『風土市のふふふ』に行ってきました♪
こんばんは♪AKIです^^ブログへの訪問ありがとうございます(*´ω`*)23/03/26(日)の今朝は、道中沢山のところで綺麗に咲く桜を観ながら、『風土市のふふふ』に参加してきました!(2度目の参加)Login • InstagramWelcome back to Instagram. Sign in to check out what your friends, family & interests have been capturing & sharing around the world.www.instagram.com今回の参加者は、主催者の佐野朝子さんと、わたしを除いて1組でした。わたしが来るより前に既にいらっしゃってて、主催者の方と沢山の子供達と賑わってらっしゃいました。いまだに初対面の方に話しかけるのに勇氣が要るわたしです( ´艸`)w切り口は、挨拶と「何故『ふふふ』を知ったのか?」「なぜ参加しようと思ったのか?」という突然の質問から汗(いきなりがっつき過ぎた感が否めなかったすみません)しかしながらあまり波長が合わなかったといいますか、あまり話が発展することはありませんでした泣笑なのでほぼ主催者の佐野朝子さんとお話をしておりました。前回聞き逃していた質問などを改めて尋ねたり、『仕事って何だろう』『このようなやり取りが世界の主流のライフスタイルになったらどうなるか』などというテーマでお話をしました。聞き逃していた質問というのが、①「ギフトエコノミーを知って何故それを実践しようと思ったのか」②「ギフトで循環する世界のイメージはあるかどうか」というものです。①の回答は、「知行合一(チコウゴウイツ)」であることと、単に興味を持ったからということでした。ちなみに「知行合一」とは、実践・行動が伴わなければそれは知らないのと同じだ、という意味です。朝子さんも、自分がやっている事しか知らないと仰っていたので同じことですね。更に、純粋に興味を持ってやってみようと思っただけとのことでした。②の回答は、全くしたことがないうわけではないけれども、自分がやることの結果についてはそこまで考えてない、考えない様にしている。とのことでした。これを聞いて、わたしは驚きを隠せませんでした。素晴らしい!!と感じたからです。自分の行動による結果について深く考えることなく、さらに、何の為でもなく、純粋にやってみたいと感じたからやってみた。と。これは本物やぁぁぁぁぁあ!!とわたしは心の中で叫びました笑何故なら、ギフトの循環の世界の生き方を既に体現なされていたからです。具体的に説きますと、ギフトで循環する調和文明で人は、ただやりたいと感じたことを、それをしたことによる結果に囚われずに無条件にただやるというスタイルで自分が何をするか選択しています。もっと言いますと、何らかの結果の為に〇〇をする、ということをやらない。言い換えれば、その”何か”という目的や結果がなければ、やらないということ。その条件がなければやりたいと感じない。条件付きの行動なんですよね。さらにそれは、結果という未来を生きているということでもあり、言い換えれば、今を生きていないということでもあります。それはその条件が満たされなければ、幸せを感じられない生き方なのです。つまり、自分の感覚からズレた偽りの自分を生きているということなんです。(※わたし個人の見解です)ただ純粋にやりたいと感じたから無条件にやる、というのが、わたしからすると、本当の自分の生き方です。今この瞬間を生きている在り方です。自分の感覚に沿った選択です。自分を愛する生き方です。そしてそれが、ギフトの循環の土台でもあるのです。だからこそ、わたしはとても驚かされたのです。わたし自身、これまで、ギフトの循環によって世界はこうなるだのそうなるだの、イメージを沢山膨らまして、かつては、そしてその世界を目指したり、その為に広めようとしたり、創造しようとしたり、つまりは、結果の為に行動していた節が色濃くありました。他人に見返りを求めた生き方を卒業したと思っていた自分が、結果のために選択するという、宇宙に見返りを求めた選択をしていたことに氣付かされるまで2年ほど掛かりました。フラクタルな現実であったことも再確認。ですので、わたし的には結構大変な試練だったといいますか、だからこそ、無自覚にそれを体現していらっしゃる、無自覚だからこそ、尚一層素晴らしい、朝子さんの『風土市のふふふ』を始めたきっかけというものをお聞きして、こりゃ本物ですやん!!