(作成日:2025.01.12)

※この記事は非公開にしていた過去記事を再公開したものです。

 

 

この宇宙はすべてが「循環」で出来ていますね。

 

循環と言えば、

呼吸や、食事→排泄→分解→食物、

といったものが和多志達にとって身近な例ですが、

 

その「循環」に関することで、

最近、面白い氣付きがありました。

 

 

それが、

 

自分の中に湧いてきた、または降ってきた氣付きなどの情報を、

自分の好きな形、しっくりくる形で外側に表現・アウトプットすると、

また更に新たな氣付きや言葉・イメージなどが入ってきて、

循環が起きて来る。

 

というものです。

 

そして、そのアウトプットを滞らせてしまうと

そこからはあまり新しい氣付きや情報が入って来難くなるというものです。

まるで、栓をしたホースに水が溜まっていくように。

 

 

過去の記事でも何度か、

”自分の内なる感覚すらもどこから湧いて来てるのか分からない

「宇宙由来」のものだ”という表現をしていたと思います。

 

まさに、こうした自分の中に湧いてくる、または降ってくる

氣付きや情報もまた、「宇宙由来」であると感じております。

 

具体的には一体どこから来ているのか、

さっぱり分からないので、

とりあえずは宇宙から来ていることにしています。

 

 

そして、そうした氣付きや情報などが、

宇宙から和多志を通じて、

物質世界に贈り込まれている様な感覚があるのです。

 

思考を巡らせているのではなく、

ふと湧いて出て来る。

 

つまり、ここでの和多志という存在は

宇宙から贈られてきた氣付き・情報を

物質世界用に表現を通じて翻訳し、

物質世界へと出力するための管(パイプ)役の様なものです。

媒体です。

 

 

そして、記事を書いてアウトプットしている最中に、

タイムリーで書くことが入ってくることもあり、

そういう時は、自分で記事を書いているという感覚が

ほとんどありません。

 

 

和多志がやっていることは、

その入ってきた情報と情報を、

記事として読めるように繋げることという感覚です。

 

言語化すら和多志がやっているような感覚ではないんですね。

自然に言語化された状態で湧いてくる。

 

ただ、和多志がこれまで学んできた言葉を用いて、

翻訳化と文章化がされている感覚があるので、

和多志が未だ知らない用語や言語でそれを表現することは、

出来ないといった感じです。

 

 

なので、自分で書いておきながらも、

自分が最初の読者のような感じなのですね。

書き手で在り、読者でも在る。

 

面白いです。

 

 

何かを望む感覚というもそもそも宇宙由来ですからね、

和多志が望んでいることは、

宇宙の望みであるとも言い換えられるんですよね。

 

宇宙の望みを、和多志という個体を通じて、

物質世界に表現しているような感覚なのです。

 

なので、自分という感覚も薄れてくるんですよね。

 

 

改めて整理すると、

 

和多志自身がすべてのお陰様で活かされているということ。
感覚というものを突き詰めれば全て宇宙由来であること。

(どこから来てるか不明であること)
和多志に備わる才能や氣付きも宇宙から一時的に授かったギフト。

宇宙から授かった情報を、

和多志という媒体(パイプ)を通じて、

これまた宇宙から授かった才能を用いた表現によって、

物質世界用に変換し出力している。

出力することによってまた新たな才能や氣付きが注ぎ込まれる。

 

和多志自身がそこで得た氣付きと感覚に沿った生き方を実践するので、

和多志の心の豊かさが育まれることに伴い、

和多志が体験する現実も豊かさを体験する。

 

このような流れにより、

内側の世界と外側の世界で豊かな循環が生じている。

 

ということです。

 

これに氣付いてからは、

もはや「自分」ってどこ?という感覚です。

「自分」って何?という感覚です。

 

自分独りで成し遂げたことなど何一つなかったのだと

改めて深く認識させられますし、

今後も自分独りで成し遂げられることなど

まったくないということでもあります。

 

ただ、その出力を実行するか否かを選択することだけが、

唯一出来ることの様ですが、

それすら突き詰めれば、

その実行を選択しよう、したいという感覚も

何処から来ているのか分かりません。(笑

 

今ではそうしたくなるからそうしているのですが、

何故そうしたくなるのか、

純粋な動機からやりたいと感じることほど、

さっぱり出どころが分かりません。

 

一体、和多志は何なのでしょう?

 

何をもってして和多志個人の力、能力、才能なのでしょう?

自分のものではなく、与えられているだけですよね。

 

 

 

そして同時に新たな問いが生まれます。

 

あなたたちは一体誰ですか?

 

何をもってして、

自分の考えだとか、

自分の感覚だとか、

自分の能力だとか、

自分がやったことだと

識別できていますか?

 

ちょっと何もかもが分からなくなってきました(汗

 

これが、自我を超えた全我と呼ばれるものなのでしょうか?

 

ワンネス体験なのでしょうか。

 

一応、これまでワンネスについては、

地球の循環規模のイメージで認識していましたが、

これがそのワンネス体験なのだとしたら、

初体験かもですね。

 

あるいは、これが宇宙とつながっているという感覚でしょうか?

 

 

 

 

トリガーは、ふと湧いてきた氣付きや情報を、

自分の好きな形、しっくりくる形で外に出す、

表現することみたいです。

 

それが、自分という媒体(パイプ)の先に付いた栓または蓋を外すことであり、

内側の世界の情報を、外側の世界へと贈り込むことであり、

今までになかった新たな在り方を、

物質世界で実践・体験・具現化する方法の様です。

 

 

これらも、自分を愛することで、

より鮮明になったことなので、

自分を愛することはやはり外せないことだと強く感じます。

 

今思えば昔のブログ作成時にも同じように、

書かされているように感じることが起きていましたが、

これを言語化出来ていたかは忘れましたので、

これを機に記事にしてみました。

 

 

 

あと、これに氣付いてさらに強く思ったのですが、

物質世界で起きていることって、

やっぱり個人レベルで起こしているようで、

実はすべて宇宙が引き起こしている茶番ですよね?

 

 

・・・

 

まぁ、実際に宇宙の茶番であるといったところで、

別に空腹や苦痛の度合いが減ったり無くなったりするわけではないので

そこまで人生に大きな変化は齎(もたら)さない感じありますが(汗

 

ただ、物事を俯瞰できるようにはなる分、

外側の出来事や他人に振り回されず、

深刻にもならずに済み、

冷静により一層、己の在り方が肝だと認識でき、

集中できるようになるのは十分大きい変化要素かもですね。

 

 

それでは今回は以上です。

最後までお読み頂きありがとうございました♪

 

 

 

 

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