大正12年2回目の筋書紹介は久し振りに中座の筋書を紹介したいと思います。
大正12年1月 中座

演目:
一、寿初春曽我
二、彼岸の夕
三、南部坂
四、文覚と頼朝
五、九十九折
六、七ツ面
前回紹介した3月公演の筋書
本編に入る前に前回紹介した3月公演からの動向について演芸画報に紹介していない部分を軽く紹介したいと思います。
4月、5月、6月公演の様子はこちらをご覧下さい
先ず7月ですが演芸画報で触れた通り鴈治郎一座と延若、右團次がそれぞれ地方巡業に出掛け我童が新富座、壽三郎が帝国劇場に出演した為、道頓堀は無人となり京都で売れっ子になっていた青年歌舞伎一座を招聘し
・夏の陣
・義経千本桜
・くろ髪
・仇縁切子曙
を上演しました。
8月は何処も歌舞伎公演を行わず9月に入り延若が巡業から戻り鴈治郎一座から魁車を迎え入れて
・鏡山旧錦絵
・お妻八良兵衞
・慶安太平記
を上演しました。
同月に行われた浪花座の筋書はこちら
そして10月は鴈治郎一座の公演となり演芸画報でも触れた通り近松二百回忌追善を行い、11月と12月は鴈治郎が新富座と南座へ行った事で再び延若が公演を行った事は演芸画報で紹介した通りです。
10月公演の写真を紹介した演芸画報
11月公演の写真を紹介した演芸画報
12月公演の写真を紹介した演芸画報
余談ですがこの時角座でも歌舞伎公演が行われ東京からやって来た四代目尾上紋三郎が四代目片岡愛之助を迎えて
10月
・みだれ萩
・河内山
・戻り橋
・闌秋悪縁話
11月
(10/29~11/12)
・博多小女郎浪枕
・東慶寺門前
・新岩井風呂
(11/15~11/28)
・夜討曽我狩場曙
・歌念仏
12月
(11/30~12/10)
・伊達の彩染
・わたり鳥
・冴月沼水音
・雁のたよりまいらせそうろう
(12/13~12/27)
・こはれた時計
・赤穂義士録
を上演しており10月〜11月は大正3年9月公演以来、8年ぶりに中座、角座、浪花座で歌舞伎が行われるという往年の道頓堀らしい風景が2ヶ月のみですが蘇る事となりました。
主な配役一覧

話を戻すと今回の顔触れは鴈治郎一座に延若と右團次、卯三郎が加わる形となりました。鴈治郎の長男である長三郎の名前が見えませんがどうも体調不良であったらしく次の2月公演には顔を見せましたが3〜5月は再び休演を余儀なくされており、こうした健康面での不安定さが弟扇雀への過剰な重圧期待へと繋がる事になりました。また、逆説的に言うと今回の座組に普段なら呼ばれもしない右團次が珍しく加わっているのも「長三郎の穴埋め要員」という意味合いが強く上方歌舞伎の踊り手不足の深刻さを意味していたりします。
それはさておき、延若と右團次も加わった事もあり、演目にも当然いつもの初春公演とは様相を異とし、6つの演目はそれぞれ
・福助×延若
・福助×魁車
・鴈延福魁勢揃い
・延若×魁車
・鴈延右福勢揃い
・右團次
と鴈治郎と右團次の出し物を除けば鴈治郎亡き後の上方歌舞伎を支えた延梅魁の3人がそれぞれ顔合わせする様に作られており、船頭多くして船山に登るではないですが良く言えば役者のパワーバランスを配慮した配分、悪く言えば纏まりのない散漫な狂言立てとなっています。
寿初春曽我

