眼鏡を替えるようにライフスタイルを替える | アバウト福田のこんな感じ

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インターネット活用コーチ 福田浩です。
コーチングのこと、インターネットのことなど、思いつくままにお話しします。

夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^_^)v

 

ちょっと、気になったことがあったので、書いておきます。

 

人はそれぞれ自分のフィルターを通して世界を見ています。

アドラー心理学では、そのフィルターをライフスタイルと呼んでいます。

ライフスタイルは、人がそれぞれ作っていくモノ、つまり仮のモノです。

 

人が自分のライフスタイルを自分の中から見ることは困難です。

ですから、自分が何かを見たときに、自分の「感じ方」が正しいと思いがちです。

しかし、他の人は、別の「ライフスタイル」を持っています。当然に感じ方は異なります。

 

「私」を中心において、万巻の書を読んだとしても、万人の賢者の話を聞いたとしても、それは「私」のライフスタイルを通して、私に「都合の良い」ことが見えたり聞こえたりするだけのこと。

「あなた」が「私」と異なる意見を述べるとき、「私」は「私が正しい!」と叫びはじめます。

 

しかし、「あなた」も「私」と同様に、掛け替えのない一個の人格です。

たとえそれが「私」にとって受け入れられない意見であったとしても、それは「あなた」のライフスタイルからは「私」と違うものが見えているだけのことに過ぎません。

 

「私」が「あなたは間違っている」というとき、「私」を「あなた」よりも優位に見ようとしていないだろうか。

つまり、アドラー心理学で言う「縦の関係」ということですね。

「あなたは私のように正しい考えを持っていないのだ」と考えて居ないだろうか。

 

アドラーの言う「横の関係」であれば、少し対応が変わるのでは無いでしょうか。

アドラーの言い方を借りれば、「あなたの目で見、あなたの耳で聞く」

 

「私は〇〇と見えている。あなたには△△と見えている。あなたにはなぜそのように見えるのか知りたい」

そんな素朴な疑問が湧いてくるのでは無いでしょうか。

 

もちろん、「あなたの目で見、あなたの耳で聞く」ことは出来ません。

しかし、出来ないからこそ「あなたの目で見、あなたの耳で聞く」

つまり相手の立場に立つ、英語では in someone's shoes なんて言いますね。

大切なことは、「私を相手のところまで動かす」ということなのでしょう。

 

これはまさにU理論で言う「判断の声(Voice of judgement)」「皮肉の声(Voice of cynicism)」を越えると言うことに他なりません。

 

私を動かす。私の外に出すことで私のライフスタイルに気付くことがあります。

それが「自分を吟味する」ということ、「吟味しない人生には意味が無い」と言うことですね。

ところが、ここで「私のライフスタイル」を替えなければならないと気付くことがあります。

 

これは今までの「私」を否定することに他なりません。

とても怖いことです。これがU理論で言う「怖れの声(Voice of fear)」です。

「私」の中での「戦い」があるわけです。

 

ですから、「横の関係」というのは、なんとなく良い感じに見えますが、実はとても厳しいことなんだろうと思います。

お互いに否定せずに、なぁなぁで。。。と言うことで有れば問題ないんでしょうけどね。

 

そこで、お題にした「眼鏡を替えるようにライフスタイルを替える」ですね。

こういうことが、当たり前のように「できる」ということが僕の理想です。

それは「私からの自由」と言っても良いのかも知れません。

 

ライフスタイルというのは「仮のもの」という自覚がその前提にあります。

「男子三日会わざれば」と言いますが、サラッと眼鏡を替えるようにライフスタイルを替えたいモノです。

 

ところで、世の争いというモノは、この「私」のあり方、「私が正しい!」と私を固定することに起因するのではないでしょうか。

「私」をますます堅く守り、「あなた」との接触を断とうとする。そんな場面を見かけます。

 

「相対の絶対化」という言葉をどこかで見かけました。

仮のモノは仮のモノ、そんなものに執着してもしかたがありません。

 

ですから、ここの書いたことも、明日には別なことを言っているかもしれません。