こんばんは、AKIです^^

 

訪問ありがとうございます(*´ω`*)

 

今回は、

わたし自身がこうしたブログを書くに至った経緯、

これまでの意識の変遷について、

紹介したいと思います。

 

今まで何故、

「調和文明」や「Vegan」などの話を記事にしてきたのか、

その背景についての深堀回でもあります。

 

半分、自己紹介の様な感じになるでしょう。

 

とはいえ、あまりにも細かい部分については

割愛させて頂きます。

 

それではどうぞ。

 

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・「土からの教育」という本に出会う

 

「土からの教育」という本との出会いを機に、

食の裏側に関心を持つ。

 

 

 

・食生活の変化により、健康に

 

「土からの教育」という本をきっかけに、

スナック菓子、清涼飲料水、精製塩、白砂糖、

ファーストフードを断ち、

自分の食生活を野菜中心へと変えてみると

83kgあった体重が73kgまで落ち、

健康体となる。

 

 

 

 

・読書にハマる

 

「土からの教育」から、

自分の体調変化に驚かされ、

人生に影響を与える「読書」の魅力にハマり、

さらにそこから食品添加物についての本、

成功者の本、哲学書、帝王学などのリーダ学、

スピリチュアルなども読み漁る

 

 

 

・東京の会社へ就職&退職

 

日本の農業に関わる東京の会社ということで、

わざわざ苦手なITの分野で勤務。

 

しかし休みは殆どなく、

ついに思考が働かなくなり、

心身の限界と危険から2か月足らずで退職。

 

その後もバイトや親戚のお仕事の手伝いをするが

お金を稼ぐことへの違和感から全て辞める。

 

 

 

 

・社会の裏側に興味を持つ

 

実際に「食」の変化の体験と、

実際に社会に出て体感したことと、

「ブラック企業」の在り方を通じて、

 

様々な社会問題とされるもの、

「食糧問題」「医療」「環境問題」「資源」「経済」「教育」

「家族問題」「過密過疎」「少子高齢」「自さつ」「犯罪」「利権」

「領土問題」「戦争」「人権問題」「格差」についてざっくりと触れ、

 

これらすべてに、

「お金」というモノが共通して必ず絡んでいることに着目し、

 

その「お金」というモノの仕組みに疑問と興味を持つ

 


 

 

・「お金」の仕組み、「信用創造」に行き着く

 

「信用創造」とは、誰かが借金をしたときに、

銀行が無からお金を創り出せるシステムであり、

利子を返すためのお金はこの市場には存在せず、

その返せない利子を含めた借金返済のために、

新たな借金をする必要があり、

それによって市場にお金が流れるようになっているが、

 

結論から言うと、

このシステム上、国であれ企業であれ個人であれ、

必ず誰かが借金を返せない状況に立たされ、

返済するためのお金は、

市場のモノやサービスの価格に転嫁されており、

誰もが誰かのこの返すことの一生できない返済のために、

直接的にも間接的にも、

お金の為に、

仕事をし続けなければならない、

かつ椅子取りゲームの状態に半強制参加させられている。

 

即ち、消費生産活動が、

人々の真の欲求からではなく、

マネーベースに基づいて行われ、

それが環境破壊、人の暮らしの破壊、

精神破壊にを促進させており、

そのリセットのために「戦争」という茶番が

行われているということ。

 

この負債としてのお金の流れによって、

企業の流れが決まり、

企業の営利活動で発生する税金と負債を収入としている

国家の流れも決まってくるため、

「選挙制度」というものもただの茶番劇で、


「国民としての義務を果たしている」

「自分達が(立候補者を)選んだ」と、

人々にさも思わせておくためのシステムに過ぎず、

無意味であることにも辿り着く。

 

そして、

どれだけお金を稼ぎ続けても豊かになるどころか

本当の豊かさは失われていくだけの、

自滅まで参加させられている

キリのないゲームだと氣付く


 

 

 

・「お金」の起源を掘り下げる

 

