現代の左翼系教育関係者や多くのマスコミから、忌み嫌われている「教育勅語」の何処が問題なのか? 改めて読み直してみた。
 
 
明治以降に教育を受けた戦前の人ならば、大学の大教授から河原乞食まで、大文豪から三文記者まで、生臭坊主から出前持ちまで、全員が何も見ないで暗唱でした訳だ。
 
教育勅語は、基本的に「12の徳目」で成り立っているようです。
  1. 孝行)親に孝養をつくしましょう
  2. 友愛)兄弟・姉妹は仲良くしましょう
  3. 夫婦の和)夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
  4. 朋友の信)友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
  5. 謙遜)自分の言動をつつしみましょう
  6. 博愛)広く全ての人に愛の手をさしのべましょう
  7. 修業習学)勉学に励み職業を身につけましょう
  8. 知能啓発)知識を養い才能を伸ばしましょう
  9. 徳器成就)人格の向上につとめましょう
  10. 公益世務)広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
  11. 遵法)法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
  12. 義勇)正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう
これだけのことが、頭の片隅に残っていれば、クレーマー、モンスターペアレント、ジャパン・ディスカウント、言葉狩り、ヘイト・スピーカーも減って、本来の日本を取り戻すことが出来そうだ。
 
この程度の倫理観は、親の義務として子供に養っておかなければならないと思うのだが、偏向した教育やマスコミの押付けで中々難しい。
無論、もっと良い方法で家庭教育する方法があれば、この「教育勅語」にこだわる必要もないと思うが、シンプルで良くできていると思う。
 
実は戦後教育を受けた我々世代の多くは、当時「教育勅語」の全否定で覆いつくされ、親子の親愛より子供の権利、兄弟姉妹の思いやりより個人の自由、夫婦の相互信頼より男女同権、友人関係より損得勘定が、当たり前になってしまった。
 
結婚して、更に子供を持ってから、改めて「教育勅語」を読んでみると戦後教育が日本人に与えた影響の大きさに驚いた次第だ。
 
教育の偏向が明らかになった昨今でも、何かとクレームをつける輩もいるのだから、信じがたい現実だ。基本的に天皇陛下の存在が「嫌いな人」なのでしょう。
 
原 文

教育ニ関スル勅語
 
朕惟フニ我カ皇祖皇宗
國ヲ肇ムルコト宏遠ニ
德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ
億兆心ヲ一ニシテ
世々厥ノ美ヲ濟セルハ
此レ我カ國體ノ精華ニシテ
敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ
夫婦相和シ朋友相信シ
恭儉己レヲ持シ博愛眾ニ及ホシ
學ヲ修メ業ヲ習ヒ
以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ
進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ
常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ
以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ
忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ
子孫臣民ノ俱ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス
之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ
咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
 
明治二十三年十月三十日
 
御名御璽
 
新字新仮名版

教育きょういくかんする勅語ちょくご
 
ちんおもうに、皇祖皇宗こうそこうそう
くにはじむること宏遠こうえんに、
とくつること深厚しんこうなり。
臣民しんみんちゅうこうに、
億兆おくちょうこころいつにして
世々よよせるは、
国体こくたい精華せいかにして、
教育きょういく淵源えんげんまたじつここそんす。
 
なんじ臣民しんみん父母ふぼこうに、兄弟けいていゆうに、
夫婦ふうふ相和あいわし、 朋友ほうゆう相信あいしんじ、
恭倹きょうけんおのれをし、博愛はくあいしゅうおよぼし、
がくおさめ、ぎょうならい、
もっ智能ちのう啓発けいはつし、
徳器とくき成就じょうじゅし、
すすん公益こうえきひろめ、世務せいむひらき、
つね国憲こっけんおもんじ、国法こくほうしたがい、
一旦いったん緩急かんきゅうあれば義勇ぎゆうこうほうじ、
もっ天壌無窮てんじょうむきゅう皇運こううん扶翼ふよくすべし。
 
かくごときはひとちん
忠良ちゅうりょう臣民しんみんたるのみならず、
またもっなんじ祖先そせん
遺風いふう顕彰けんしょうするにらん。
みちじつ皇祖皇宗こうそこうそう遺訓いくんにして、
子孫しそん臣民しんみん とも遵守じゅんしゅすべきところ
これ古今ここんつうじてあやまらず、
これ中外ちゅうがいほどこしてもとらず、
ちんなんじ臣民しんみんとも拳々服膺けんけんふくようして、
みなそのとくいつにせんことを庶幾こいねがう。
 
明治二十三年十月三十日
 
御名御璽ぎょめいぎょじ
 
教育勅語の口語文訳

国民道徳協会訳文
 
 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
 
  国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
 
  このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
 
言っている内容は、日本人とて当たり前で真っ当な内容だし、仏法やキリスト教などの説法にも通ずると思う。まさに子供たちが供えておくべき倫理観を網羅したと云えよう。
 
明治神宮のサイトに「教育勅語を書いてみましょうA4判」がありました。パソコン万能の時代に「毛筆」だけでなく漢字の練習になりそうです。
 
 
昭和22年(1947年)3月31日戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令で、教育基本法が施行された。
その折、賛否両論はあったが「教育勅語等排除に関する決議」と「教育勅語等の失効確認に関する決議」によって、教育現場で使われなくなった。
 
決議のきっかけとしては、まずアメリカ合衆国国防総省が教育勅語を全面的に否定する方針を打ち出し、極東委員会においても「日本教育制度に関する政策」で、教育勅語は教授、研究、儀式のよりどころしてはならないと決定された。
 
否定的な意見の多くは、2000年以上続いた天皇陛下の存在を否定したい「為にする議論」に映るのだが、概ね以下のようだ。
  1. 第二次世界大戦末期に過剰な神聖化がなされた経緯もあり、思想や良心の自由を否定している。
  2. 軍人の規律を説く軍人勅諭と同列のものであり、軍事教育や軍国主義につながる。
    (占領統治時代に連合国軍によって廃止されたのはこの理由から)
  3. 教育の根本に天皇中心の国体思想を据えたこと自体が問題である。
    重要なのはそれらの徳目が「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に構造づけられていたこと、すなわち、「日本における道徳は、すべて天皇制の発展に寄与してこそ、はじめて意味を持つということになっていた」ことである。
これに対して、桐蔭横浜大学初代学長・鵜川昇によれば
『カトリックの倫理綱領と同じ』
であり、
『日本人としての根本倫理』
を表したものという肯定意見もある。
 
無理矢理、子供に教えることもないだろうが、情操や倫理を養うことは、基本的に親の役目(家庭教育)なんだと思う。