いつも何かやっているなぁとは思いながらも、
およそ足を止めたことのない新宿駅西口広場イベントコーナー。
いろんなことをやっているものの、だいたい物産展とか税務相談とかでは
食指がそそられないというか、あまり縁が無いと言うか。
そんな新宿駅西口広場イベントコーナーでありますけれど、
通りがかりについつい足を止めたばかりか、
昼飯がまだだったからと近くでそそくさと済ませた後にまた戻って
じっくり見てしまったのでありますよ、この時ばかりは。
やっていたのは土木学会による「土木コレクション2014」というもの。
「土木界が保有する歴史資料、図面、写真など普段目にすることができない各種コレクションを
毎年11月に展示・公開」するとして、2008年以来開催されているそうですが、
初めて立ち寄りました。
全国101の事例がパネル展示されておりまして、どれもこれも(といっては大袈裟ですが)
実際に現地へ赴いて見てみたくなるような建造物があちらこちらにあるなぁと。
ですが、特製図録がかなりのお値打ちもの(その場で申し込むと、送料・税込500円)と
思われたものですから、早速にお願いして到着待ちとなったものですから、
「土木コレクション2014」のことは改めて図録をじっくり眺めてから書くことにして、
ここでは併設の形で行われていた東京都建設局主催の「東京の橋 パネル展」の方を
書いておこうかと思うわけです。
今では隅田川に26の橋が架かっていて、当然に鉄やコンクリートでできてますが、
その隅田川に初めて鉄の橋として架けられたのは吾妻橋だそうで、明治20年(1887年)であったと。
鉄の橋とは言っても、使われたのは鋼鉄ではなくして、錬鉄。
しかもアメリカから輸入したものであったそうな。
折しもアメリカではカーネギー が鉄鋼王と呼ばれたような時代ですし。
その後、厩橋(明治26年)、永代橋(明治30年)、両国橋(明治37年)、新大橋(明治45年)と
鉄の橋が造られていきますが、全てアメリカからの輸入鉄材が使われたようです。
で、橋の形態も吾妻橋を始め、全てがトラス橋であったそうでありますよ。
(そういえば渡良瀬橋 がトラス橋でありましたですね)
いかにも鉄橋といった感じに鉄材で造る三角形をいくつも並べたようなトラス橋ですけれど、
この工法が採用されたのは、偏に使う材料が少なくて済み、
経済的であったからというのが理由のようです。
ただこれを渡る市民の声としては「まるで籠に入れられたよう」と、
見晴らしを阻害する鉄骨の柱組みが酷く不評であったようす。
とまれ、そんなふうに東京で橋もまた近代化の一途をたどっていく中、
大正12年(1923年)に東京を巨大地震が襲います。
関東大震災でありますね。
当時、東京市内には約700の橋があったということですけれど、
まだまだ木造の橋も多かったことでしょうに
地震の揺れで落ちてしまった橋はひとつもないのだそうですよ。
こうしたことを聞くと、日本の木造技術に何だか感心してしまうような。
ただ、地震に伴って発生した火災に木造の橋が敵うはずもなく、
揺れではなくって火災のせいで約300の橋が焼け落ちてしまったそうです。
で、この時に先に挙げたような鉄の橋は大丈夫であったかというと、
悲しいかな(これも資材節約だったのでしょうけれど)橋を支える土台に木製の床が使われていて、
(土台にも鉄が使われた新大橋を除き)これが燃えてしまったがために甚大な被害を受けてしまったと。
復興を進める頃には国産の鉄が使われるようになって、
橋の復旧ももっぱら鉄の橋として再建していきますけれど、
かつてのトラス橋の不評もあってか?橋のデザインには若手の建築家をスカウトされたのだとか。
その結果として誕生した橋のひとつが御茶ノ水駅近くで神田川を跨いでいる聖橋であったとなれば、
トラス橋の、鉄分の塊のような姿とはずいぶん違ってきたなという印象でありますよね。
ちなみにアーチ橋という形態が地震に強いということでたくさんアーチ橋が造られたようですけれど、
聖橋とか通潤橋 (と、これは熊本ですが…)とか、橋の下にアーチを描いている橋を
アーチ橋というのだと思ってましたら、どうやらそれだけではないようで。
例えば永代橋のように橋の上方にアーチがくるようなのもまたアーチ橋というのだそうですね。
そんなことも知らなかったのか!と言われてしまいそうですが、
あれやこれやとなかなか興味深い(無料の)展示でありましたですよ。