「お金」は、「物々交換」という「取引」を、

より便利に円滑にするために生まれ、

様々な形に変化させてきた道具であったことを知る。

 

 

 

・「物々交換」の起源を掘り下げる

 

「物々交換」は、「所有(自分の物)」という概念とセットで

初めて機能する概念であることを知る。

 

最初はそのどちらが先かを考えていたが、

後に、それらどちらも、

全ての存在との「分離意識」と、

自分自身の生き方からの「分離」から

生じていることに氣付く。

 

その分離意識が、

将来に対する恐れや、

サバイバル意識をも生み出し、

生き残る手段として、

「交換」や「所有」という概念を派生させていた。

 

 

 

・お金のない世界をイメージ

 

逆に、お金が存在しない世界が、

どのようなものか想像するようになる

 

 

 

・「お金のいらない国」に出会う

 

ネットでで長島龍人さんの「お金のいらない国」という動画を見つける

 

 

 

 

・「お金のいらない世界」の世界観。

 

「食糧問題」「医療」「環境問題」「資源」「経済」「教育」

「家族問題」「過密過疎」「少子高齢」「自さつ」「犯罪」「利権」

「領土問題」「戦争」「人権問題」「格差」

 

これらすべてが解決されているか、

概念そのものが存在しない世界であり、

そこでは本当の意味での仕事の在り方で人々は仕事をし、

仕事をしなくても、仕事を失っても困らず、

誰もが好きなことだけをして、

それなのに技術力は自然ベースで発展し、

持続可能な豊かな暮らしをしている。

 

そんな社会像が容易にイメージできるところまで行き着く。

 

 

 

 

・ブログで情報発信開始

 

2013年

自身の氣付きや情報をブログで発信するようになる

 

 

 

 

・お金のいらない世界のベースを掘り下げる

 

お金のいらない世界、物々交換ですらない、

無償社会がどうのようにして成り立っているのか、

その土台について掘り下げる

 

 

 

・無償で動く人間を観察

 

人は、自分が好きなこと、

それをすること自体が楽しくてやりたいことをするとき、

見返りを求めないどころか、

相手に対価を支払ってでもやろうとするはたらきがあることが

自分自身をも通じて氣付く。

 

 

 

 

・2種類の「統合意識」への氣付き

 

無償社会、お金のいらない世界において、

自分自身との「統合意識(本当の自分を生きたい自分を生きる)」と

他の存在との「統合意識(ワンネス)」が鍵であり、

土台であることに氣づく

 

転じて、お金が必要な世界では、、

自分自身との「分離意識」と

他の存在との「分離意識(ひとつで在ることを認識できてないこと)」が、

土台になっていることにも氣付く。

 

 

 

 

・「Vegan」へのシフト

 

ワンネスを意識し始めたころから、

氣付けば常に地球全体のことを考えるようになり、

それを発信する様にもなるが、

自分自身が環境破壊に加担している様では、

説得力がないという感覚と、

出来る限り自分もそこに加担したくないという感覚と

動物と植物の命の在り方の違いから、

Veganのライフスタイルに完全シフト

 

 

 

 

★見返りを求めた生き方は、

誰も幸せにしないことに氣付く

 

こうしたことに触れる前のわたし自身も、

他人に見返りを求めて生きること、

お金を稼ぐことが仕事であり、

自分の生活を豊かにするものであるし

生きるには当然で必要なことと考えていた。

 

しかし、お金のいらない国という、

無償提供で循環する世界のイメージを膨らませたり、

「お金の仕組み」や「物々交換」という

条件付きの取引について調べていく中で、

 

全てが崩れ落ちる。

 

 

 

①お互いに見返りを求め合って
全てのモノやサービスに値札をつけ売り合った生き方は、
結果、誰もが支払うための対価が無ければ何も得られず、
対価を稼ぐ必要性を互いに植え付け合い、
その機会である仕事の有無が死活問題となり、
対価集めの為だけに無駄な消費生産を繰り返さざるを得ず、
人の心身と自然環境と資源を浪費し蝕みながら、
お互いに生活自由度・快適度を
自分の収入量に制限しながら破壊していたということ。

