読書日記~飢え死にじゃダメなの?~
お久しぶりです。この一ヶ月は職探しも息切れ気味でした。いくつかの仕事に応募して全滅するとしばらくはやる気が起こらず、数週間たってまた応募し始め、それが全滅すると一息つく・・・の繰り返しです。おかげで前回のメールで「読書から遠ざかってる」と書きましたが、暇してるので読書習慣が復活しております。例えば、オスカー・ワイルドの「ドリアングレイの肖像」、サマセット・モームの「月と六ペンス」、ヘンリー・ミラーの「北回帰線」「南回帰線」、ニコライ・ゴーゴリの「狂人日記」「鼻・外套・検察官」、チャールズ・ディケンズの「大いなる遺産」、などを読みました。というのはウソで、これらは読みたいと思って買ったけれどどうにも食が進まず、本棚で眠っている本たちです。本当に読んでいたのはさくらももこさんのエッセイとか沢木耕太郎さんのノンフィクション、エッセイとか東海林さだおさんのエッセイ、です。意識したわけではありませんがエッセイばっかりですね。どれも学生時代に買って家にあったものであらたに買ったものはありません。さきほど、「読書習慣」と書いてしまいましたが「習慣」というほど毎日コンスタントに本を読んでいるわけではありません。本当は一日に3時間ぐらいは読書の時間にしたいのですが実は僕は本を読む行為が苦手なのでなかなか習慣になってくれません。なぜ本を読むのが苦手なのかを書き始めるとやたら長くなるのでまた機会があれば詳しく書きたいと思います。今日はそんな中でもなんとか読んだ本について。さくらももこさんの本を読もうと思ったのは(ありきたりですが)さくらさんが亡くなったというニュースを見たのがきっかけです。中学生時代の僕にとってさくらさんの本は活字が苦手でも唯一最後まで読み通すことのできる貴重な本でした。今回、10冊ほど読みました。さくらさんがすごいのはやはり想像力だと思います。作品の中で多くの人が知らない知識を引用することはめったにありません。誰でも知ってること(材料)を使って作る(料理する)のに誰にも出せない味わいの作品になっています。実はちびまる子ちゃんの漫画は断片的にしか読んだことがないのでこの機会に全巻読んでみたくなりました。逆に、知識の豊富さを出して格好いい文章を書くのが沢木耕太郎さんです。沢木さんのエッセイを読んでいると、文中に本や映画のタイトル、登場人物の名前がたくさん出てきます。そしてすごいのは、僕にそれらの本や映画を読んだり観たりしたくさせてしまうところです。もう一つの沢木さんの魅力は誰にでもわかりやすい山場を設けてくれているところです。読んでいると「おぉ!そういうことだったのか!」という仕掛けがひとつのエッセイで一か所はでてきます。ちなみに最近読み返したのは「テロルの決算」「人の砂漠」「一瞬の夏」「深夜特急」「バーボンストリート」「チェーンスモーキング」「彼らの流儀」「敗れざる者たち」「路上の視野(1~3)」あたりです。ここ20年ぐらいのものは全然読んでいないので近年出版された写真家のロバートキャパに関する本、「キャパの十字架」「キャパへの追走」も読んでみたくなりました。最後に東海林さだおさん。この人のエッセイの魅力、キーワードは「みじめさ」と「ノーガード」。東海林さんほど人間のみじめさを繰り返し書く作家を僕は知りません。そして文章のスタイルがノーガードです。批判を恐れて先回りして手を打っておく、ということがありません。僕の場合、人と喋っていても、ブログを書いているときでもどうしても「いかに遠くへ先回りして批判を回避し、自己を防衛するか」ということを考えてしまいます。東海林さんの本を読むとそんな自分を省みる機会になります。今回のブログではここ一ヶ月の僕の生活の一部を紹介しましたが、本を読み、DVDで映画やドラマを鑑賞していると本当に「今確実に幸せを先送りせずに実践している」という気分になります。先のことを考えずに、一生こうやって生き、そしてしかるべきタイミングで飢え死にしていくのも悪くないんじゃないか、そう思えてきます。しかし親という種族は自分の子供のこういう発想を許してはくれないようです。そのことについて考え出すと頭が痛くなってくるので、この問題は先送りしていこうと思います。今日はこの辺りで。読んでくれてありがとうございました。