◎「たのもし(頼母子)」

「たのめおほし(頼め生ほし)」。「たのめ(頼め)」はその項(12月10日)。「おほし(生ほし)」は「おひ(生ひ)」の使役型他動表現。「たのめおほし(頼め生ほし)→たのもし」は、信頼やあてを発生させ育てること、ということなのですが。この語は鎌倉時代に発生し江戸時代に普及した、庶民における金融システムの名であり、構成員を決め、その成員が一定期日ある掛け金を出し、これを貯めておき、ある期日に抽籤などで決めた構成員がその(手数料などはひかれたではあろうが)全額を受け、これを構成員全員が受けるまでおこなう、というもの。つまり、将来多額の金が入るというあてが育ち、それを楽しみにしよう、ということです。その構成員全体は「頼母子講(たのもしカウ(漢音))」という。「念仏講」「無尽講」「女人講」その他、さまざまな「講」がありますが、「講」という字は『説文』に「和解也」とされ、他の書でも「論也」とされるような字であり、この語を上記のような意味で用いるのは日本独特のこと。

「頼母子 京坂ニテハタノモシト云 江戸ニテハムジント云 無尽ト書ス」(『守貞漫稿』)。

 

◎「たのもし(頼もし)」(形シク)

「たのめおひおひし(頼め生ひ生ひし)」。「たのめ(頼め)」はその項(12月10日)。「たのめおひおひし(頼め生ひ生ひし)→たのもし」は、信頼させ、あてにさせることが大きく生ひ育っていく思いであることを表現する。なにかに対する、それを信頼しあてにする思いがますます不安のない状態へ向かっていく心情にあることを表現する。

「たのもしきもの  心地あしきころ、伴僧あまたして修法したる。心地などのむつかしきころ、まことまことしき思ひの人のいひなぐさめたる」(『枕草子』)。

「たのもしき道に入(はひ)りてゆきしかどわか身をつめはいかかとそおもふ」(『山家集』:これは死んだ妹を弔った際の歌という前書きのあるものであり、たのもしき道(仏の道)に入(はひ)りいったのは妹で、我が身をつきつめて思うとどうだろう、ということか)。

 

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