社会的な健康と共同体感覚 | アバウト福田のこんな感じ

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インターネット活用コーチ 福田浩です。
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夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^_^)v

 

健康経営についてのディスカッションに参加してきました。

 

健康というとね。僕が思うのは、WHOの定義ですね。

「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも」ってやつ。

 

肉体的な健康、精神的な健康、社会的な健康。それぞれについて考えないといけないと思うんです。

 

肉体的な健康というのは分かりやすい。定期検診とかね。スポーツをするんだとか。いろいろ有ると思うんです。

精神的な健康というのも、最近は注目されはじめたのかなと思います。メンタルチェックとかね。

 

肉体的な健康と精神的な健康、この二つは個人を見ている。

社会的な健康というのは、グループ、あるいはグループと個人の関わり合いを見ています。

少し観点が異なると思うんですね。

極端な言い方かも知れませんが、社会的な健康がベースに合って、それが精神的な健康、肉体的な健康へと繋がっている。

これは「企業」だけの問題では無くって、考え方としてはいろんな「社会」に、家庭から国家、あるいは世界にまで広がることなのかも知れません。

 

そんなことを考えて居ると、ふとこんなことを連想しました。

 

発達障害についてちょっと興味を持っているんだというお話しを以前しましたでしょ。

未だ、理解が薄いんですけどね。今の理解で言うと。。。ということで勘弁してもらうとして。

 

自閉症っていうと、この言葉から「自分を閉じている人」だと僕は思っていたのですが、どうもそうじゃないらしい。

この人たちは、普通の人に比べて、何かがスゴく出来たり、何かがスゴく出来なかったり、要するにアンバランスなんですね。

だから、集団生活に入ったときに、「不安」なんだと。

だから、自分を閉じるんや。。。分かるわあ、僕もそう言うところ有るわ。。。まだあんまり読み進んでいないので合っているかどうか分かりませんが、そう受け取っています(^_^;)

 

でもね。才能って言うのは、そもそもそういうものじゃ無いのかな?

 

いろんな対処の方法を見たんですが、要するに何かというと、そういう人たちが安心して過ごせる場を作ろうよと言うことじゃないかな。

それはね。「自閉症」という問題じゃ無くって、全ての人にとって、ということじゃないかなぁ。

 

そこでね。連想したのが、アドラーの共同体感覚。

共同体感覚は、文字の如く『共同体と思える感覚』です。言い換えると『他人を仲間と思える感覚』のことです。

http://xn--cck1d7d6c.com/8items/social-interest/

 

他人を仲間と見る感覚。他人を味方と見る感覚。

う~ん、よく分からないなぁと思っていました。

じゃぁ、仲間って何? 味方って何? 敵って何なの? ってことになるでしょ。

 

難しいと思うんですよね。

 

でも、一つ、ここで気付いたことがあって。

 

アドラーは、仲間のことをMitmenschen、つまり「繋がっている人」「一緒に居る人」と言っています。Mitmenschlichkeit、人が繋がっていることですね。

その逆の状態を表すのに「敵国に居るような」という表現を用いています。

 

「敵国に居るような」。。。どうですか。そういう思いをしたことはありませんか?

会社でもそんなことありますよね。

 

そう考えるとね。上司や同僚は「味方」と言えるだろうか?

そこが「敵国に居るような」場であれば、それはMitmenschenとは言えないんじゃ無いか。

 

社会的な健康というのは、そこが「安心の場」であるのか、「安心感を持って過ごせる場」であるのか、と言うことでは無いかな。

それは、メンバーへの「信頼」がベースにあるのでしょう。

そういう場は、誰かが「提供」するのではなくって、メンバーがともに作っていく場だと思うし、僕はメンバーを巻き込んでいくリーダーシップが、少なくとも最初には必要なんだろうと思います。

 

そんなことをツラツラと考えました。