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連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって、教育が分断工作されるまでの戦前教育を受けた世代(昭和ひと桁生まれまで)には、思想信条に関わらず政治家、行政官、教育者から一般庶民に至るまで「日本人共通の資質」が間違いなく備わっていたと強く感じることが出来る。
 
日本国の長い歴史を継承し、底流には「家族、地域、国を守り育てる」と云う、共通理念が遍く存在していたからだろう。
 
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日本改造法案大綱 北一輝 目次 国立国会図書館デジタルコレクション
 
二二六事件で死刑になった北一輝が明治39年(1906年)に著した「國體論及び純正社會主義」では、国家社会主義を標榜した。
更に1923年(大正12年)に「日本改造法案大綱」では「国民の天皇」への移行、農地改革、普通選挙、私有財産への一定の制限、財閥解体、皇室財産削減、労働者の権利確保、一方で労働争議の禁止を提唱している。
 
これに刺激された陸軍青年将校が蜂起した「二二六事件」は、見方によっては一種の社会主義テロだったとも云える。
 

 
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憲法撮要 美濃部達吉
憲法学者の宮沢俊義や「憲法撮要」を書いた美濃部達吉などが「天皇機関説」を唱え、明治33年(1900年)代から昭和10年(1935年)頃までの間、憲法学の通説とされ、政治運営の基礎的理論とされた学説である。
 
この説に対峙したと云われるのが、宮沢、美濃部と同じ東京帝国大学の穂積八束上杉慎吉らが「天皇主権説」で反論した。
 
しかし両論とも、これは国体での主権者を論じた内容であって、天皇陛下や日本国の存在を否定したものでは全くない。
 
むしろ、当時こうした論争が公けに展開されていたこと自体を大いに称賛すべきだろう。
 

 
こうした諸説入り乱れる中で昭和12年(1937年)、稀代の学者を集めて官僚らしくバランスを保ち文部省が「國體の本義」を編纂したと伺うことが出来る。
 
この「国体の本義」で、冒頭部分の「万世一系」や「共産主義や無政府主義の否定」を取り上げた点だけ一部批判者から強調されがちだ。
 
加えて軍部の指示で作られた…などに対する裏付けも探すことが出来なかった。
 
しかし全編を読むと、左派の方々が忌み嫌う「第一 大日本国体」でも、当時の時代背景からして異常な文言までとは断定ができない。
 
更に「第二 国史に於ける国体の顕現」では、国史を一貫する精神、国土と国民生活、国民性、祭祀と道徳、国民文化、政治・経済・軍事では、現代に通ずる「日本人気質」が書かれている。
 
以下で、全文を読むことができる。現代版解説書の中には、解説者の思想信条が色濃く出ている場合があるので要注意!
 
国体の本義(日本電子図書館)より
 
国内の左派勢力が、最も嫌う(痛い)のは以下の一文かもしれない。
 
抑々社会主義・無政府主義・共産主義等の詭激なる思想は、究極に於てはすべて西洋近代思想の根柢をなす個人主義に基づくものであつて、その発現の種々相たるに過ぎない。個人主義を本とする欧米に於ても、共産主義に対しては、さすがにこれを容れ得ずして、今やその本来の個人主義を棄てんとして、全体主義・国民主義の勃興を見、ファッショ・ナチスの擡頭ともなつた。
国体の本義(緒言より)
 
当時、西欧列強の植民地主義と一線を隔していた日本では、「西洋近代思想の根柢をなす個人主義」や、同じ「マニフェスト・デスティニー」と黄禍論に係る「民主主義」を、官僚らしく遠慮気味に否定したのだろう。
 
現代の中国、北朝鮮の共産(?)主義を見れば明らかだが、当時でも「共産主義に至っては」「ファッショ・ナチスの擡頭(たいとう)」とまで言われている。
 
この「国体の本義」で普遍的な民主主義や個人主義を全否定する訳ではなく、日本的な主義主張と異なるという事が言いたかったのだろう。
この部分を解説書によっては「西洋近代思想の根柢」という観点が抜けて、全否定のように語られることが多いようだ。
 
故事「木を見て森を見ず」では、精緻な学問は成立しない。
 

 
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スト権スト? 画像はねずさんのひとりごとから
 
1970年代は、学生運動が社会一般から隔絶して、マスコミも論調が変わってきた。
彼らは行き場を失ってから、国鉄の労組運動に合流して変遷して激化した。
国鉄時代に国民市民の足を守るために鉄道労働組合(鉄労)と非労組員が中心に運行に立ち上がった国鉄職員がいた。
 
一方で、利用者を無視した「親方日の丸」労働争議に国民の怒りは頂点に達して、一部では暴動騒ぎにもなった。
当時サラリーマンに成りたての頃で、「公務員は遊んでいても食いはぐれがない」と口々に揶揄していた事を思い出した。
 