 

 

②値段を付与するということは、

受け取る側のハードルを上げることであり、

必要としているにもかかわらず受け取れない人を生み、

その人の個性を発揮し辛くしていることにも繋がり、

その循環によって得られる恩恵を阻み、

巡り巡って自分の個性をも発揮し難くし、
結果、自分自身の生活自由度・快適度を下げてしまう行為にも等しく、
実は、自分が与えるモノに価格を付けたり、価格を上げる行為は、

自分の価値を上げる行為ではなく、

自分のモノやサービスの真価を著しく下げる行為だったと言っても
過言ではなかったということ。

 

 

言い換えれば、

無償で与えれば、それが巡り、

互いに個性を発揮し、

互いがその連鎖で無限の恩恵を受け取ることができ、

自分が与えたモノやサービスは、

無限の価値であることを示すということ。

 

 

 

③価格・値段の壁によって、
それを支払えない者は、

市場に供給されているものを手にすることはできず、
そんな中、
余って捨てられているモノや
使用されず無駄になっているモノ、

表現されないまま、

発揮されないままの能力が沢山ある。

 

こうした真のニーズと供給のミスマッチを引き起こされ
モノが過剰に余り捨てられる一方で、
モノ不足に苛まれている人たちを沢山生み出すことになる

 

 

 

④『信用創造』はあくまでも促進剤に過ぎず、

このお金の仕組みが取り払われたとしても、

互いに見返りを求め合った生き方をしている間は、

収入ベースで仕事と消費と生産に依存した生き方を強いられ、
重苦しく自滅的な社会の在り方は変わらない。
 

 


これら①②③④の氣付きによって、

わたしはもう誰かに対価や見返りを求めるような

自滅行為的な生き方や、

これまでの仕事の価値観で

働くということが一切出来なくなる。

 

 

 

 

 

・そして、無職になった

 

まさか自分がこうした背景から、

無職になるなど思いもしなかった。

 

何もしていないわけではないが、

それが自分の望む生活において、

支払いを迫られる分の

収入を生んでいたわけではない。

 

 

自分の中に、

働いていない人はダメな人、

仕事をしてこそ一人前な大人、

という古くてネガティブな定義が

びっちりとこびり付いていることに氣付き、

 

その意味不明な後ろめたさに

苦しめられていた。

 

 

 

 

 

 

・実家を捨てる選択

 

うちの両親からは、

わたしのこれらの氣付きや事情を知るまでは、

「はたらけ」「お金を稼いでこい」、

ということを言われていた。

 

わたし自身、

わたしを支えてくれる気持ちのない人から

支えてもらうことがもう辛く、

ついに耐えられなくなり、

実家で世話になる生き方を捨てることにした。

 

他で生きるアテなどもないが、

人々から強制的に集められた税金、

生活保護で生きるのも御免だった。

 

しかし、嫌味を言われながら、

死んだように生きるくらいなら、

野垂れ死んだ方がましだと思い

家族との勘当をも覚悟して、

「もうどうにでもなれ」と

実家を飛び出そうとする。

 

 

その下準備の際、

野宿するためのマットや、

必要なモノを買い揃えていく途中で、

母に止められ、

 

家族会議によって

全ての事情を話す機会が与えられ、

「とにかく今は休め」

「家に居れ」と引き留められる。

 

以降は、もうわたしに

嫌味を言うことは無くなり、

接し方も一変し、

支えてくれるようになる。

 

 

 

 

 

・ギリギリな生活

 

それでも個人的に、

ギリギリで苦しい生活が強いられる。

 

大学時代に借りた奨学金の返済もある。

 

もっと食べたいと思う日ばかり。

 

使えるお金も食費で精一杯。

衣服や日用品には中々手が出せない。

 

幸いなことは、

寝床があり、PCがあり、

シャワーがあり、洗濯でき、

数少ないが着られる衣服があったこと。


欲しいものが手に入らない時、

当然辛い気持ちになり、

手に入らないなら欲しいという気持ちなんか湧いてくるなと

思うこともあったが、

自分に必要のないものなのだと捉えてやり過ごす。

 

