「ぬむはたまの(「~ぬ」「~む」は魂(たま)の)」。「ぬ」は完了を表現するそれ。「む」は推量など、想の動態にあることを表現するそれ。「ぬむはたまの(「~ぬ」「~む」は魂(たま)の)→ぬばたまの」は、完了をもって表現される現実なのか、想的に表現される夢なのか、それは魂(たま)によること、という意味。それは人には見えない闇の世界のことでありしかし、夢の光はある、そんな世界。この枕詞が、光を含む闇、光を含む黒、というようなことやものを表現する。「夜」にかんする語、「黒」にかんする語、「(天体たる)月(つき)」や「夢」などにかかると言われる状態です。「ぬばたまの妹(いも)」(万3712)という表現もある。闇のなかの夢の光のような妹(いも)なのでしょう。音(オン)は「んばたま」のような退行化を生じつつ「うばたま」や「むばたま」にもなる。

「子らが家道(いへぢ)やや間遠(まどほ)きをぬばたまの(野干玉乃)夜渡る月に競(きほ)ひあへむかも」(万302:「競(きほ)ひあへ」は、競(きほ)ひきる、いい勝負、のような意。「野干玉」という表記は、草性植物ヒオウギ(檜扇)の根茎を乾燥させたものは生薬となり、「嫩射干(ドンヤカン)」と呼ばれ、単に「ヤカン射干)」とも言われ、その植物自体もヤカンと呼ばれ、「野干(ヤカン)」とも書かれた。その実は球状で、黒と言ってよい濃紫であり艶やか。これが「野干玉」であり、「ぬばたま」の表記に用いられた。その影響で、ヒオウギの実もヌバタマと呼ばれるようになる)。

「ぬばたまの(烏玉乃)夜霧の立ちておほほしく照れる月夜の見れば悲しさ」(万982)。

「ぬばたまの(奴婆多麻乃)月に向ひて霍公鳥(ほととぎす)鳴く音(おと)遥けし里遠みかも」(万3988)。

「相思はず君はあるらしぬばたまの(黒玉)夢にも見えずうけひて寝れど」(万2589)。

「ぬばたまの(夜干玉乃)今夜の雪にいざ濡れな明けむ朝(あした)に消なば惜しけむ」(万1646)。

「ぬばたまの(奴婆多麻能) 黒(くろ)き御衣(みけし)を まつぶさに 取(と)り装(よそ)ひ 沖(おき)つ鳥(どり) 胸見(むなみ)るとき…」((『古事記』歌謡:最後の部分は、想いは遥か彼方へ行き夢の世界にいるような状態になっている)。

「居明かして君をば待たむぬばたまの(奴婆珠乃)我が黒髪に霜は降るとも」(万89)。

「いとせめてこひしき時はむは玉のよるの衣を返してそきる」(『古今和歌集』:これは「むばたま」)。