序幕の寿初春曽我は言わずと知れた正月名物である曽我物の演目になります。
浪花座で上演した時の筋書
今回は曽我五郎を延若、曽我十郎を福助、小林朝比奈を吉三郎、近江小藤太を蝦十郎、梶原景時を林左衛門、梶原景嵩を箱登羅、大磯の虎を莚女、化粧坂少将を新升、工藤祐経を多見蔵がそれぞれ務めています。
要するに鴈治郎と魁車、右團次を除いた面々での対面となりましたが、芸幅が広いとは言え鴈治郎が演じそうな曽我五郎を延若に、役柄から言えば魁車辺りが適当の大磯の虎を普段花車役が多い莚女と普段余り演じない役柄を演じる役者がいるのが特徴的でしたが先ず延若の五郎に関しては
「延若の五郎も大阪での五郎だが荒事見得になると貧相である」
とあれだけ恰幅の良い延若であってもこの役では荒事の経験不足もあって厳しい評価となりました。
しかし、一番地雷臭がした莚女の大磯の虎に関しては
「虎は莚女で珍しく白く塗って収まってゐた」
とだけで特段演技に関しては評価しておらずこっちは無難な出来だった様です。
次にその他の役についても述べられていて
「福助の十郎当代大阪での十郎役者だが生彩に欠ける處があるのは気が入ってゐない故だろうか」
「多見蔵の工藤、相応尾鰭もあって旧歌舞伎に十分手心のある優であるが今一息貫禄に乏しい、小粒なのにも累ははれてゐよう」
と福助の十郎と多見蔵の工藤はニンから言えば相応の役でありながら片やいつものやる気の無さを、片や長年の冷や飯食いからか敵役としての貫禄に欠けているとどちらも何処か今ひとつな評価になってしまいました。
唯一、吉三郎の朝比奈だけは
「吉三郎の朝比奈は大まかな處がこの狂言の役所であった」
と可もなく不可もないという評価になっていますが道頓堀の新年初の出し物としては失敗とは言わないまでも余り良いスタートとは言えない物になりました。
彼岸の夕

続いて一番目の彼岸の夕は何度も紹介している額田六福が書き下ろした新歌舞伎の演目となります。
内容としては美貌の順教が色恋の煩悩に苦しみながら修行している所に父親に売られそうになっているおよねに巻き込まれ、彼女を救うべきか修行を守るかの板挟みの中で娘を売ろうとする父親の伝兵衛の乱入により正気を失っていたおよねが伝兵衛を殺害してしまい、順教は修行を棄てて彼女を守るべく彼女の罪を被りお縄を受けるという話になっています。
今回は順教を福助、浄教を吉三郎、良観を多見蔵、花屋伝兵衛を卯三郎、お市を莚女、およねを魁車がそれぞれ務めています。
このブログをよく見られている方からすれば「またか」と思われる福魁の一幕物シリーズですが、今回はどうだったかと言うと先ず作品そのものについては
「美貌の若僧の道心と恋心との闘争、目前の慈悲と救世の本願との迷ひと云ったやうなものを取扱って春、枕と同じ「彼岸の夕」を舞台に見せた思付と手際はいゝ」
と舞台を春と秋の二幕に分けたコンセプトと狙い自体は評価しています。
しかし、弱点として
「王寺良観の説く處が平凡でつまらなく管々しいから作全体が詰らなくなって了った」
と禁忌の根拠となる老僧の教えが陳腐な物であったので彼の悩みが引き立たないと批判しました。
そして福助と魁車については
「春の巻の間はいゝが板になっての心の悩みにもっと深みを要求したい」
と福助は対面の時と同じく何処か真剣味に欠ける演技を批判されているのに対して足して二で割ると丁度良いくらいに自己主張の多さが傷になる魁車は
「魁車のおよねは可憐に出来た気が狂ってからも余んまりお芝居を演ないでよくしてゐた」
と普段の自己主張を抑えた演技ぶりを評価され魁車の方に軍配が上がる形になりました。
福助の順教と魁車のおよね
一方脇の役者はと言うと上記でも台詞の陳腐さを指摘されていた多見蔵の良観は
「多見蔵の良観作者の云ふ處も平凡であるがそれを扱ふ多見蔵がグズグズ云って詞捌が不明瞭であるから愈々力がなくなり順教でなくとも迷ふのが至当だ」
と台詞の中身もダメなら言う多見蔵も不明瞭な台詞廻しで余計に分かりにくくしていると酷評されましたがそれ以外の役者は逆に評価は良く対面でも唯一批判されなかった吉三郎の浄教は
「吉三郎の浄教はそれらしい俗僧でいゝ」
と評価され新作物に定評がある卯三郎の花屋伝兵衛も
「卯三郎の花屋はいつもの卯三郎型、活殺自在のメリハリで舞台を締めてゆく」
と憎たらしい狂言回しの役者を器用に演じているのを高く評価されています。
この様に福助と多見蔵は不評でしたがそれ以外の役者は作品を理解して演じれており、こちらも対面同様に突出した出来とは言えなかった様です。
南部坂