 

好きなこと、特に食への出費は、

氣付きなどの後押しもあって、

出し惜しみしなかった。

 

Vegan料理に関するイベントなどがあれば、

躊躇なくそこに費やす。

 

その代わり、その月の何日かは、

半強制的な断食の日を過ごすことになる。

 

 

身長は180cmのまま、

体重は74kgから50kg台半ばまで落ちる。

 

たった数年間で、

83kgあった体重は、20kg以上減る。

 

 

決して達者で元氣とは言い難いが、

大した病も大した怪我もなく、

災害などにも見舞われなてなかったことだけが幸いだった。

 

 

 

 

 

 

・プロジェクトを立ち上げる

 

かつてのブログをきっかけに、

全国から同志達が集まり、

ネット上での小さなプロジェクトを立ち上げる。

 

心強い協力者のもと、

HPや作品なども共同制作。

 

そのHP内の文章のほぼすべてを担当。

 

 

 

 

・ブログの閉鎖とプロジェクトの解散

 

①HP完成間際に無理をしてしまったこと

 

②そこから数年、自身の体調が優れなくなってきたこと

 

③少なからず、恐れ、問題解決意識、危機感などから

動いていたこと

 

④望まないことに意識を注ぎ過ぎていたこと

 

⑤この意識のまま活動を続けることは、

自分の人生においてもこれで身体を壊す様では、

本末転倒になり兼ねないと感じていたこと

 

⑥今後は望むことだけに意識を向けようという

意識の変化が起きたこと


⑦他のメンバーとの足並みが

揃わなくなってきたこと

 

 

これら①~⑦が主な理由で、
一旦すべてをリセットということで、

個人のブログを閉鎖し、

プロジェクトも解散し、

プロジェクトHPも閉鎖。

 

これから一定期間後、

その時のメンバーとも氣が合わなくなり、

絶縁状態に。

 

 

 

 

・自分を愛することの重要性に氣付かされる

 

ブログ閉鎖とプロジェクト解散後は、

リフレッシュや療養を兼ねて、

一度すべてを忘れ、ただ今この瞬間、

好きなことをする、

やりたいことをして過ごすことになった。

 

食べたいものを食べ、

興味を持った動画を観て、

ゲームをしたり、

何も考えずふらっとどこかへ散歩したり。

 

そうして少しずつ元氣を取り戻していく中で、

本当の自分の在り方を見つめ直すようになり、

物事を選ぶ際の「前提(信頼か恐れか)」に着目する様になり、

自分を大切にする選択とそうでない選択によって

体験する現実が異なることに氣付き出す。

 

 

 

 

・「宇宙のメカニズム」の存在に氣付く

 

宇宙のメカニズムについては割愛。

この記事の最後に紹介。

 

要するに、

自分を大切にしていれば、

後押しされる現実が、

自分を蔑ろにしていれば、

警告サインとしての現実が

贈られてくるというもの。

 

そこからわたしは、

何が自分を愛する選択で、

そうでない選択なのかを

自分自身で実践しながら、

研究することになる。

 

 

 

 

・「自分を愛すること」と「調和文明」

 

自分にとっての、

自分を愛することが何かということを

徐々に具体的に知るようになり、

それがお金のいらない世界、

「調和文明」の土台であることに結びつく。

 

本当の自分を生きるという意味での

「統合意識」の理解を深めていく。

 

自分の好きなこと、

やりたいことをすることを含め、

本当の在りたい自分を生きることで、

現実を通して後押しが入り、

宇宙や未来を信頼できるようになり、

ギフトする意識や余裕も湧き出てくるというモノ。

 

 

恐れや不安、問題解決意識や危機感、

何らかの結果の為という目的意識、

 

それらを動機にした行動・選択は、

自分を愛した生き方ではなかった。

 

自分と「今」を手段化した

自分を蔑ろにした生き方だった。

 

