#ちょっと小耳に(23)

座右の銘?

前回は、2度生活をした札幌時代と単身赴任の話をさせてもらいました。

 

今回は、座右の銘についてです。

座右の銘、と言えるかわかりませんが、私の銘は「人生どう転ぶかわからない」ということです。

今回も少し長くなります。また内容が重なるところもありますが、ご容赦ください。

 

簡単に、これまでの人生を振り返ります。

私は熊本で生まれ育ちました。実家がありましたので、一生熊本あるいは九州の中で過ごすのだろうと漠然と思っていました。

ところが、中学3年生の2学期に青天の霹靂で札幌へ転校。火の国から北の大地です。言葉や食文化など多くが異なる環境の中、馴染む前に中学を卒業。

高校も無事卒業し、大学で上京。

在学中に速記者が天職だと思い込み、卒業後に速記を学ぶもその職に就けず会社員となる。数年後国家公務員に転職。その後再任用も含め37年間奉職。

退職後、楽らくメモ速記の eラーニング講座及びホームページを制作し、念願の速記普及事業に本格的に携わようになり、現在に至る。

ざっくり言うと、こんな感じです。

 

ただ、このようなものだと大した経験ではありません。

では、どこが「人生どう転ぶかわからない」と思っているのかですが、以前のブログで触れましたが、札幌に転居して早稲田速記のテレビコマーシャルを見ました。

大学3年生のときにそのコマーシャルが頭をよぎり、速記が天職と思い込み速記学校に進みます。しかし、速記の仕事には就けず会社員となります。

数年勤務しますが、速記関連の業務ではなかったため転職を決意します。

決意したものの、当時は転職するにも今ほど情報はなく、また就活経験もないので転職の仕方がわかりません。速記の実務経験もないので速記事務所は敷居が高く感じました。

考えた末、年齢的にまだ受験できた国家公務員試験を受けることにしました。

受験申込みにはぎりぎり間に合いました。試験まで3か月ほどしかありませんでしたが、幸運にも合格しました。

公務員には中途の採用でしたので、転職準備もままならず、会社を退職した翌日には新しい職場で勤務していました。27歳半ばになっていました。

公務員時代は国内外で様々な業務を経験しました。また約10年にわたる数か所での単身赴任も経験しました。そして速記に戻ってきました。

 

私はここに運命を感じています。最後は自分は速記に戻ってくるということです。

国家公務員として様々な業務と有益な経験をさせてもらいました。その経験は今後に生かされると思っています。そのために公務員試験に合格したのだと。

つまり、速記に関することをするように運命づけられていて、その始まりが早稲田速記のコマーシャルを見たことだと思っています。

整理すると、

熊本では流れていなかったコマーシャルを札幌で見た(見るために転居した)

都内にあった早稲田速記学校で学んだ(学ぶために都内の大学に行かされた)

速記の仕事には就けなかった(国家公務員での経験が必要とされた)

公務員時代にはメモ取りに速記を活用していた。この経験が今生かされている(メモ速記を考案するために速記者にはなれなかった)

 

「人生どう転ぶかわからない」とは、人は運命に従って動かされるので途中いろいろなことがあってもそのときはわからない。いつか振り返ってみたときにわかる。そのいつかは恐らく人生も終盤だろうと思います。

人は何かを成すために生まれてくると言われます。自分の場合は多分それが「速記」に関連することなんだろうと思っています。そうであれば、少しでも貢献できるように精進したいと思っています。

いずれにしても、どう転ぶにしても、勉強していくことは大事だと思っています。

最後は大層(強引?)な話になりました。

個人的な勝手な解釈ですが、私は今のところそう信じています。

(つづく)

 

 

これまでの「ちょっと小耳に」

(1)速記の始まりと今

(2)日本の速記はいつから?

(3)第1回議会からの会議録があるのは日本だけ! 

(4)日本の速記方式(前編)

(5)日本の速記方式(後編)

(6)弟子たち

(7)他の速記方式は読めない、書けない

(8)原文帳(げんぶんちょう)

(9)速記用語

(10)速記教練会

(11)速記競技会 

(12)なぜ速記に惹かれたのか

(13)なぜ速記が生まれたのか

(14)憲政記念館

(15)速記学校の思い出

(16)学問に王道なし?

(17)速記と鉛筆(前編)

(18)速記と鉛筆(後編)

(19)速記文字はロゼッタ・ストーン?(前編)

(20)速記文字はロゼッタ・ストーン?(後編)

(21)裁判所はなぜ速記用タイプライターなのか

(22)札幌生活と単身赴任