中幕の南部坂は河竹黙阿弥が明治4年に書いた忠臣蔵物の四十七刻忠箭計という演目の三幕目を改題した黙阿弥物の演目となります。
真山青果の実録忠臣蔵にもまんま移植された為に時代劇でも頻繁に掛かる場面であり、大石内蔵助が仇討ちを秘匿して瑤泉院の元を訪れ、間者を恐れて町人になると告げて仇討ちをしないふりをする彼に瑤泉院が夫の位牌を打ち付けたり、清水一角に痰を掛けられる等といった内蔵助の辛坊立役の場面が絵になる話になります。
今回は大石内蔵助を鴈治郎、瑤泉院を福助、戸田の局を魁車、侍女お梅を新升、渋川播磨を林左衛門、寺坂吉右衛門を市蔵、清水一角を延若がそれぞれ務めています。
さて、実は明治4年の初演時には鴈治郎の実父である三代目中村翫雀が戸田の局を務めていたという縁がある演目ですが意外にも鴈治郎が初めて演じたのは前月の顔見世という位に殆ど上演経験が無い組み合わせである鴈治郎✕黙阿弥物とあって劇評も
「本来いゝ作品でなく浅海な作意があざとい」
と作品の完成度を引合に出して心配していたとしていたものの蓋を開ければ鴈治郎も劇評が危惧した面を考慮してか
「「東日記」を読んでくれなどそれと悟れがしの科を省いて渋く渋くと狙ってゐるのはいゝ。」
と写実風の改良を入れた事でその辺の対策をしているのを褒めた上で
「その舞台をあれまで大きく見せたのは矢張鴈の内蔵之助の力であった」
と由良之助役は無論、碁盤太平記や新作の大石内蔵助等で培った実力で弱点を補って余りある演技を見せた鴈治郎を高評価しています。
鴈治郎の大石内蔵助と市蔵の寺坂吉右衛門

そして上記2つの演目では批判続きであった福助の瑤泉院を始め他の役者についても
「福助の瑤泉院、魁車の戸田の局ともに役どころ」
「新升の間者の侍女は盗聴の間をよくしてゐた」
「延若の一角、市蔵の吉右衛門一通りの出来」
と鴈延の顔合わせを含め何れも大過無く外した役も無いと鴈治郎のいるお陰か緊張感を入った舞台模様になったらしくここに来て初めて満点評価の演目となりました。
文覚と頼朝

同じく中幕の文覚と頼朝は作家の岡崎茂一郎が書き下ろした時代物系統の新歌舞伎の演目になります。
文覚と言えば歌舞伎でも文覚勧進帳や帝国劇場の筋書で紹介した那智滝祈誓文覚がありますが今回は文覚となった後の治承3年に配流先の伊豆でその辺に落ちていた髑髏1つで頼朝をけしかけて挙兵を促すというシンプルな内容となっています。
今回は文覚を延若、安達盛長を蝦十郎、政子を新升、頼朝を魁車がそれぞれ務めています。
さて、余りにシンプル過ぎるヤマ無しオチ無しの内容ですが、劇評も
「治承のあの源平の大戦争を枯野に転がっていた髑髏が元だといふ痛快な皮肉で人生に対する一部の面白い見方であるが酷い事にはこの面白い皮肉を作者も役者も取扱ふには腕が足りない」
と着眼点は悪くは無いものの、尻切れトンボみたいな内容に関しては辛辣に評価しています。
また、台詞回しにも難があったらしく
「言葉が現代語であるので政子が「いけないわ」といったり頼朝が「左様だね」などいふと見物がドッと笑ふ」
と作者の歴史認識が足り無さすぎて宛ら喜劇の様に見物が笑ってしまっている様子も指摘しています。
延若の文覚

一方で役者の演技に関してに
「延若の文覚の時だけ妙に笑はない、其處に何かしら「力」が出てゐる、その点で延若は成功だ」
「魁車の頼朝が貧乏臭く出来てゐるのは好い、しかしこの優はいかにも言葉が拙い」
と多少辛辣な評価はありますが役者なりに演目に沿って演技はしていたらしく、その点はきちんと評価されているのが分かります。
この様に作そのものの未熟さ故に評価されるどころか喜劇だとまで揶揄されてしまい折角の役者の演技も意味を成さず失敗に終わってしまいました。
九十九折