かつてのわたし自身が、

心身疲弊して何もできなくなった理由が腑に落ちた。

 

それ自体が警告サインであるし、

だからこそギフトする余裕もない。

 

そして、調和文明もあくまで、

各々がやりたいことして、

それを無償でギフトするだけで、

結果的に平和や調和といった色合いになっている社会だが、

 

調和文明にするという目的意識から入っては、

調和文明には至らないということ。

 

ギフトも誰かの為にではなく、

自分が純粋にしたいことをして、

それを受け取りたいという人に無償で与え、

結果的にそれがギフトになる。

 

仕事の在り方だけでなく、

生き方そのものが、

お金で回されている社会と

根本的に違うことに行き着く。

 

 

 

 

・鏡の法則に囚われ過ぎていた

 

外側を変えようとしても無意味で、

自分の内側、在り方を変えることで、

自然と外側もそれに沿った色合いに変化していくのを感じる。

 

自分を大切にして過ごしていたら、

周りから親切にされることが頻繁に起きたこと

 

食べ物などにおいて、

自分のペースからズレるとそれを逃すが

自分のペースで過ごしていると

いつもなら売り切れている様な時間帯でも

最後の1つが残っていたり、

欲しい分だけ手に入ったりしていた。

 

 

こうした一見偶然で片づけられそうな出来事を

沢山体験したことを機に、

 

内側や在り方に意識を集中するようになり、

日常の中で可能な限り、

自分を愛する選択の割合を増やしていく。

 

その傍ら、外側の現実に対しては、

何のアプローチをする意味もないのではと感じ、

そのまま自分の内側に引きこもる

 

 

 

 

・現実は鏡の役割に留まらないことに氣付く

 

どこか煮え切らない氣持ちと、

他の存在と関わることが楽しいと感じる瞬間があったことで

外の現実が自分の内側の投影としての役割だけに

留まらないことに氣づく。

 

外側を変える為に外側に向かって何かをする、

ということにおいては無意味でも、

 

ただ純粋に楽しいからそれをする、

というフィールドでもあると感じる。

 

逆に、外側へのアプローチが無意味だからこそ、

純粋にただ楽しめばいいだけだということに着目。

 

そして、それが自己表現の本質の一部でもあると氣付く

 

 

自己表現は、何かの為にするものではなく、

ただ純粋にそれをすることが楽しいからやるもの、

ついやってしまうもの、

やらずにはいられないものなのだということ。

 

そして、あまりにも自分が、

無償社会、「調和文明」を創造する為に何かをしようとする、

そこに繋がりそうなことや在り方を選ぶ、

ということに囚われ過ぎて、

純粋さを欠いてしまっていた。

 

 

 

 

・宇宙との取引を卒業

 

これまでずっと、

「こうすればこうなる」

「こう在ればこうなる」、

という自分の行動に対する結果に凄く期待した、

取引の様な生き方をしていた自分が居たことに氣付く。

 

他人との取引や駆け引きは卒業出来ていても、

宇宙や現実と、ずっと駆け引きをしていたということ。

 

行動や行動変化、意識変化に対する結果をずっと

気にしていたということ。

 

そういう意味で、

在り方が昔から変わっていなかった。

 

純粋に何の為でもなく、

本当の自分を生きるということが出来ていなかったことに氣付き、

以降、自分が採る行動に対する結果に、

期待する在り方を卒業することに決める。

 

 

 

 

・本当の幸せへの氣付き

 

さらに、これまで自分にとっての幸せは、

外側の状況に大きく左右されるものだった。

 

「外の現実、状況」や「結果」や「受け取るもの」に、

自分の幸せの軸を無意識に置き続けていて、

いつもそれに左右されていた。

 

しかし、どんな結果になろうとも、

「自分が自分を愛する選択をした、出来た」

ということに

幸せの軸を置くようになって、

 

常に自分で自分を幸せにできるようになり、

外側の状況で自分の幸せが揺らぐことが殆どなくなった

 

 

そしてまず、

これに氣付けたことの喜びが大きかった。

 

