元々文学に憧憬が深い訳でもなく、まして童話に触れる機会など金輪際ないと思っていた。ところが我々団塊の世代ではなかったが、近年の国語の教科書にはこの童話作家金子みすゞの作品が載っていると聞いた。
 
俗世の垢にまみれた大の男が読むと少し気恥しいが、詩歌に興味がなくても「みんなちがって、みんないい」とは実に深い言葉だと感じる。
 
私と小鳥と鈴と

 
金子みすゞ
 
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
 

 
金子みすゞ
金子みすゞ(Wikipediaゞ
金子みすゞは、明治36年(1903年)生まれといますから日露戦争の始まる前年になる。実父はみすゞ3歳の時に他界し、親戚に養子に出されたようだ。山口県の深川高等女学校卒業とのことで、おそらく裕福な家庭だったのだろう。
 
大正末期から昭和初期にかけて500編以上の詩をつづり、20歳頃からその多くが雑誌に掲載された。大正12年(1923年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に一斉に詩が載ったこともある。児童文学者の矢崎節夫(金子みすゞ記念館館長)によると、稀代の詩人西條八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と評価されたようだ。
 
大正15年(1926年)養子先の経営する書店「上山文英堂」の番頭格である宮本啓喜と結婚して1女をもうける。夫の啓喜は女癖が悪かったようで、女性問題が原因で勤め先を追われる。昭和5年(1930年)には離婚したが、娘の親権でもめた。娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺し、26年の生涯を閉じた。
 

 
竹久夢二
黒船屋(竹久夢二) 1919年
金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」を読むと、竹久夢二高畠華宵など大正ロマンの世界を彷彿とさせてくれる。
 
ついでと言っては失礼だが、イソラボさんの名言・格言『金子みすずさんの詩』を数編読んでみた。金子みすゞの素直で前向きな姿勢には、増々感動を覚える。あまり言いたくないが今風にいえば「ポジティブ・シンキング」となるのだろう。
 
ところで「みんなちがって、みんないい」は、当代で蔓延する「平等」万能論とは明らかに異なる。徒競走で足の速い子がいれば、難しい漢字をスラスラ読める子もいる。手先の器用な子もいれば、絵の上手な子もいて、パソコンの得意な子もいる。
 
実に当たり前だが、政治家や学校の先生は「平等」をお題目のように唱える。中には、「結果の平等」まで言出す始末だ。当ブログ「平等という妙薬」でも述べたが、彼等には何事も平等でなければいけないという風潮(恐怖観念)が蔓延しているように思える。
 
大正、昭和の女性がおおらかに「みんなちがって、みんないい」と残している。それぞれ得意な分野を伸ばせば、スポーツ、科学、技能、芸術など、すべての分野で多くの人が、活躍できる機会も増えるだろう。
 

 
では何故、戦前のような「みんなちがって、みんないい」ではなく、ここまで「平等万能論」が蔓延してしまったのだろうか。私見ながら、日本人の謙虚さを利用して外国が植え付けた「戦前を全否定する曲解された歴史」があるのだと思っている。また日本人の意識を巧みに扇動して、敗戦革命を狙った反日的な連中にも利用されたようだ。
 
以前、当ブログ「グローバリズムは無政府主義か」にも書いたが、戦前の日本にも「グローバル主義」はあった。また戦前から「バスに乗り遅れるな」との新聞の論評で埋め尽くされた時期もあった。しかし当時の日本人の大半は、脈々と続いた日本の歴史を下敷きに冷静に判断していた。
 
しかし新聞報道に踊らされた政治家と官僚は、避けるべき「日独伊三国同盟」を邁進した。現代人が過去の出来事を裁くことはできないが、歪曲のない歴史に学ぶ必要があるだろう。今でも「~が予想される」「~が懸念される」、「~との声が聞える」…煽りは続いている。
 