二番目の九十九折は福田光一、大森痴雪の合作で書かれた世話物系統の新歌舞伎の演目になります。
内容としては木谷屋の手代清七がいずれ娘を娶わせて店を継がせるという主人の約束を信じて店の罪を被って行方を眩ませて熱りが冷めた頃に店に戻ると約束を違えられ店から追放されてしまい、その時出会った主人の娘そっくりの雛勇にぞっこんになるも、雛勇は清七の口止め両が目当ての悪女で、情夫の八坂の力蔵と共に罠に嵌めようとするも酔った勢いで力蔵が雛勇を殺してしまい、それを見た清七が力蔵を殺して無我夢中で散らばった口止め両をかき集めて逃げて行くという話になっています。
今回は手代清七を鴈治郎、木谷屋新造を右團次、雛勇を福助、お露を林左衛門、手代太七を箱登羅、木谷屋仙右衛門を市蔵、手代久七を卯三郎、八坂の力蔵を延若がそれぞれ務めています。
鴈治郎の手代清七、延若の八坂の力蔵、福助の雛勇
さて南部坂では予想以上の好成績を挙げた鴈治郎でしたが得意の世話物系新作のこちらではどうだったかと言うと
「この新作を見て感じる事は鴈治郎をどう扱はうかといふ苦心が作者の第一とする處で其他総てが閑却され犠牲にされてるから例の鴈向きの新作といふのみで気が変らぬ」
「強いて云へば鴈延、福の三優を乱酔させたといふに止まるがその鴈も福助もが酔態を写す事が拙い鴈の如き徒らに怒鳴ってゐるのは工風がなくて見醜くかった」
と老いた鴈治郎でも演じられるようにと言うのが前提にある演目の出来は無論の事、鴈治郎の演技に関しても今までにない役柄に対して真剣に取組んでいる様子は伺えるものの、酔って怒りをぶちまける演技も工夫が無いとほぼ久しぶりとなる全否定レベルの酷評を受けてしまいました。
前からちょくちょく触れてはいましたがこれまで幾度の気鋭の作家に新作を書かせて舞台化し成功を続けてきた鴈治郎も大正8年の藤十郎の恋を最後に大当たりを取れた演目は無くなっていました。
それでも、何度目の鯛かを目指そうと新作は書き続けられていましたがマンネリ化は否めずご覧の通りの結果となりました。
そして新作の上演ペースも震災以降を境に段々低下し過去の当たり作の再演も目立ち始め、これだけ酷評を受けた九十九折ですらも12月の顔見世で早くも再演する等、鴈治郎の新作歌舞伎における衰退がこの頃からジワジワと目立って来る事になります。
七ツ面

大切の七つ面は歌舞伎十八番の…ではなく、右團次の為に今回新たに書き下ろされた同名の新作舞踊となります。
本家の七つ面は役者が面に扮して演技を見せるという趣向なのに対して今回のは右團次演じる面売りが舞台の面を1つずつ手に取って付けて面に合った踊りを踊り最後は大勢のひょっとことおふくの面を被った若手での総踊りという正月舞踊らしさを出した演目となっています。
しかし、九十九折の時点で既に文字数の8割以上を使い切っていた関係もあるのか案の定劇評では完全に無かった扱いをされていてしまいました。
この様に評価すらされなかった七つ面を除いても瑕疵無く良かったのは中幕の南部坂のみで、鴈治郎が出ている九十九折すらも酷評という有り様でした。そして翌月の2月公演も異例となる同じ面子が続演し演目も
・伽羅先代萩
・すみだ川
・恋の湖
・三社祭
と古典での大顔合わせに鴈治郎の出し物もかつての当たり演目の再演で公演を行う等、松竹も守りに入った姿勢で臨んでいたのが分かります。このまま行けばこの大正12年は衰えが見え始めた鴈治郎の代わり次世代の延若、福助、魁車の台頭が…と思われましたが折しも9月に発生した関東大震災により東京が壊滅状態になった事を受けて東京の幹部役者がこぞって下阪して鴈治郎との共演を行う一種の共演バブル状態となった事で鴈治郎は一時的に息を吹き返す事となりました。
この辺の話はまた次の中座の筋書紹介の時に説明できればと思います。