と強く感じさせられたわけです。感無量でした。そして、そこに来る人達もきっと、結果に固執せずに、そのイメージすらすることなく、ただ使わなくなったもの、使わないモノなどをそれによって世界がどうなるかなんて一々考えずに無償でギフトしに来ているだけなんでしょうね。だからこそ、今のわたしとまだちょっと波長が合わないのかもしれません。ちょっとわたし自身が押し強めなんですよねw自負するくらいには(オィwこういったことを含め、今回もかなり楽しくお話をさせて頂きました♪あと、さらに驚いたことが、今回は会場のお寺の掃除をわたし以外の皆さんが率先して楽しそうにやっていたことです。子ども達も文句ひとつ言わずに、お寺の建物の入り口付近の床を拭いていました。わたしはその光景を内心驚きながらしばらく傍観していてました。なんというか、皆純粋に、掃除をやりたくてやっているというのが凄く伝わってきて、正直に申しますと、わたしはそこまでその掃除に参加したいと感じられなかったのですが(手が水に濡れるのが苦手なこともあり)それがなんだか恥ずかしかったんですね。勿論、皆がやってるから自分もやらなくてはいけない、だとか、皆がやってる事をやろうとしない自分がダメだと自分を卑下する必要もないし、自分が情けないと感じる必要もない。自分を偽ってそこに参加する必要はないことも承知でした。ですが、今回のこの光景を見て、感じて、自分の中に「皆がやってることを率先してできない自分は恥ずかしく情けない存在だ」というまだこのような古い定義・価値観ががあったことを発見することができました。つい、そんな自分が居てもたってもいられなくなって「何かやれることありませんか?」と申し出ちゃって、自分の古い価値観に流されてしまってしまいました。そして、お寺の畳に掃除機をかけている自分が居ましたwいやぁーーやっちまったwwお読みになられてる方からしたら、お寺の掃除をしたのだから素晴らしいじゃないかと思われるかもしれませんが、これは、わたしにとっては、ある種、自分が握りしめている古い価値観に流されない試練・トレーニングだったんですよね。決して、掃除することが嫌だったわけではありませんよ汗ただ、進んでやりたいと感じていなかったのも正直な感覚だったのです。自分にとって、ちょうどマイナス寄りのゼロポイントに居た感じですかね。考え過ぎかと思われるかもしれませんが、本当の自分を生きるって、こういうことの積み重ねなんだと感じているんです。本当の自分ではない生き方で誰かに喜ばれるようなことをしてもそれは結局誰にも喜ばれないし、自分も幸せで居られません。なので、どんなに皆がそれをしていて、それをやりたいと感じられない自分が居て、そこから、それをしないことで自分が情けない人だとか、掃除も出来ないダメなやつだとか、使わせてもらった場所なのにそんなことも出来ないのかとか、自分を卑下するような思い込み、誰もそんなこと思ってないのに自分が勝手にそう思ってしまっても、そう思われたくない、そんな情けない自分から逃れたいがために、周りの人に合わせるようなことは、無条件で在りのままの自分を認めるということからズレまくった愛のない選択なので、次からは、クリアしていきます!いやぁー。久しぶりにコワい体験でした。コワいの分かります?「あの人、自分が使った場所の掃除もしないなんて」「子供達も皆自らすすんでやってるのに大人のあなたはやらないなんて」誰もそんなこと思ってないし、頼まれても断る自由もあるのに、育つ過程・集団行動などでこびり付いてしまった、誰も幸せにしない古く役に立たない価値観をもった在りのままの自分を許さない自分が恐れに基づいて、「立派な人間になれ」「今の自分じゃダメだ」「いい人であれ」「素敵な人でありなさい」と言ってくる。これに幻想だと氣付いて、このようなネガティブなエゴに「本当の自分に氣付かせてくれてありがとうさようなら」「わたしは既に素敵な人ですから、もう何の役に立たないその意味不明な意見は採用しません」と告げ、さらに、究極、「役立たず」「人でなし」「ダメな人」と他人に思われたり、失望されたり、嫌われたりしても構わないと腹を括り、他人からの目や評価を気にせず、気にしてしまっても恐れに流される選択だけは採らない、どう思われようとも本当の自分自身を生きる、ワクワクすることしかやらない、そうやって、自分を幸せにしない古着はその古着を着てることに氣付いた時から脱ぎ捨てて、本当の自分に還る。