働いていない46歳に対する当然の質問に対して僕は・・・
昨日、うちの向かいの家のおじさん(80歳過ぎのおじいさん)と近所の焼き鳥屋に行った。このおじさん(Tさん)、このブログでも今まで数回登場してる、僕が小さい時からお世話になってる方。焼き鳥屋に着くと、Tさんと親しい常連客のおじさん達もいた。僕にとってはその常連客は、初めて会う人達だけど、うちの父のことはよく知っているようで、「おぉ、オカさんとこの息子さんね」となると、続く会話は当然のことながら「今きみは何の仕事してるの?」という方向に流れていくわけで、、、そりゃそうですよね。向こうだって別に僕に興味あるわけではないから、46歳の男に対する、当たり障りない(と社会通念上思われている)上(↑)のような質問がくるわけです。僕がなぜ46歳にして働いていない状況に至っているか、について飲み屋で今日知り合った人に対していちいち熱弁するわけにもいかないじゃないですか。というか、喋ろうと思ったとしても理由が複雑すぎて簡単には説明できない。さらに言えば、働いていない理由について自分なりに明確にわかっていることでも「そこは人には言いたくない」部分だってあるわけです。例えば、僕の中では、「生涯をかけて追及していきたいいくつかのこと」は明確にありますが、人に言うべきことではないと思っているので言いたくない。そういう部分を避けながら知り合ったばかりの人の質問、会話をかいくぐるのはかなり至難の業なわけです。だから当然、言い淀んだりして変な間もできてます。昨日は、一緒に行ったTさんがそんな変な間を察知してか、Tさんなりの、僕が働かないに至った理由と現在働いていない理由を他の常連客に説明するという、かなり目を覆いたくなるような展開になった。しかもその説明が(当然のことながら)、僕にとっては「全くの的外れ」な説明で、小さいころからお世話になってる人とはいえ、軽い殺意を抱かせるようなものだった。こういうことがあるともう二度とTさんと焼き鳥屋に行きたくない、と思えてくるし、的外れな説明を深くうなずきながら聞いていた常連客たちとも会いたくない。というわけで、昨日は今後の人付き合いを考えさせられる会でした。あ、それから、常連客のおじさんたちはみんなほぼ同じ考えを持っていました。すなわち、「働いて、多少稼いで、その金で人と遊ばなきゃダメ」という考え。皆一様に、地元の人との交流を宝としてとらえていた。考えてみれば、焼き鳥屋に集ってくるような人たちだからそういう考えの人ばかりになる、というのも頷けるといえば頷けるわけですが。けれど、僕は全くそうは思わないので。一人ぼっちで思索を深めるための時間こそが最高の宝だと思っているので、僕の人生に何らの示唆を与える内容を持たない飲み屋のおじさん達との交流はぐったりする原因にしかならない。少なくとも、しばらくは焼き鳥屋行かなくていいや、と思った夜でした。それでは、今日はこのへんで。長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。