最近(2017年12月)の一部新聞、ほぼ全てのテレビが垂流す一方通行の情報。こうしたマスコミ情報の中には、複数のネット情報と比較すると、余りの偏向ぶりに驚愕する次第だ。
 
今更ではないが、何処かの国のプロパガンダと見紛うばかりの記事内容に、報道の公平性に強い疑問を感じせざるを得ない。
一方で、マスコミの主張と相反する不都合な情報を遮断するに至っては、もはや報道機関としての基本的な機能を放棄したに等しい。
 
今回は、一般国民を恣意的に扇動する工作のメカニズムを考えてみた。
 
下表は、思いついた事案の件名を、あくまで私見で分析してみたので、実際に調べてご確認頂きたい。
 

 
件名 敵を作る 分断する 煽動する
フランス革命 ブルボン王朝 特権階級と民衆 共和政府の樹立
ロシア革命 ニコライ2世 有産階級と労働者 農奴解放、労働運動
ナチス・ドイツ ユダヤ民族 ドイツ人とユダヤ人 アーリア至上主義
コミンテルン ブルジョア 支配者と労働者 ブルジョアジー打倒
文化大革命 走資派 修正主義者と紅衛兵 反革命分子の弾劾
第一神戸事件 日本国民 国民と朝鮮人 朝鮮民族教育推進
山村工作隊 農村地主 地主と小作人 農村収奪解放闘争
第二神戸事件 長田区役所 区役人と朝鮮人 住民税免除と生活保護
安保闘争 岸内閣 政府と市民 反政府、反米運動
クメール・ルージュ ロン・ノル政権 知識人と一般民衆 原始共産制の実現
水俣病訴訟 チッソ水俣工場 公害企業と被害者 被害者の権利
三里塚闘争 空港公団 行政と反対農家 強制収容反対
沖縄反基地運動 日米政府 容認派と反対派 米軍基地撤去要求

 
元々扇動工作の目的は、個人的な思想や信条を啓発、普及を図って、自身への賛同者を増やして相手を困らせる。
 
つまり解決が目的ではない訳だ。成田空港の三里塚闘争では、和解しようとする農民を集団で阻止しようとしていた。過激な宗教や国家統治では古来から用いられてきた手法だ。
 
真相はかうだ
NHK「真相はかうだ」第一輯の再録表紙
一般大衆に対する煽動工作は、必ずしもその可否を示すものではないのだろうが、煽動の意図の中に特定のイデオロギーが混入されて、個人の思想信条に強い影響を与えるてしまう事で大きな懸念が生まれる。
 
特に戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の行った日本人への扇動工作は国民固有の感性を奪うことで、「二度と立ち上がれない、米国に従順な民衆」に変貌させる目的が有ったと云われている。
 
しかし当時の多くの国民は、ラジオの「真相はかうだ」を聞いても、新聞で戦中批判しても、内心で動じることはなかっただろう。
 
なぜなら、その時代を見つめて、生き抜いてきた人々の時代だったからだ。
 
無論、表面的には天皇陛下の存在(国体)を認めてくれたGHQに逆らえる訳もない。中には異論を挟むどころか、手先となった積極的に利用する連中も居たようだ。
 
残念ながら、GHQの中にソ連親派やコミンテルン(ベノナファイル)も存在していたようで、戦前、殺人や銀行強盗で逮捕されてゐた共産主義者を釈放し、日本的教育を排除するため日教組を利用し、更に公職追放で戦前からの高等教育を瓦解させて、共産主義化、無政府主義化を推し進めた。
 
戦前の事実を知らない世代が学校に上がると様子は一変する。教えられたことを鵜呑みにしたことで、世論は大きく傾いた。丁度、戦後教育世代が社会に出始める昭和35年(1960年)ごろからである。
 
彼等が社会の中堅で働く昭和50年(1975年)ごろから、我が国をおとしめる様々な出来事が始まった。平成に入ると彼等は会社の管理職になり、靖国参拝、南京大虐殺、慰安婦などの問題が一気に顕在化した。
 

