平工京子(ひらくきょうこ)です。
現役の雑誌編集者、
そして究極の
おひとりさまである私が、
「ブログ添削」という、
新しい道を見つけました。
あなたの大切なブログを
たくさんの方に
読まれるブログへ
大変身させるために、
雑誌編集者歴35年の
スキルを持つ私が
お手伝いさせていただきます!
[ネタあり過ぎの私的自分史]
というテーマで
あらためて自己紹介を
させていただいています。
私の家族構成と
幼児のころに始まった
母からの虐待の話。
成績マシーンと化した小学校時代。
70年代のカルチャーを吸収した
フェリス時代。
からの続き
[自己紹介5]で書いた
大学時代のおさらいです。
家族中が進路に口を出す
すったもんだの末、
志望大学に合格したものの
入学できなかった私。
家族全員の妥協点になった
東京造形大学に進学します。
夢を砕かれたことを忘れるように
新しく見つけた目標にまい進。
それは、
専攻していた映画学
(そんなものがあるんですよ~)
を教える大学教授になることでした。
実家から往復5時間かけて
通った高尾山の中にある
大学の研究室で、
フランス映画の分析に没頭。
在学中から、
日本映像学会
(そんなものがあるんですよ~)
の会員となり、
将来を嘱望される研究者として
注目を集めていました。
研究者としての足固めが
着々と進む一方で、
女子力は伸び悩んでいました。
「何となくクリスタル」の本に
端を発した女子大生ブームは
高尾の山の中にも押し寄せていて。
華やかさを振りまく女子たちからは
明らかに遅れをとっていました。
ファッション迷子になって
自信喪失していた私。
それがあるきっかけで
変身したんですね。
何があったかと言うと、
「何クリ」を地で行くタイプの
仲の良かった同級生のメンズに
私のファッションや
ヘアメイクの駄目なところを
ビシバシ言われて、
泣きそうになりながらも
一発奮起したんです。
鏡の中の自分と
とことん向き合って
試行錯誤しながら
今どきの女子らしく
自分に似合うスタイルを
つかみました。
BEFORE
↓↓↓
AFTER
あのときキツイことを
言ってくれたことに
本当に感謝しています。
その彼は卒業後、
電通マンになりました。
なぜなら、
あのときにつかんだ自己演出法、
自分に似合うコーディネート術が
その後のモード誌編集者人生の
基礎になったから。
というのも、
私が花の女子大生ライフには
見向きもせず没頭していた
映画学で大学教授になる道が
またもや家族会議で
否決されたのでした。
へ続く…。
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