諏訪大社
に詣でた後は湖畔の美術館に寄って、
その脚で上諏訪に向かって…というのが当初のアバウトな行程でありましたが、
思いがけずも下諏訪で足止めを食らうことになったと理由のほどを
披歴申し上げようと思っておるところであります。
諏訪大社下社秋宮の周辺は「門前市をなす」てな言葉どおりでしたので
ついふらふらとしたわけですけれど、そこで目についたのが時計塔のある建物。
で、その時計塔が何とはなし見覚えがあるというか、懐かしさが募るというか…。
正面に回ってみれば「諏訪湖 時の科学館 儀象堂」とのこと。
そういえばですが、諏訪といえば精密機械工業、引いては時計作りで有名なところ。
かつては東洋のスイス(山々と湖水の地ゆえでもありましょうけれど)とも言われましたですね。
ということで、やおら入ってみることにしたのでありますよ。
そうすれば時計塔に感じたデジャヴの謎も解けようかというものですし。
中には掛け時計、置き時計、腕時計とたくさんの時計が展示されていて、
「おお、こういうの使ってたっけな」と懐かしいものが見られる一方で、
時計の技術的な側面としてクオーツの仕組み、自動巻きの仕組み等などの
解説がなされてました。
子供も意識してか実にやさしく解説が試みられているんですが、
個人的にはどうもストンと落ちないのが悲しいところながら、
そうしたあれこれの紹介の中で「では、あの時計塔は?」となりますと、
「おお、そうであったか!!」と。
かつて墨田区の錦糸町に精工舎(服部時計店の製造部門だと思ってました)の建物が
ありましたけれど、今ではすっかり再開発されて影も形もない。
その精工舎のシンボルであった時計塔がここ「時の科学館」に移築されていたという。
となれば、デジャヴでも何でもなく、実際に何度も目にしたものでったわけなのですよ。
小学生の頃に、夏になると精工舎のお隣にある錦糸公園のプールに
泳ぎにいったりもしたものですから。
ところで、この科学館の展示物で目玉と思しきものが「水運儀象台」というもの。
「儀象堂」というこの施設のネーミングも当然にここから来ているわけですが、
何でも今を去る900余年前、中国は宋の都であった開封にあった時計塔兼天文台を
忠実に復刻再現したものなのだそうです。
高さが12m、正方形と思しき底辺の一辺が6mという大きさなればこそ、
建物裏手に屋外展示されておりました。
完全な機械式時計のできる前ですので動力を水力に求めたいわゆる「水時計」ですけれど、
その後の機械式とも考え方は同様の脱進機が付いており、
(水車の進み過ぎを制御して一定テンポを刻ませるメカニズムです)
時刻を記した札を持った人形(チビ・キョンシーのような!)が順々に回転してくるとは、
大がかりなからくり人形のようでもありますね。
さらに凄いところは最上階に供えられた天体望遠鏡(といっても、レンズなしですが)で、
ある星の観測を継続して続けられるよう、その星を自動追尾するシステムが付いているのだとか。
これも映画「天地明察」で見たような天体の運行と時、暦の関係が
研究されていたからでしょうけれど、水時計でそこまでできるんですなぁ。
創意工夫の凄さに思いを致すところです。
時計の作り手たちはそうした創意工夫を受け継いで、
いまだにいろいろな点で時計は進化を遂げている。
そうした歴史に諏訪の寄与したところ大なるかなと思ったわけで、
そうなれば諏訪の地にこうした施設が作られた甲斐もある、となりましょうね。