 
それでは、共通する洗脳に近い扇動のプロセスを考えてみよう。
 
敵を作る
 
始めに敵になる対象を探して見つけ出す。国であれば利害が対立する国、政党であれば対立政党、政治家であれば政敵、企業であればライバル会社などだろう。
 
しかし、十七条憲法「和を以て貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよ」で、普通の日本人同士であれば、話し合って歩み寄ることも出来る訳だ。
 
ところが煽動工作では、この敵に異論を挟むことが許されない環境が作られるので、一方的に意見対立が拡大していく方向に仕向けられる。
 
分断する
 
世論を対立させて味方を増やしながら多数派工作を図る。ここで今まではマスコミが大きな役割を担ってきたわけだ。世論形成と云いつつ、都合の良い情報だけを垂れ流し続ける事でマスコミの確固たる価値は築かれた。
 
結果として対立する意見が有る事も知らされないまま、一方的な判断基準で相手方を糾弾することも多かった。
 
戦前の教育は最悪だった   戦前の教育は良かった
欧米のお蔭で目覚しい技術発展   戦前から日本の技術は優秀
軍人は粗野で無謀だ   軍人は規律を厳守
女性は虐げられていた   女性は輝いていた
北朝鮮は地上の楽園   北朝鮮では住民が困窮
結果の平等   機会の平等
 
このように対立軸を生み出す。そして一方の判断だけを聞かされ続けると、反対側の意見の存在さえ気付かなくなってしまうだろう。
 
また反対することは「反社会的」とさえ決めつけられる機運が形成されていた。
 
煽動する
 
大衆があまり考えないで良いように対立軸を鮮明にして、事実関係を無視してまでも耳ざわりの良い言葉で煽動を繰り返す。
 
急造であれ賛同者、支援者を増やして同調圧力に変える。無論、ここにもマスコミの果たす役割は大きかった。
 
なんまいだ、南無妙法蓮華経、アーメン、アッラーフ・アクバルと、お題目のように平易な言葉がマスコミを通じて流される事で、印象(観念)が固定化される。
 
あやしい
信じられない
何かイヤ
差別でしょう
九条まもれ
安倍はやめろ
 
ワンフレーズ・ポリティクスは、印象が固定観念となり、深く考える事を拒否し、反射的な反応に終始する結果を生む。
 
どの部分がどのように怪しいのか? 何をどの様に信じられないのか?…この時点で、すでに「思考停止」とも云える訳だ。
 
言い換えれば、「この国民にしてこの政治家」と云う、政治的に不毛な国家で在り続けるのだ。丁度「ろうそく」で群れ成すことが政治だとの勘違いが、まかり通ってしまうお粗末そのものだ。
 

 
大衆が煽動されるプロセスを考えると、教える側と教わる側と云うヒエラルキーが固定化すことは特に好ましくない。あまり考えずに済むので、高飛車、ゴリ押し、受売りに陥りやすく一方通行の典型だ。
 
個々の性格、職業、生活、習慣などがミックスした個性が有るので、ある点では教える側であっても、別の点では教えられる関係が保たれる事が重要なのだと思う。
 
ネット空間にはこうした双方向性が容易に存在している。
 
多少窮屈な言い方をすれば、充分な下調べしたうえ、多角的な意見交換を行う事で、相手に自論を伝えることが出来る訳だ。
 
しかしマスコミ情報は基本的に一方通行なので、信じるか?信じないか?の二者択一しかない。権威ある報道機関や学者が「〇〇が健康に良い」と云われれば、鵜呑みにしてしまうだろう。
 
ここで検証する術がなければ、マスコミに都合の良いレールに乗せられてしまうのだが、ネット空間が飛躍的発展したお蔭で、制限を受けていない限り情報空間が世界的で専門的な情報を瞬時で入手可能になった。
 
専門家でもない新聞記者がこねくり回して出した記事を信じるより、ネット空間では自分が納得できるまで調べた結果を以て確信する。こうした真のリアリストが若者を中心として育っている事が理解できないのだろうか。
 
報道関係者は、若者を揶揄したりネット空間との対立を煽っても、すでに信頼の回復は困難な領域に達している。
 
現在の報道記者が偏差値教育で「一つの回答しか求めない」育ち方をしたとは云え、はなから「観念」を固着させず、自論だけを押し売りせず、より多角的な視点で報道にあたることを切望する。