きっと、わたしは、

お金の存在する世界を通じて、

 

何が自分にとっての愛なのかを学び、

 

何が自分にとっての幸せなのかを学びに、

 

この地球を、

このフィールドを選んで生まれてきたのだと感じる。

 

協調性という名の同調圧力が強めの、

日本という国家の概念のある世界に生まれ、

没個性の教育環境が反面教師になっていたように思う。

 

とはいえ、

結果論だけ言えば綺麗に聞こえるが、

 

その道中はとても心身ともに厳しく苦しく、

何度死にたい・消えたいと願ったか数えきれない。

 

 

 

 

・ブログ再開へ

 

そして、

ブログ閉鎖&プロジェクト解散前の情報や氣付きに、

更にこれまでの新たな氣付きをミックスさせたものを、

 

提案でもなく、

忠告でもなく、

指摘でもなく、

解決的な行動でもなく、

引き寄せでもなく、

何の為でもなく、

 

純粋に自己表現として、

ただ発信したいという氣持ちから、

またブログで自分がこれまで氣付いたことや

自分の心にある世界のイメージを

発信することに。

 

 

 

 

 

上記の★マークがついてる箇所について

 

これを誰かに話すことが、

とてつもなく一番辛かった。

 

もはやただ「調和文明」についての情報をシェアすればよく、

 

話す必要もないのだが、

誰かに話したいという氣持ちが

とてつもなく強かったが、

それをずっと抑えてきたからだ。

 

 

何故抑えてきたかというと、

 

これ等のことに氣付いている人が少ない内は、

 

今お金を稼いで生きている人達に、

ただどうしようもない現実を突きつけてしまうだけだからだ。

(と思い込んでいた)

 

勿論、氣付く人、理解者が増えれば、

どうしようもないと思ってた現実が、

どうとでもなる希望や社会を土台からひっくり返すレベルの

大変革になる情報だ(と認識している。ただし期待していない)。

 

 

けれども、わたし自身もう楽になりたかった。

 

聞いてくれる人、読んでくれる人が、

居るかいないかはもはや関係ない。

 

ただ発信したいと心が叫んだ。

 

そして、聞き手読み手がどうなるかについては、

宇宙を信頼し委ねることにした。

 

だから発信することにした。

 

もしもこれを読んで、

お金を稼ぐことへの認識がひっくり返った人、

お金を稼ぐことに躊躇いが出てしまった人。

謎だったカラクリが解けたように感じられた人。

 

様々だろうが、

 

お金を稼ぐということは、

豊かになるために必要なことではなかったということ。

 

むしろ、豊かさを拒絶し壊す生き方であったということ。

 

遅かれ早かれ氣付くことになるだろうし、

 

たとえ氣付かなくても、

 

本当の自分を生きてさえいれば、

もはや関係ない情報。

 

 

兎に角、

もう一人でこの事実を抱え込むことに疲れてしまった。

 

これを誰かに話したところで無意味であろうと

誰かが苦しむことになろうと、

 

そんな起きてもない予測の中で

今この瞬間、自分自身が苦しみ続けること、

自分の感覚を抑え込むことに限界が来ていた。

 

 

 

 

 

 

・今観えていることと、2つの視点

 

お金の存在する世界と

無償のギフトで循環する「調和文明」の研究を通じて、

 

自分を愛する在り方

 

宇宙のメカニズム

 

本当の自己表現

 

本当の幸せ

 

これ等を学ぶことになり、

 

世の中に人の力や物、資源は十分あるのに、

お金がないというだけで、

貧しい暮らしを強いられる人がつくられる状況の

カラクリにも氣付いたが、

 

 

一方で、

 

「無償社会」か「有償社会」かに関係なく、

 

宇宙のメカニズムの視点から紐解くと、

 

実は誰しもに、常に、

必要な時に、必要なモノ、必要な人、

必要な出逢い、必要な情報、必要なサービスが

入ってきており、

 

有料であることが壁になっているのではなく、

 

