵比寿様のお使いは、鯉なのだ。国指定の重要文化財である本殿や拝殿には、「雌雄の鯉」や、「鯉に乗る琴高仙人」、「鯉が登竜門を超えて龍になる」構図の彫り物がある。

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●鋳鉄製の天水桶1対は、拝殿から少し離れた両側の林の中に追いやられている。平成25年(2013)11月に、東日本大震災により解体を余儀なくされた第二鳥居が再建されているが、その際、堂宇前の階段取り付けなどの改修に伴い移動されたらしい。

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上部の額縁には、三つ巴紋が連続してあしらわれていて、「昭和30年(1955)9月吉日」に都内台東区の人が、自らの77才の喜寿を祝して奉納している。

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実はこの桶、「製作人 川口市 山崎甚五兵衛」としては、4番目に古い時期での鋳造で、「神奈川県藤沢市片瀬・寂光山龍口寺(後114項) 昭和22年(1947)8月」、「千葉県成田市宗吾・鳴鐘山宗吾霊堂(前57項) 昭和27年(1952)5月」、「千葉県成田市・成田山新勝寺(前52項) 昭和29年4月」に次いでいる。

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●栃木県からもう2例だが、鹿沼市磯町に鎮座する磯山神社だ。境内の石碑によれば、一条天皇の御代の、永延2年(988)9月の創建と伝わる古社という。慶安元年(1648)には徳川3代将軍家光より7石1斗余りの朱印地を附せられ、代々の将軍からも同じ待遇を受けている。寛文2年(1662)建立の三間社流造りの本殿が県指定有形文化財に、御神木の大杉と樹高41mの夫婦杉が市の天然記念物に指定されている。

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1対の鋳鉄製の天水桶は、3本脚で標準的な意匠だ。裏側には、都内足立区の会社が奉納した旨、大きな文字で鋳出されているが、この2人の人名は経営者であろうご夫婦だ。東京からは離れた土地柄だがここが出身地であろうか、一番強調したいのは、喜捨し奉納した人らの神社への崇敬心なのだ。

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作者は、「昭和39年(1964)10月吉日 川口市 山崎甚五兵衛作」銘となっている。同年月日に、拝殿が改築落成しているが、それを記念しての造立であったようだ。

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●栃木県鹿沼市草久、古峰原(こぶがはら)の金剛山瑞峯寺(前97項)。ホムペによれば、「今から凡そ1250年前、聖武天皇の御代、天平宝字元年(757)に、日光山を開いた勝道上人によって当山奥之院三昧石(三枚石)が開創されました。

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下野の名刹出流山(いずるさん)より奥之院にきた時に、峯に古色蒼然とした広大な原野があるので、古峯原(こぶがはら)と名づけられました。一説には花供(はなく)の峯が供峯(くぶ)になり古峯(こぶ)になったともいわれています」という。

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●真言宗醍醐派、當山派修験道で、北関東三十六不動尊霊場の第17番札所だ。本尊として金剛大権現や不動明王(前20項)などを祀り、護摩祈祷を修している。金剛大権現は、子授けや安産、雷除けに効があるという。

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画像の13mの不動明王は、家内安全や交通安全、厄除開運、勝負必勝、商売繁昌、立身出世にご利益がある。不動明王は、大火炎を背負って立ち、右手の剣で願主に降りかかる一切の諸難を断ち切り、あわせて人生の荒波を切ってくださる有難い仏様という。

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●見所の多い境内で、災難除けの烏天狗像や悪人退治の蔵王権現像、一粒万倍釜などが並んでいる。本堂前の蓮華鳥居は、仏教の蓮の花の台と神道の鳥居が合わさったという、神仏習合の珍しい鳥居だ。本堂前には、「昭和37年(1962)5月吉日」造立の鋳鉄製の天水桶が1対ある。

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大きさは口径Φ900ミリの3尺サイズ、高さは970ミリで、正面には天狗所縁の楓紋がある。「川崎十七日講」の奉納で、講員の名前が並び、「製作人 川口市 山﨑甚五兵衛」と鋳出されている。

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●豊島区巣鴨の萬頂山高岩寺(こうがんじ)は、慶長元年(1596)に開創され、神田明神下から下谷屏風坂下を経て、明治24年(1891)に当地に移転している。通称とげぬき地蔵で知られる寺だ。

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これは、針を誤飲した人が、地蔵菩薩の御影を飲み込んだ折り、吐き出した御影に針が刺さっていたという伝承に由来している。以来、他の病気治癒にもご利益があるとされ、無病息災を願う、特に高齢者の参拝が絶えない。近隣商店街が「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる由縁だ。

