◎「たば(束)」

「たばねにする(束ねにする)」の「ね」が退化し「たばにする(束にする)」と言われ生まれた語。意味は、束(たば)ねたもの。「たばね(束ね)」はその項。

「タバニスル つかぬる」(『詞葉新雅』:「つかね(束ね)」は束(つか)の量(だいたい人の片手一掴(ひとつか)み)でまとめること)。

「花束(はなたば)」、「サツたば(札束)」、「たばになってかかって来い」。

 

◎「たばかり(謀り)」(動詞)

「ためはかり(為謀り)」。「ため(爲)」はその項。「はかり(謀り)」は努力の経過やその結果・成果を決めたり認定したりすること→「はかり(計り・測り・量り・図り・諮り・推り・謀り)」の項。「ためはかり(爲謀り)→たばかり」は、「~のため」という目的性をもって思考努力をしそれにもとづき様々な努力をすること。いろいろと工夫したり計画をめぐらしたりすることを意味しますが、「たばかり」という語自体は中性であり、その努力が善意でなされるか悪意でなされるかは表現せず、どちらの意味でも用いられる。それが悪意を表現し用いられ、人を陥(おとしいれ)れるためのものであった場合、だます(騙す)・罠(わな)にかける、という意味になる。

「くらつまろと申(まをす)やう、『子安貝(こやすがひ)取らんと思(おぼ)しめさば、たばかり申さん』」(『竹取物語』:この「たばかり」は、動詞のようにも読めますが、名詞でしょう。深く考えた、子安貝を手に入れるための方法を言おうということ)。

「大将軍これを見給ひて、『佐々木に謀(たばか)られぬるは。浅かりけるぞ。渡せや渡せ』と下知し給へば…」(『平家物語』:この「たばかり」は、大将軍が、深くて危険だ、やめろ、と命じたにもかかわらず佐々木がこれを無視し馬で海を渡り、渡りきってしまい、なんだ渡れるじゃないか、と思った大将軍が言ったもの。だまされた、のような言いかたをしていますが、だまされたわけではなく、自分が情況に無知だった。臆病と言われるのが嫌さに見栄を張った言いかたをしたわけです)。

「中臣鎌子連(なかとみのかまこのむらじ)、蘇我入鹿臣(そがのいるかのおみ)の為人(ひととなり)疑(うたがひ)多(おほ)くして晝夜(ひるよる)剱(たち)持(は)けることを知(し)りて、俳優(わざひと)に教(をし)へて、方便(たばか)りて解(ぬ)かしむ」(『日本書紀』:工夫し、なにごとかを言ったりし、太刀を取り去らせたわけです。これは「大化改新」(645年~)において蘇我入鹿が殺される直前のできごと)。