 
ここ十数年間、インターネットが普及したお蔭で、世界各国の公文書の閲覧や情報が入手しやすくなった。またSNSやYoutubeの情報を「デマ」と決めつけるのではなく、一次資料と比較することで、情報の識別能力を高めることが可能になった。無論、悪意を持ってデマが流布することもある。しかし、ほとんどのデマ情報は、またたく間に検証され、逆に反証されるのがネットの社会の恐ろしさでもある。
 
ソ連崩壊後KGBの機密書類「ミトロヒン文書」、米国家安全保障局が暗号解読した「ベノナ文書」などが公開され相互検証できる。しかしマスコミの多くは「報道しない自由」を行使し、ネットで話題にすると「ウソ、デマ」で一蹴してしまう。
 
元TBS記者の山口敬之が米国立公文書記録管理局の公文書を探し出して「韓国軍慰安婦」の件を発表すると検証も行わず「捏造」と決めつけられた。いずれもネット検証では、既成事実であることが判明していると聞く。
 
裏を返せば、戦前から行われてきた報道の「デマ」や「ウソ」、世論誘導が白日の下にさらされる結果となった。多勢に無勢で、彼等は結果として、「自分たち以外の発信はウソ、デマ」と言って逃げるしかないのだ。
 
例えば事件現場に遭遇した人は、即座にSNSに投稿する。場合によっては警察より早いのである。悲しいかな、こうした写真や動画を報道に使われることもある。
 
メディア報道は、即時性と信憑性が求められる。テレビが即時性で新聞に追い越され、今度はネットがテレビを追い越した。新聞記者の誇りであった信憑性についても、公開資料であればネットの調査検証に勝てない。残る道は「記者クラブ」制度という政治家や官僚とのパイプだけだ。しかしこの伝家の宝刀も、記者会見などへの記者クラブ以外の参加で揺らいだ。加えて「切取り」のない一次資料や発言動画も多数出回るようになった。
 

 
そこでマスコミは必死に主導権を取り戻そうと、文脈の枝葉末節を捉えて攻撃している。これに大義はない。法律解釈を除けば、その言葉を使う側の判断でいかようにでも定義ができるからだ。そして「だから素人には無理だ」となる。この最大の武器(ツール)となるのは以下の通りだ。
 
  • ポリティカル・コレクトネス 政治的公正性
  • ヘイトスピーチ       悪口暴言、罵詈雑言
  • ハラスメント        嫌がらせ、いじめ
 
ここでは適当に日本語に変えたが、英語のままなら官僚的発想でいくらでも解釈の範囲は広げることができる。日本語なら範囲も明確にできる訳だ。以前に当ブログ「ルー小池のカタカナ語録でも述べたが、定義の不明瞭な英語で有権者をケムにまくのは感心しない。
 

 
アナキズム
アナキズムの印

Antifa
アンティファの印

BLM
ポリティカル・コレクトネス、ヘイトスピーチ、ハラスメントなどは、ネット攻撃には有効だが、一方で欧米の実情を見れば、一般人への被害は明らかだろう。アメリカでは伝統的な風習である「メリークリスマス」もポリコレの対象で一時は言えなくなったようだ。これらの言葉狩りは、明らかに政治的に利用されている。
 
米国報道で知る切っ掛けになったが、現在アメリカ各地で起こっているアンティファ(Antifa)による暴力、略奪、強姦など、これに加担するBLM(Black Lives Matter)の運動家など、支援側にいた民主党の政治家にも収集が付かないようだ。
 
欧米では、歴史的遺産や銅像などの破壊も始まっているようだ。タリバンの「仏像破壊」と重なって見える。白人のBLM支持者が、黒人警官に手向かう動画も流れている。これがポリティカル・コレクトネスの行きつく先だと痛感じた。
 
長い歴史と伝統に育まれた我が国でも、放置すれば息苦しさから家庭や会社組織が崩壊し、普通の暮しができなくなってしまうだろう。金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」に立ち戻って、考えてみる必要があるだろう。
 
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