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●ここの拝殿前に1対の天水桶があるが、設置当時としては8角形のデザインは奇抜であったろう、他の鋳物師の作品を見ても例がない。高さ165ミリの脚は4本だが、これは雲を模したデザインだろう。天水桶の役目は水を呼び込む事なのだ。大きさは、対辺800、高さは950ミリで、そう広くは無い境内の中では、かなり目立つ存在だ。

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本体が8角形だから4本脚なのだろうが、この4本での接地は実に難しいはずだ。カメラの三脚は文字通り3本脚だが、3本の脚のどれもが必ず地面に触れている。4本脚の椅子やテーブルはどうであろうか。

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どれか1本、あるいは2本の脚が接地せずガタつくために、スペーサーを噛まして安定化させざるを得ない状況を、まま経験している。本体が丸形状や6角形であれば3本脚にしたはずだ。単純な事ながら、4本脚の構造物の地面への接地は不安定なのだ。

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●導水パイプを支える金具も華やいでいて凝った意匠となっている。「昭和33年(1958)4月吉日」の造立であるが、東京大空襲でここの建物が全焼し、本堂が再建されたのが昭和32年11月30日であったから、ほぼ同時期に設置されている。これを記念しての奉納であろう。

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「製作人 川口市 山崎甚五兵衛」が鋳造した青銅製の桶だが、鋳鉄製と違ってさしたるメンテも必要なく、半世紀を優に過ぎた今日においても色褪せず、賞美に価する。奉納は、「高岩寺 二十七世 道断代」で、地元の「巣鴨信用金庫」であった。同金庫は同地に本店を置いていて、大正11年(1922)4月4日に開業、東京都区部北側と埼玉県東南部に店舗網を展開しているが、川口市中青木にも支店を構えている。

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●上部の額縁のぐるりや正面に見られるのは、ここの寺紋の「檜扇紋(ひおうぎもん)」だ。これは古より宮中で用いられた木製の扇で、魔除けグッズでもあったともいうが、巣鴨通り商店街の提灯や、売られている和菓子のデザインにもこの檜扇紋が描かれている。

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木製の賽銭箱にも檜扇紋が描かれている。これは、「昭和57年(1988)5月吉日 28世 規雄代」に、「露天商有志」によって設置されているが、この地域では象徴たる紋章として定着しているようだ。
高岩寺とげぬき地蔵
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●「山岸鋳金工房 謹鋳 伸一作」の香炉にも見える。口径760、高さ930ミリで茶褐色の味わいがある1基だ。この工房は、都内武蔵村山市にあって、昭和49年(1974)の創業となっている。

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国宝や重要文化財の模造、精巧な手型などを鋳造しているようだ。香炉は線香の高温に晒される訳で、ここのは内側が耐火煉瓦で囲まれた構造になっている。底板は金属製で、落下した灰は真下の窓から取り出し掃除できるのだ。

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●辞書によれば、煉瓦は、粘土や泥を型に入れ、窯で焼き固めて作られる建築材料だ。通常は赤茶色で、焼成レンガは原料中の鉄分量や焼成時の酸素量によって色が変わという。形状的には直方体をしているが、「こんにゃくレンガ」と呼ばれる所以で、寸法の呼びとしては、「全形(210×100×60ミリ) 羊かん 半羊かん 半マス さいころ」だ。

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そして青銅製の手水盤にも見られる。これの作者や鋳造年月は鋳出し文字が無く不明だが、「28世 規雄代」の時世であった。天水桶の鋳造は先の画像にあるように、27世の時代だから、推察するに、先の賽銭箱と同じ昭和の末頃であろう。ちなみに、現在は29世であるという。なお、現存する金属製の手水盤は稀有だが、他所で見たものについては、前7項に全てのリンクを貼ってあるのでご覧いただきたい。


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●当サイトでは、山崎甚五兵衛作の天水桶を134例見ているが、その内青銅製は16例で、全体の約12%ほどと少ない。その中でもここ萬頂山高岩寺の青銅桶は、最も古い時期の鋳造で、次いでは、下の画像の都内台東区谷中の随龍山了ごん寺(前12項)のハス型で、昭和47年(1972)造の青銅製であったから、高岩寺の14年後の事であった。

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昭和30年代に限れば、主流な材質は鋳鉄であり、青銅はかなり高価な材料だ。偉人のブロンズ像などに使われるのが一般的だったから、高岩寺の天水桶や手水盤は、本来の役目と同時に、参拝者に見られる事も充分意識していたと言えよう。

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今回特集した川口鋳物師・山崎甚五兵衛は、昭和期を代表する天水桶鋳造のトップメーカーとして君臨していた。当サイトでは、延べ20項ほどで登場しているが、特集を組んだ項をここに記しておこう。前1項前24項前27項前41項前50項前56項前57項前84項後106項後114項後128項後132項などだ。つづく。