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世界的に見ると、LGB-T(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)は、社会から差別を受けている事が多いようだ。
トランスジェンダー(Transgender)は、日本では「性同一性障害」にあたり、医学的な見地から生物学的、心理的に診断されて治療されるべきもので、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルなど「性的指向」とは大きく異にする。
 
第二条
生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているものをいう。
 
どう考えても「性同一性障害」とLGBの性的指向を同一線上に語るべきではないと個人的に考えている。
 
性的指向を取り上げれば、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル以外にも、個人的な趣味嗜好による変身願望(男装女装)、サディズム、マゾヒズム、スカトロジー、アニマルセックス、〇〇フェチ。更に社会的に許容されない幼児児童への性愛や強姦、盗撮など、犯罪的な性的指向まで多岐にわたる。
 
最近は、性的指向を「性的マイノリティ」として声高に権利を主張する団体まで見受けられる。主に欧米から始まったLGB-T運動は、それぞれの国の「法規制」と、宗教上では「教義の禁止」に大別されるようだ。
 

 
レズビアン、ゲイなど同性愛を法律で禁止する国、承認する国は、ナショナル・ジオグラフィックの調べで以下の通りに分類されている。
 
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地図で見るLGBT違法の国、合法の国(National_Geographic)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/a/062100038/
 
国際連合加盟国の内から、73ヶ国(37%)が同性同士の性行為を違法と定めているようだ。日本を含む50ヵ国以上が「特定の法律なし」であるようだ。言い方を変えれば「法律で禁止する必要が有るか?…否か?」との見解にもなる。
 
日本以外では、モンゴル、中共、カザフスタン、東南アジア、インドネシアなどアジア諸国、中東のトルコ、イスラエル、東欧諸国、アフリカ中央の諸国、中米、南米の一部では「特定の法律なし」となっている。
 
またロシア、インド、大多数の中東諸国、アフリカのイスラム圏諸国では、死刑を含む「処罰」の対象になている。
 

 
宗教の教義上で同性愛の可否は概ね以下のようだが、最近は「禁止」であっても、運用上の許容度が変化しつつあるようだ。
 
キリスト教 プロテスタント イギリス
ドイツ北部
デンマーク
スウェーデン
ノールウェー
ラトビア
フィンランド
アメリカ
など
禁止 教義上「聖書至上主義」であって、同性間での性行為は子どもができない以上だだの快楽とみなされる。
快楽に浸ってはいけないという原理に反するので禁止。
最近は牧師の個人的な考え方や宗派によって、融通が利く場合もでてきた。
カトリック バチカン
イタリア
サンマリノ
フランス
モナコ
スペイン
中南米
アメリカ
など
基本的には禁止
(容認の動き)
聖書に「同性と姦淫してはいけない」とあるため、教義上の原則禁止。
但し人間の尊厳を重んじるので、同性愛者の性的指向は受け入れる。
最近は神父の個人的な考え方や宗派によって、融通が利く場合もでてきた。
ユダヤ教 イスラエル
アメリカ
その他
禁止 旧約律法の中に男性同士の性行為を禁じる記述がある。
快楽的に生きることを許していないため禁止。
イスラム教 中近東諸国
アフリカ
東南アジア
禁止
(一部例外あり)
聖典の中で同性愛が非難されるくだりがある。
原則禁止、一部例外あり。
ヒンドゥー教 インド 禁止 法典類で同性愛は罰金、カースト追放などの罰が定められている。
仏教 タイ
南アジア
西インド
日本
その他
主な記述なし 一部の教義を除いて、全面的に寛容。
(但し、男性同士の性交すると地獄に落ちると旨の書物あり)
神道(宗教と云うより慣習) 日本 主な記述なし 多神教で反発は特になく、男色を司る神がいるなど寛容。
 
神道は宗教というより国民の慣習と言えるだろう。日本では6世紀に仏教が伝わったが、何れも「同性愛」に対する違和感はまったく記録に残っていない。
 
日本では「お七夜」「七五三」「初詣」「お祭り」は神社、「葬式など仏事」はお寺が一般的だが、キリスト教の「クリスマス」や「バレンタイン」を始め、最近ではケルト人の「ハロウィン」まで同時に楽しんでいる。結婚式は「神前」「仏前」「教会」など本人の嗜好で挙げられている。
 

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袋井宿を描いた春画(1840年代)
古来、日本人の「同性愛」に対する寛容さは申し上げるまでもないが、古くは「日本書紀」の「阿豆那比(アヅナヒ)之罪」の記述、「万葉集」の大伴家持ら男性に宛てた和歌にも残されている。奈良時代には、仏教界で「寺稚児」、「垂髪」、「渇食」が広がった。
 
能、狂言『菊慈童』、『花月』、読み物『幻夢物語』、『嵯峨物語』、『鳥辺山物語』など男色モノが、古典的に人気を博したようだ。
 
足利義満は能役者の世阿弥が少年だった頃、彼を寵愛した。織田信長前田利家森成利(蘭丸)武田信玄と姓不詳の小姓・源助、上杉景勝清野長範伊達政宗片倉重綱・只野作十郎、豊臣秀次不破万作も有名だ。
 