これからも一層、誰が自分のことをどう捉えようが、蔑視されることになろうが、疎まれることになろうが、自分の正直な感覚に沿った生き方を選び続けていくことを大切にしていく覚悟が強まりました。というか、実際現実は、本当の自分を生きることでしか他人にとっての好い見本にはなれないんですよね。自己犠牲では決して他人を幸せにできない。いつか必ずボロが出る。体調を崩したり、嫌な波動が相手に伝わったり。。。。他人から蔑視されることや疎まれるかもしれないというのは、全部ネガティブにはたらいてるエゴが見せる幻想です。そして実際にそうされたとしても、自分が自分を愛せていたのならいいんです。一番やっちゃダメだと感じるのが、自分が自分を愛せないことですからね。これが実際一番ツラいことです。本当の自分を生きて、自分以外の全ての人に嫌われても、意外と平気。それに他人が自分をどう思うかってことは、もう他人の選択の次元のお話。わたしにはコントロール不可の領域。自分の管轄外ですからね。けれど、本当の自分を生きずに、自分が自分を嫌になる人生がいっちばん辛い。他人の目や評価の為に自分を殺して生きるのが、人生そのものが究極に辛くなる道。そんなもの何しようとどうせコントロールできないんだし、本当の在りのままの今の自分を、愛してくれる人だけに愛されていればいい。自分を偽って条件付きで好かれてもそれは愛じゃないし、全っ然、嬉しくないですからね。汗とまぁ、こんな感じで、改めて、自分を大切にする、自分を愛することの試練に失敗できましたと。逆説的ですが、この失敗経験が何よりも大事だとも思ってます。勿論、初めから失敗しようなんて思ってませんよ。ですが、失敗することで発見できるんです。「こういう感覚になるんだな」「幸せや喜びを感じられないんだな」だからこそ、自分がその発見から、次に何を選びたいかを決められる。わたしはそう感じてますし、それすらも体験しにこの地球に存在しているのだと感じているので失敗することすら今ではOKしちゃってます。むしろ、失敗しない人生こそが、人生の最大の失敗だとくらい思ってます。それだけ、大きな発見がある。次の選択に繋がる。より本当の自分を選んで生きていくことが出来るようになる。自分の幸せを生きられる様になるということです。経験し、発見し、氣付いたら、切り換えて、次またトライする。その繰り返しで、古い価値観で泥だらけになった自分が磨かれ、本来の輝きを魅せ始める。おや?もしや今回の、これが俗にいう、掃除したことで自分の心が綺麗になったというやつですかな?笑(多分違う)そして今回さらに氣付かされたことが、いくら自分を愛することが何なのかが、知識でどれだけ分かっていても、それを実践できるかどうかはまた別の話だということ。まさに今回の記事のテーマは「知行合一」(実践していないのならそれは知らないのと同じこと)お後がよろしい様で( ˘ω˘)では今回も最後までお読みいただきありがとうございました(*´ω`*)PS:この『風土市のふふふ』が終わった後は、自分を励ます意も含めて、警固の『NICE』さんのマンスリーバーガー「菜の花バーガー」をテイクアウトし、六本松の『鳥飼カフェ』で、「ワッフルソフト(SOYメイプル)」を頂きました♪どちらも美味でした!♪ご馳走様です。【『NICE』さん情報リンク 】NICE | PLANT-BASED CAFE | 福岡 警固福岡市中央区警固にあるNICEの料理は全て『PLANT-BASED=植物由来』です。たっぷりの野菜・果物・穀物やナッツを使った手作りの料理をどうぞ。www.nice-plantbased.comNICE plant-based cafe (@nice_plantbased) • Instagram photos and videos3,604 Followers, 0 Following, 642 Posts - See Instagram photos and videos from NICE plant-based cafe (@nice_plantbased)www.instagram.com【『鳥飼カフェ』さん情報 】鳥飼カフェ 六本松店 (六本松/カフェ)★★★☆☆3.12 ■【六本松駅から徒歩1分】SOYスイーツ&ダイニングカフェ。 ■予算(夜):¥1,000~¥1,999tabelog.comLogin • InstagramWelcome back to Instagram. 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