夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^_^)v
「親鸞とパウロ」という本を紹介しました。
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僕がこの本の中で、一番このブログで書きたいと思ったのは、この言葉です。
相対の絶対化
八木先生はこのように言います。
(p239)
私は「相対の絶対化」ということは恐ろしいと思うんです。これは「人間的」というより悪魔的だ。
戦争とか、大量虐殺とか、破壊とか、一方的な支配とか、侵略とか、先入見、偏見、対話や交わりの拒否、傲り、問答無用の態度、無知、無関心、曲解、そういうものはみな「相対の絶対化」からでてくる。
ただし、それから自由になることはあり得ると思うんですね。
自分の相対性を自覚するということですね。それはできることだと思うんです。
(中略)
それは相対の相対性に「目覚める」ことです。
「相対の絶対化」という「罪」について、ただ「赦し」とか「義認」とかを言うことはできない。
だいたい、相対を絶対化している人間はあくまで絶対を絶対化していると思い込んでいるから、自分の「罪」に気付かない。
「罪」の意識も無いし、本人は正しいことをしていると信じ込んでいる。
こういう状態に罪人の「義認」を説いてもはじまらない。
グノーシスだと言われても「目覚め」のほうが必要だと思う。
人間に煩悩がつきまとうのは仕方ないとしても、相対の絶対化はほんとうに克服しないといけない。
相対の絶対化、なにを絶対化とするかというと、自我、アドラーで言うとライフスタイルですね。
私が世界を見るときのフィルターです。岸田秀先生によると人間は本能が壊れているので、その代わりに自我という言葉を前提とした論理体系を持つようになったと言うことです。
パウロは、「律法」をしっかりと守っていると自負しているエリートなユダヤ教徒でした。
律法というのは、神との契約ですね。契約をちゃんと守っているから「義とされる」ということです。
パウロは「自分は正しい」と信じてキリスト教徒を迫害していた。
「迫害」をする人の論理というのはそうなんでしょう。
自分は正しい、自分は絶対だと思っている。。。その根拠もいろいろと揃えているんでしょう。
しかし、それは如何に客観的に「正しい」としても、「私のライフスタイル」という相対的な、あるいは仮のフィルターを通して見ているのだということに変わりはありません。
ネットなどを見ていても「自分は正しい!」「あいつは間違っている!」という叫び声があちこちから聞こえてくるようです。
なんでそんなに怒ってるんだろう。。。って思うんですね。
共産主義がね。僕らが子供の頃はメーデーとかがあって、メーデーの歌を歌ってました。
僕もお父さんの肩に乗って見に行ってました。
「きけばんこくのろうどうしゃ~♪」
共産主義というのは、僕はよく知りませんが、マルクスもエンゲルスも「理想」を掲げたんだろうと思うんですよ。
ただ、一つ致命的な欠陥は「私たちは正しい!資本家を倒せ!」とやっちゃったことなんじゃないかな。
「私は正しい!」って言っている人は、なんか敵を作るよね。
これは「正しい」ということは、ひとまず脇に置いておくと、私と「敵」の関係はアドラーの言う「縦の関係」なんだろうと思うんです。
極論かなぁ。。。僕はそうは思わないんだけど。。。こんなことを考えています。
アドラーはこう言うんですね。世界を敵と見るのか味方と見るのか。
そんなのウソやん。敵も居るし、味方も居るよ。世界はそんなにシンプルやないよ。
ここで、「相対の絶対化」ということを持ち出してくるとね。
「私は正しい!」という人は、自分の「ライフスタイル」を絶対化している。
「絶対化」しているアイディアが崩れると「怖い」から、ますます絶対化する。
そのために「怒り」と言う感情を使う。
「敵=異質な意見」を寄せ付けるのが怖い、「コミュニケーションを取りたくない」というのが「怒り」の目的の一つかも知れない。
正しい自分の方が間違っている「敵」より上だと思いたいのでしょう。
じゃぁ、「横の関係」というのが何かというと、「相手とのコミュニケーションを取りたい」ということなんでしょうね。
「敵=異質な意見」に対しても心を開く。
もしかしたら自分の「ライフスタイル」は崩れるかも知れないけれども。
と言うことは、「縦の関係=敵」「横の関係=味方」という状態のことを言っているではなくって、「横の関係=敵とも(敵だからこそ)コミュニケーションを取る」という「意志」のことを言っているんじゃ無いか。
そうすると「世界を味方と見る」というのも、「みんな仲良し」という状態を言っているのでは無く、世界が敵だらけであろうとも、世界が敵だらけであるからこそ、「正しいということはひとまず脇に置いて」心を開いて話そうと言うことじゃないかな。
そういえば八木先生も「隣人愛」を「敵だからこそ愛すること」だと仰っていたなぁ。
それに気付いた「あなたから始めなさい」とアドラーは言っているような気がします。