欧米の外国人が日本人の男色に対する大らかさに呆れて驚いたの様子も、当時の世界に伝わっている。
 
1549年、フランシスコ・ザビエルは日本人を賞賛しながらも、許すことができない罪悪として男色を挙げ、ザビエルを保護し布教を許した山口の大名、大内義隆がもつ美少年の数の多さに驚き嘆いている。大内も当初はザビエルに男色などを非難されたことに立腹し、布教の許可は下さなかった。
 
1579年、イタリア宣教師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、男色については、「彼らはそれを重大なことと考えていないから、若衆たちも関係のある相手もこれを誇りとし、公然と口にし、隠そうとはしない」と記述。
 
1619年、フランス東インド会社の長官、フランソワ・カロンも、「貴族の中には僧侶並に男色に汚れている者があるが、彼らはこれを罪とも恥ともしない」と記述。
 

 
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喜多川歌麿(18世紀)
現在でも日本のテレビでは、LGB-Tのタレントさんが、何の衒いもなく出演して誰も非難しないことを見れば、多くの外国社会とは異なることが理解できるだろう。
江戸初期には、若衆歌舞伎に代表される、売色化した新しい形の男色文化が開花した。「陰間」遊びが町人の間で流行し、遊女ならぬ色若衆と呼ばれる少年達が多数現れ、少年を置いた「陰間茶屋(かげまちゃや)」が繁盛した。
 

 
1682年、井原西鶴の『好色一代男』には主人公「世之介」が一生のうちに交わった人数を「たはふれし女三千七百四十二人。小人(少年)のもてあそび七百二十五人」とあり、当時の衆道(男色)は隠し事でもなく、大ぴらにに語られている。
 
好色一代男4 好色一代男3 好色一代男2 好色一代男1
好色一代男 巻八 井原西鶴 著 愛鶴書院 出版(昭和7年)
 
余談だが性的指向で見れば、『好色一代男』の最終章(巻八)では山盛りの宝と「床(とこ)の責道具(せめどうぐ)」を持って海の彼方の女護島(女だけが暮らす島)をめざして船出している。
 
好色一代男 巻八 六十歳 床のせめ道具 女護乃嶋わたり乃事

それより世之介は、ひとつこころの友を、七人誘引(さそひ)あはせ、難波江の小嶋にて、新(あたら)しき舟つくらせて、好色丸(よしいろまる)と名を記(志る)し、緋縮緬(ひちりめん)の吹貫(ふきぬき)、是はむかしの太夫(たゆう)、吉野(よしの)が名残(なごり)の脚布(きやふ)也。
縵幕(まんまく)は過(すぎ)にし女郎より、念記(かたみ)の着物(きるもの)をぬい継(つが)せて、懸(かけ)ならべ、床敷(とこしき)のうちには、太夫(たゆう)品定(しなさだめ)のこしばり、大綱に、女の髪(かみ)すぢをよりまぜ。
さて臺處(だいところ)には、生舟(いけぶね)に鯲(どじやう)をはなち、牛蒡(ごぼう)、薯蕷(やまのいも)、卵(たまご)を、いけさせ、櫓床(ろどこ)の下には、地黄丸(ぢをうがん)五十壺、女㐂丹(によきたん)弐十箱。りんの玉三百五十、阿蘭陀糸(おらんだいと)七千すぢ、生海鼠輪(なまこわ)六百懸(かけ)、水牛(すいぎう)の姿(すがた)二千五百、錫(すゞ)の姿(すがた)三千五百、皮(かは)の姿(すがた)八百、枕絵(まくらゑ)弐百札、伊勢物(いせいもの)がたり弐百部、犢鼻褌(ふんどし)百筋(すぢ)、のべ鼻紙(はながみ)九百丸、まだ忘れたと、丁子(てふじ)の油(あぶら)を弐百樽(たる)、山椒(さんせう)薬(ぐすり)を四百袋(たい)、ゑのこづちの根(ね)を千本、水銀(みずかね)、綿実(わたさね)、唐がらしの粉(こ)、牛膝(ごしつ)百斤(きん)、其外(そのほか)色ゝ、品ゝの、責道具(せめどうぐ)をとゝのえ。
さて又(また)、男(をとこ)のたしなみ衣装(いしやう)、産衣(うぶぎ)も数(かず)をこしらえ、これぞ二度(ふたゝび)、都(みやこ)へ帰るべくも志れがたし、いざ途首(かどいで)の酒(さけ)よと申せば、六人の者(もの)おどろき、爰(こゝ)へもどらぬとは、何國(いずく)へ、御供(とも)申上る事ぞといふ。
されば浮世(うきよ)の遊君(ゆうくん)、白拍子(しらびやうし)、戯女(たはれめ)、見(み)のこせし事もなし、我(われ)をはじめて、此男共、こころに懸(かゝ)る、山もなければ、是(これ)より女護(によご)の嶋(しま)にわたりて、抓(つね)どりの女を見せんといへば、いづれも歓(よろこ)び。譬(たとへ)ば、腎虚(じんきよ)して、そこの土(つち)と成べき事。
たまたま、一代男(おとこ)に生(むま)れての、それこそ願(ねが)ひの道なれと、戀風(こひかぜ)にまかせ、伊豆(いづ)の國(くに)より、日和(ひより)見すまし、天和(てんな)二年、神無月(かみなづき)の末(すへ)に、行方(ゆきがた)志れず成(なり)にけ利。
 
