吟味されない人生は、生きる価値はない。 | アバウト福田のこんな感じ

アバウト福田のこんな感じ

インターネット活用コーチ 福田浩です。
コーチングのこと、インターネットのことなど、思いつくままにお話しします。

夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^o^)

 

姪っ子の写真を撮ろうとすると、フードを被ってしまいました。

 

なんかね。思春期らしいですよ。自称。

毎日、楽しそうだから良いんですけどね。

 

「アドラーを読む」を読了しました。

 

 

岸見先生と話をしているような、そんな気持ちで読みました。

 

アドラー本がたくさん出ていますが、アドラーってね。難しいと思いますよ。

読みようによっては、矛盾しているように思えるところもあります。

「そんなこと言ったってさ」って思うところもある。

 

全体としては、とても厳しいと僕は感じます。

なんでこんなに本が売れるんでしょうね。

 

岸見先生がこの本の「あとがき」に書かれていること

 

こんなことをいうアドラーから私は何度も逃げ出したいと、思った。

ソクラテスは「吟味されない人生は生きるに値しない」と言っている。アドラーを読むことは、自分の生き方を吟味することである。

僕は、先生のこの言葉に、大きく頷きます。

その通りだと思う。

 

僕たちは、いろんな上っ面の知識、ドクサっていうのかな、をくっつけながら生きている。

 

外から来た刺激に単に反応していること。

深く考えること無く、なんとなくそう信じていること。

そういう諸々のモノに対して、「吟味する」という態度は、ソクラテスの言う「より善く生きる」ということと同義なんじゃ無いかな。

 

それを僕に教えてくれたのは、学生の頃に読んだ林竹二先生の著作でした。

 

何か新しい考えに触れたときに、それに単に反応し、なんとなくそう信じているのであれば、それはまぁ、物知りになろうとしている。あるいは自分の都合の良いところだけをとりだして喜んでいる。。。僕はそういう読み方はしない。

 

アドラーの言葉に触れたときに、「君はどう思うんだ」と迫られているように感じます。

それだけ、アドラーは厳しいと思うし、自分の考え方を「吟味」するには、格好の「好敵手」だと思います。

 

あとがきの最後の引用に、僕は深く共感します。

君たちは、もし僕の言葉に従ってくれるなら、ソクラテスのことはあまり気にしないで、それよりもずっと真理のほうを気にかけてくれたまえ。

そして僕の説くところに真実があると君たちに思えたな同意すればよし、もしそうで無ければ、あらゆる議論を尽くして反対してくれたまえ。