ジャン・ジャック・ルソー「社会契約論」
17世紀にイギリス王国は「立憲君主制」を確立したようだが、18世紀なってユダヤ人思想家のジャン・ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)が、1762年に「社会契約論」をまとめ、フランス革命に大きな影響を与えたと云われている。
 
社会契約論の第2巻の中で、ルソーは次のように記述している。
  • 人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。
  • 自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。
  • したがって自分は止むを得ず民主主義を選ぶのである。
 
現代日本では、金科玉条のように語られる「民主主義」だが、18世紀のルソーにとって、彼の「社会契約論」では「君主(国王)と人民(国民)の対立のない国」は理想だが、この「君民共治」見つけることが出来なかった為に「民主主義」になったようだ。
 

 
顧みて、平成の現世までの125代続く万世一系の皇統は、君主(天皇)と国民(臣民)の対立は一度も生まれなかったのが日本である。歴史的には、蘇我入鹿弓削道鏡足利義満など皇位簒奪こういさんだつを謀った者はいたが、天皇陛下と民衆が対立した訳ではない。
 
まさに「権威と権力」を明確に分離してきた日本では、ルソーが理想とした「君民共治」「君民一体」を体現してきたと云える訳だ。
 

 
日本書紀の「葦原中国平定あしはらのなかつくにへいてい」、古事記では「大国主の国譲り」として、大国主神の国譲り神話が残っている。この中で、「しらす」と「うしはく」の違いが書かれている。
 
天照大御神の命もちての使せり。うしはける葦原の中つ国に、が御子の知らさむ国と言よさしたまへり。かれ汝が心いかに。(古事記)
 
また仁徳天皇の御製「高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどは賑いにけり」にも御稜威が伝わって来る。
 
君主が領土領民を支配する「うしはく」ではなく、情報を共有する意味の「しらす」は、みんなで集って事物を解決してきた。
 
過去、国内で起こった幾多の争いは、そのほとんどが権力者の中で起こった争いであった事は良く知られている。
 
かつて殆んどの王国は、君主が>領土領民を「うしはく」の支配が多かった訳だが、日本の「しらす」の統治は、ルソーの理想であった「君民共治」に匹敵するのではなかろうか?
 

 
昭和51年(1976年)まで東京都渋谷区の「日本ユダヤ教団」に初代ラビとして勤務したマーヴィン・トケイヤー(Marvin Tokayer)は自著「日本人は死んだ」の中で以下のように云っている。
 
ユダヤ人の真に理想とするものが戦前の日本には多々あったとし、それが戦後全く失われてしまったのを非常に悔んでいる。
 
ここで「ユダヤ人の真の理想」とは、同じユダヤ人であるルソーの唱えた「君民共治」であったのかも知れない。
 
 
 
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