成田騒乱 東峰十字路事件で3名殉職した中で福島警視の慰霊碑
 
更に成田闘争では、黙々と建設を進めた空港公団職員と作業員、作業を守っていた機動隊員がいた。
 
当初はメディアの一部に「政権批判」「ゲリラ礼賛」する記事もあったが、東峰十字路事件に至って、「ゲリラ部隊」が各所で後方警備の機動隊を襲撃する事態になった。
神奈川県警から応援派遣されていた特別機動隊の中から逃げ遅れた小隊長を含む隊員3名が火炎瓶による全身火傷・鉄パイプ等での殴打により殉職し、更に80名以上の隊員が負傷した。この日の逮捕者375名。
 
この事件にジャーナリストの二木啓孝は、過激派の一員として最前線で運動に加わり、後に日刊ゲンダイ(創業時は「朝日新聞」系、現在は不明)ニュース編集部長(2007年退社)、日本BS放送の取締役、テレビへの出演も多く見られた。
 
東峰十字路事件では機動隊員が殉職し、多くの隊員が負傷したにも関わらず、被疑者特定の困難な中で55名の起訴までたどりついた。
 
昭和61年(1986年)10月4日、千葉地方裁判所(石田恒良裁判長)一審判決では、事件当日のアリバイ主張で3名に無罪、他の52名が3年から5年の執行猶予付の懲役刑となり、実刑判決は無かった。
 
当時、成田山に初詣のあと三里塚を見物に行ったが、御題目、動員法、服装、抵抗方法、汚いテント村などのすべてが、現在行われている「基地反対運動」をインターネット画像でみて「何も変わっていない」と呆れる。
あの頃は若かくて激しかった過激派も、言葉尻に大声を上げたり、当たり屋よろしく触った触らないとか騒ぐ様は、年をとって一層哀れに見える。
 
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朝日新聞の東電社員に対する誤報記事 NAVERさん
 
福島原発事故では、吉田昌郎所長をはじめとする東電社員による献身的な努力に対して、日本人の感性では理解を超える新聞の誤報があったにも関わらず、我身を危険にさらして対応する事が、我々日本人に息づく資質に他ならない。
 
社員が現場放棄したかのような「原発命令違反し9割撤退」記事と関連記事に、吉田調書の公開後、朝日新聞は2014年9月13日の朝刊社説と1面コラムで謝罪した。
 
同時期の2014年8月5日、朝日新聞は慰安婦問題についても「慰安婦問題を考える」「読者の疑問に答えます」と題した検証記事(記事取消し)を掲載した。同年9月11日、朝日新聞社の木村伊量社長(当時)らが過去の記事の訂正に関して謝罪会見を行った。
 

 
国鉄職員の一部、空港公団関係者と機動隊員、東電原発関係者と自衛官、消防官、警察官、全国からの協力者が身をもって示した行動は、日本人として心底から誇りに感じる。
しかし、これら「止まれぬ思い」を、自らの思想信条や自己都合で、阻止したり、貶めたり、揶揄する輩もいた事は、厳然たる事実として歴史に残るだろう。
 
自らの「卑劣さ」が歴史に残ることを怖れ…更に長い歴史を重ねると困る連中は、日本の国を貶める事に躍起になっているのだろう。彼らから「日本の良い点」を耳にすることは皆無だ。
 
いくら時代は移っても、自衛官、警察官、海上保安官、消防官など、国民の生命を守る尊い任務を担う方々には「日本人の資質」が息づている事は紛れもないだろう。
 
要するに我が国に於ては、夫々の立場による意見の対立、利害の相違も、大本を同じうするところより出づる特有の大和によつてよく一となる。すべて葛藤が終局ではなく、和が終局であり、破壊を以て終らず、成就によつて結ばれる。ここに我が国の大精神がある。而して我が国に現れるすべての進歩発展は、皆かくして成される。
国体の本義(和と「まこと」より)
 
※「大和」-やまと-は、日本特有の事物・製作である意を表す。
※「大本」-おおもと-は、特定宗教を指すのではなく、「物事の最も基本となるもの。根本 (こんぽん) 。根源。」の意。goo辞書より
 
これは、本ブログ中、技術立国の源流「日本人と数学史」に見事に符合している。
更にGHQによって死語になった「国体」を知ることも、あながち無駄ではないような気がするのだが・・・。
 
孤立住民を護衛艦ひゅうがに空輸する陸上自衛隊(2011年4月1日気仙沼大島)
大災害のたびに繰り返す、悲しみを乗り越えて日本人として「当然」の対応を目の当たりにすれば、多くの人々はすでに解っている事でもあろう。ほとんどの国民は、この本質を見抜いているのだ。
 
云わば日本人に流れる資質は、バロック音楽のバッソ・コンティヌオ (Basso continuo) 通奏低音と捉えることができ、これに和音を加えていくと心地よいハーモニーが紡ぎ出される。