本当は壁ではなく、

本当の自分を生きられるようになるための

学びのきっかけやサインであり、

 

欲しいと感じるモノが

実はその時の自分にとって

不要なモノであったり、

 

本当の自分からズレているサインとして、

有料であることが壁に見えているだけなのかもしれない

 

とも感じ取れている。

 

 

つまり、

人生で必要なモノは、

常に与えられているということ。

 

そして、大切なことは、

外側の社会の在り方ではなく、

本当の自分を可能な限り生きていること。

 

 

とはいえ、わたしもこれらに氣付き、

自分にとってナチュラルで心地の好い選択、

在り方を選択して生きているが、

時にそれが出来ないこともある。

 

けどそれでいい。

 

わたしたちは、より本当の自分を生きるという

プロセス、旅そのものを生きているらしいからだ。

 

完璧ではない自分を赦すというのも、

自分を愛するということ。

 

今できる限りで、自分を愛し、

本当の自分を生きられれば、

成功であり、

 

何なら今この世に生きているだけで、

魂的には既に成功という観方もある。

 

 

 

 

 

 

 

・おわりに

 

以上、

わたしの人生、意識の変遷の紹介でした。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

やっと溜め込んでいた想いも吐き出せて

スッキリした氣分です。

 

誰もが幸せや自由を求めて、

お金を稼いだり、

お金を稼ぐ方法を説いたり、

ビジネスを勧めたり、

そうすることでその結果が手に入ると信じて

行っていると思いますが、

 

実はそれが自分を含め、

家族や全ての存在の幸せや自由や真の豊かさを

自ら阻んでいたということに氣付かされて、

 

そこからお金を稼ぐということがもう出来なくなり、

 

かといって、

10年以上も上記のことを、

独学で実践し研究しながら、

心身の療養に時間を割いてきたので、

 

調和文明という世界観を説くことや、

自分がVegan料理を食べること以外に

やりたいことがなく、

 

やりたいとか食べたいと思っても、

値段・価格という壁にぶち当たり、

それが叶わないことが多く、

 

誰かに目に見える形で、

やりたいことを通じてギフトをするということも

氣力体力的にも難しいものでした。

 

なので、口だけでなく行動という言葉にも

結構敏感でした。

 

氣付けば思想だけ、

口だけの人間になっていたからです。

 

 

勿論、自分を愛するという在り方、

意識変革においては、

常にチャレンジし、

実践してきましたが、

それが誰かの豊かさやギフトになっていたかと言えば、

それはもう個のわたしでは認識不可能な謎の領域です。

 

だからこそ、

それでも尚、

悔しい想いも抱きつつ、

口と手だけでも動かして、

今も生きています。


読み手聞き手がいなくても、

自分の世界観や氣付きを発信するのは楽しい。

 

読み手聞き手が居れば、尚楽しい。

 

それだけが確実で、

スッキリするということで、

ブログを発信しています。

 

そして、発することに苦しみ、

溜め込んでいた氣付きや観方も、

今回初めて打ち明けてみました。

 

 

今の生活状況については、

 

奨学金の返済も、猶予期間が終了し、

ついに返済が始まっています。

 

正直、苦しい感覚も湧き、

 

完璧ではないですが、

その時その時で、

わたし個人で出来るレベルのことはやっているつもりで、

出来ないことは本末転倒になるので、

無理してやらないようにしていて、

 

あとのことは、

「もうどうにでもなれ!」

というお手上げ状態です。

 

なるようになるでしょうから、

状況に悲嘆するより、

 

楽しそうなこと、

やりたいと感じること、

食べたいと感じるモノを

許される範囲で食べて、

全ては上手くいっていると信頼して、

頑張らずに(もう頑張れない)、

今を生きるようにしています。

 

 

今はこうした話しか出来ず、

何も人の役に立てないし、

もう好きなことだけをして生き、

人の役に立つつもりもありませんが、

こんなわたしにも、

無条件で生活や趣味をサポートしてくれる方に、

出逢えたら嬉しいなと感じています。

 

 

 

それでは、

 

改めて最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

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