先に西村京太郎記念館に立ち寄ったことを書きました折、

このときの旅の友となった本がまさに西村京太郎作品であったことに触れておりましたですね。

『熱海・湯河原殺人事件』という、こちらの一冊でございます。

 

 

さすがに作者にとって湯河原はご当地であるだけに、

作品の中にでてくる駅前の喫茶店は「ああ、ここか」と思ったり、
老舗温泉旅館として出てくるのは「この宿を一文字代えて使っているのだな」と思ったり。

 

ま、さすがに東京・大阪間の新幹線で読み終えられるというだけあって、
ページはさくさく進む(ページを繰る手を止めさせないテンポの良さはあろうかと)ものの、
本筋の方はともかくとして(笑)そんな楽しみ方も出来たわけなのですね。
どこかへ出かけようというときに、行先を扱った作品があれば手軽な旅の友にはなりましょう。

 

ところで、そんな『熱海・湯河原殺人事件』を読んで、「そうだったのか」と思ったことがひとつ。
東京方面から東海道本線に乗って、湯河原の次が熱海になるわけですが、
その間には山塊が横たわっていて、線路はこれを避けて海側を通ることになりますですね。

 

ですので、湯河原側からみても熱海側からみても、このひと塊の山地を越すと熱海になり湯河原になる、
とまあ、そんなふうに受け止めていたのですけれど、これがどうやら違うということであると。

 

では、境界線はいずこにかあらんと思いますれば、これが川なのですなあ。
実は、先に訪ねた西村京太郎記念館の目の前に流れている川、ここが境界線なのだそうで。

 

 

Googleマップで見ても、記念館のすぐ南側を川に沿って点線が走っておりましょう。これが境界線。

記念館のある側は神奈川県湯河原町、川の半ばから向こうは静岡県熱海市になるということで、
『熱海・湯河原殺人事件』ではこの川の中央で遺体が発見されたことから、
神奈川県警、静岡県警いずれが事件を担当することになるのか、
遺体の頭の部分が静岡側に入っていたことで、結局静岡県警の管轄になって…といったエピソードが
出てきたりしておりましたよ。

 

ですが、熱海の中心は山の向こうにありますし、生活圏としては完全に湯河原側にあって、
警察署ばかりかあらゆる公共施設が湯河原に近いとなると、なぜに川向こうの斜面部分を
熱海市に区分けたのか、首をかしげたくなるところです。何かしら歴史的経緯があるのでしょうかね…。

 

 

というような予備知識を得た上で、町立湯河原美術館を訪ねた後にゆるゆると坂道を下って向かった
その晩の宿の所在地に改めて目を止めて、熱海市泉となっていることになるほどと。
やっぱり橋を渡った川向こうに位置するからなのですが、「熱海」も大きな看板で主張しておりますなあ。

 

 

熱海市にある湯河原温泉とは何とも妙な気分ではありますが、
大々的に「湯河原」を冠した宿も当然ながらたくさんあるわけでして、
逆にこのロケーションで「熱海」と名乗られても混乱するばかりではありましょう。

 

 

とまれ、そんなこんなのうちにたどりついたお宿の入口はこちら。
とても普通の宿の入口とは思えない印象ですが、この宿につきましては次に詳しくご紹介申し上げる次第です。