とまあ、遠藤貝類博物館のあるケープ真鶴は、真鶴岬の突先にあるわけですが、
当然にして海を見晴るかすその場所には石碑がひとつありまして、「幕末の台場の遺跡」と記されておりました。
江戸時代の末期、外国船が日本の近海に現れるようになると、幕府は「外国船打ち払い令」を出して海防を厳重にした。小田原藩でも、小田原海岸に3ヶ所の外、大磯の照ヶ崎海岸と真鶴岬のこの場所の計5ヶ所に台場(砲台)を築きました。この台場は、たて約36メートル、よこ約30メートルの規模をもっていましたが、その台座の石材が、わずかに当時におもかげをつたえています。
解説にはこのようにありまして、なにもお台場とは東京湾(江戸湾)ばかりではなかったことに思い至るわけですが、
この見晴らしよい高台ですので、砲台には打ってつけだったのでしょうなあ。
と、崖下には磯が広がっておりますけれど、
貝類博物館のコレクションにもなったであろう貝がたくさんとれそうな磯へと下ってみることに。
こちらの段々をおりていくのですが、なかなかの急降下でありましたよ。
降り切ったところは三ツ石海岸と呼ばれているようですけれど、少し沖合いに別名・笠島と呼ばれる岩礁がありまして、
伊勢・二見浦の夫婦岩のように、二つの岩の間に注連縄が結ばれておりますね。
初日の出ではこの間から昇る朝日を眺めることができるのだそうな。
笠島とは言われるように、訪ねたときいはいかにも向こうの島といったふうですが、
干潮ともなれば陸続きになり歩いて渡れるそうでありますよ。
ですので真鶴岬の本当の先端部は、あの笠島であるということです。
島といえば、上の写真の右端にへらべったい島が見えておりますが、これは初島ですなあ。
一般的な行き来は熱海からということで、西村京太郎の『熱海・湯河原殺人事件』にも登場しておりました。
さらに、笠島のすぐ後ろにうっすら見えている島影もある。ちと拡大してみましょう。
これまたへらべったいですが、位置関係から「ああ、伊豆大島であるな」と分かるものの、
先にNHK「ブラタモリ」でその地形の話をたんと見聞きしておりましたので、
その姿になるほど感を抱いたものでありますよ。
磯では、折しも妙に気温の上がった日とあって水辺遊びに興じる親子連れや釣り客が結構おりましたなあ。
惜しむらくは真鶴そのものに温泉が無い関係で、箱根や湯河原、はたまた熱海の行き帰りに
ちょこっと立ち寄るポイントとしか思われないところになってしまっているであろうところですが、
なかなかに良いところであったなあと思ったものなのでありました。