地黄丸(ぢをうがん) 強壮、補血、滋潤
女㐂丹(によきたん) よがり薬
りんの玉(たま) 鈴入り玉で膣内に挿入する性器具
阿蘭陀糸(おらんだいと) 肥後ずいき
牛(すいぎう)の姿(すがた) 男根の張形
錫(すゞ)の姿(すがた) 男根の張形
皮(かは)の姿(すがた) 男根の張形
枕絵(まくらゑ) 春画
伊勢物(いせいもの)がたり 男女間のみだらなことを教える書
のべ鼻紙(はながみ) 遊女などが用いたぜいたくな鼻紙
丁子(てふじ)の油(あぶら) 寝室の潤滑油
山椒(さんせう)薬(ぐすり) 性欲を増進させる作用をもつ薬剤
ゑのこづちの根(ね) 利尿、強精、通経薬、堕胎薬
牛膝(ごしつ) ゑのこづちの根を乾燥させた漢方薬
 

 
1802年、十返舎一九東海道中膝栗毛』の喜多さんこと喜多八(元々鼻之助)は陰間(かげま)で、弥次さんこと栃面屋弥次郎兵衛はその馴染み客。
弥次郎兵衛は元々駿河の裕福な家の出だったのが放蕩がすぎて喜多さんと駆け落ち同様に江戸に出てきたとのこと。
 
東海道中膝栗毛2 東海道中膝栗毛1
東海道中膝栗毛 発端 十返舎一九 著 江島伊兵衛 出版(明治14年)
 
道中膝栗毛發端(どうちゅうくりげのはじまり)

武蔵野の尾花がすゑに。かゝる白雲(しらくも)と詠(よみ)しはむかしむかし浦の苫屋(とまや)。鴫(しぎ)たつ澤の夕暮(ゆうぐれ)に愛(めで)て。仲の町の夕景色(ゆうげしき)を志らざる時のことなりし。
今は井の内に鮎(あゆ)を汲む水道の水長(とこしなへ)にして。土蔵造の白壁建つゞき。香の物桶。明俵(あきだはら)破れ傘の置所(をきころ)まで。地主(ぢぬし)唯(たゞ)は通さぬ大江戸の繁昌。他國の目よりは。大道に金銀も蒔(まき)ちらしあるやうにおもはれ。何でもひと稼(かせぎ)と心ざして出かけ來るもの。
幾千萬の数限りもなき其中に。生國は駿州府中。栃面屋(とちめんや)弥治郎兵衛(やじろべい)といふもの。親の代より相應の商人(あきんど)にして。百二百の小判には。何時でも困らぬほどの身代(しんだい)なりしが。安部川町の色酒(いろさけ)にはまり。其上旅役者華水(はなみづ)多羅四郎(たらしろう)が抱(かゝへ)の鼻之助といへるに打込。
この道に孝行ものとて。黄金(こがね)の釜を掘いだせし心地して悦(よろこ)び、戯気(たはけ)のありたけを尽し。はては身代(しんだい)にまで途方(とほう)もなき穴を掘明(ほりあけ)て留度(とめど)なく。尻(しり)の仕舞(しまひ)は若衆とふたり。尻(しり)に帆(ほ)かけて府中の町を欠落(かけをち)するとて
 
借金は富士の山ほどあるゆへに
 
そこで夜逃を駿河ものかな
 
東海道中膝栗毛5 東海道中膝栗毛4 東海道中膝栗毛3
東海道中膝栗毛 発端 十返舎一九 著 江島伊兵衛 出版(明治14年)
 

 
しいて言えば明治以降(あるいは戦後GHQによる急拡大)、欧米から押し寄せたキリスト教などの「倫理観」が、それまでの日本人の自然な性的指向を偏狭にしたのかもしれない。
 
あたかも西欧の植民地になった原住民が、腰ミノの下にパンツをはかされたり、ブラジャーを着けられたのと同じように、一方的な倫理観または価値観の押付けだったのかもしれない。
 
江戸初期前後に渡来したフランシスコ・ザビエルアレッサンドロ・ヴァリニャーノフランソワ・カロンの声を聞くまでもなく、おおらかな日本人の性的指向に、欧米人はさぞかし驚愕したことも頷ける。
 
宗教的な制約や、法律的に厳しい外国はいざ知らず、ことさらにLGB-Tの人権や権利を声高に叫ぶ・・・古来から様々な嗜好に寛容な日本に果して必要が有るだろうか?
 
学校や企業、レストランに設置されトイレメーカーまで乗り出したオールジェンダー向けのユニセックストイレ、学校の同性教育の授業、LGB-Tの同性婚など権利主張で大騒ぎして、一番困っているのはレズビアンやゲイの方々ではないだろうか。