今日は、昼から雨予報の曇り空でしたが、鷲羽山を散歩に行ってみました。

 

遊歩道から、レストハウスがある南方面を見下ろします。

快晴なら、とても良い景色のはず。

 

 

このような、綺麗に整備をされた遊歩道が、山頂まで続きます。

 

遊歩道から、児島方面を見る。

 

こちらは、瀬戸大橋。

 

こちらは、下津井方面です。

 

山頂手前にあるビジターハウスの近くに、このような石柱が。

裏を見ると、天皇陛下が昭和31年に鷲羽山を訪れた記念に置かれたように書かれていました。

 

 

こちら、遊歩道の終点にある、山頂に向かう道しるべ。

 

道しるべから、山頂方面を見る。上の岩がある場所が、鷲羽山の山頂です。

山頂からも、周囲の景色の写真を撮影したのですが、なぜか、全て、ピンボケになっていました。

載せるのは、控えます。

 

さて、この山頂の道しるべのある場所からも、更に、北に向かう道があります。

ちゃんと整備をされた道という訳ではありませんが、その先に、古墳があります。

 

この「鷲羽山遺跡」について、ネットで調べてみると、西日本で発見された最初の旧石器時代の遺跡で、旧石器時代の基準的な遺跡となっているということ。

出土した石器は、香川県のサヌカイトが使われていて、当時、瀬戸内海は、海面が、今よりも100メートルほど低く、瀬戸内は湖のようになっていて、鷲羽山と香川県は、当時は、陸続きで、歩いて交流をしていたのだろうということ。

発掘をされたものは、倉敷考古館に保存をされているよう。

 

まず、最初に見えるのは、「三号古墳」です。

 

南北方向に主軸を持つ横穴式石室で、墳丘は流出し、石室が露出しているということ。

 

ただ、大きな石が集まっているというだけで、古墳には見えない。

 

この方向からなら、奥の石と、右側の石が、石室の壁のように見える。

 

「三号古墳」のある場所から見る下津井の町です。

 

更に、北に歩くと、「二号古墳」があります。

 

別の角度から。

この「二号古墳」は、長さ4メートル、幅1.3メートルの横穴式石室だそうですが、今は、天井石の一石が残っているだけということ。

それが、この石なのでしょう。

 

そして、更に、北に歩くと、「一号古墳」があります。

こちらは、南に開口する横穴式石室で、石室は、長さ3.6メートル、幅1.5メートル。

現在、残っているのは、側壁らしき石材が一部、と、言うこと。

 

別の角度から。

 

この鷲羽山の遺跡からの発掘品は、いくらかあるようですが、この古墳群から発掘されたものなのかどうかは、ネットで調べてみても、よく分かりませんでした。

よく考えたら、これらの古墳が作られた時代は、旧石器時代ではないですよね。

と、言うことは、「鷲羽山遺跡」と、この古墳たちは、別の遺跡ということになるのでしょう。

 

昔の人は、何で、このような山の上に、お墓を作ったのでしょうね。

そもそも、何で、このような山の上で生活をしていたのか。

不思議です。