最近のSNSや動画配信サイトなどを見ると、「寅さん」「梅さん」「鈴木弁護士」「プーさん」「カリアゲ君」「MOON大統領」「CCP」「NK」「K国」「2F」「ゲル」「タヒね」…、見慣れない人には言葉が理解できないかも知れない。
 
Trump
寅さん
LinWood
鈴木弁護士
Biden
梅さん
XiJinping
プーさん
KimJongun
カリアゲ君
Moon
MOON大統領
ソーシャルメディアの自己規制(?)で、寅さんは「トランプ氏」、梅さんは梅田バイデンから「バイデン氏」、鈴木弁護士に至っては鈴木リンウッドから「リンウッド弁護士」とはお見事!。
 
プーさんの「習近平中国共産党総書記」、カリアゲ君の「金正恩朝鮮労働党総書記」、MOON大統領の「文在寅韓国大統領」などの人名、更に国名までCCPは中国共産党、NKは北朝鮮、K国は韓国など、伏字で呼ばなければならないのか?
 
そもそも中国国内では「プーさん」もNGワードなどだそうだ。金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」という発想はないのだろうか?
 
こうした表現はマスコミからの攻撃、SNSなどプラットフォームの検閲に対抗するするために、やむなく生まれた「伏字」という言い回しになる。逆に考えれば、検閲や嫌がらせに対する、庶民の知恵を褒めるべきかも知れない。
 

 
金鵄
金鵄(呉市海事歴史科学館蔵)
これは「敵性語禁止と放送禁止用語」で述べた「敵性語禁止」とまったく同じ様相である。新聞雑誌の世論誘導におもねた政治家、官僚、軍の一部が同調して、国民の情緒を刺激して形成された「敵性語禁止」なる社会現象を思い出した。
 
審判が「ストライク…もとい、よし1本」と言い間違えて観客を笑わせる一幕や、兵隊さんのカレーを「辛味入汁掛飯」と揶揄した話、替え歌「見よ 東条の禿頭」など、新聞記事にならない真実の庶民の声は数多く残っている。
 
長年、大衆に愛されてきたタバコのゴールデンバットが大蔵省専売局の思い入れで、大東亜戦争の直前に「金鵄きんし」に変更されたのも有名な話だ。
 
無論、すべてを否定するつもりもないが、看護婦を看護師、保母を保育士、伝染病を感染症、精神分裂病を統合失調症、メクラウナギをヌタウナギ…現代の行政機関、学会などでも相変わらずの忖度が繰り返されている。
 
言い換えれば、当時の敵性語禁止はポリティカル・コレクトネスであり、現代同様にマスコミの押し付けで、世論誘導の道具なのである。戦前の「敵性語禁止」と現代の「ポリコレ」のいずれも法的裏付けは皆無だ。
 
戦前は「戦意高揚」で新聞売上部数を一気に伸ばし、現在はマスコミの「生き残り」をかけた抵抗とも思える。
 

 
そもそも「ポリティカル・コレクトネス」は1917年のロシア革命後に成立したマルクス・レーニン主義の語彙の中に初めて登場した。戦前はナチスなど体制からの批判に対する新聞記事が「皮肉」として使っていたようだ。
 
究極のポリコレは、中国共産党(CCP)が若者たちを「造反有理」というスローガンで扇動した「文化大革命」とも言われている。
 
文化大革命
文化大革命(1969年~76年)の処刑風景
カリフォルニア大学
カリフォルニア大学の学生運動(1964年)
戦後のアメリカの社会主義者が、アメリカ共産党の共産主義者に対して「『政治的には正しい』が、党路線を遵守する余り、道徳的思想が蹂躙じゅうりんされている」と非難を加える際に利用されたり、1960年代には米国の過激な左派の学生グループが性差別主義者や人種差別主義者とみられる学生を吊るし上げる際、しばしば「それは政治的に正しくないぞ!同士!」という言い回しが用いられたとも伝えられている。
 
こうした面からも、ポリティカル・コレクトネスは、戦前から左派論者が好んで使っていたと記録に残っている。
 

 
日本国内でも徐々にポリティカル・コレクトネスが社会に広がり、オールドメディアの衰退に呼応して一気に表面化してきた。一方で我が国には長い歴史に培われた文化と習慣があり、「壊せない文化と国柄」でも分析した通り、ポリコレとの矛盾が随所に噴出している。
 
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明治神宮
明治神宮の初詣風景(2016年)
神代の昔から、我が国では良いものは外界から貪欲に取り入れ、さらに自分のものにして生活に生かしてきた。一方、誰におもねることもなく、悪しきものは自然と排除されてきた。
 
この節理が漢字の集大成、論語の独自解釈、西欧文化の取捨選択が行われて、現在の日本人が醸成された…と言っても過言ではないだろう。
 
こうした永い歴史が育んだ節理に逆らって、論理を無理矢理押し付けても、悪しきものは自然に排斥されるのは自明の理と言えるでしょう。いくらポリティカル・コレクトネスを正当化しようと試みても、徒労に終わると気付くべきではないでしょうか。
 
 
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