栢莚の徒然なるままに

栢莚の徒然なるままに

戦前の歌舞伎の筋書収集家。
所有する戦前の歌舞伎の筋書を週に1回のペースで紹介しています。
他にも歌舞伎関連の本の紹介及び自分の同人サークル立華屋の宣伝も書きます。
※ブログ内の画像は無断転載禁止です。
使用する場合はコメント欄やtwitterにご一報ください。

今回は市村座の筋書に関連してかなり珍しいこちらの資料を手に入れたのでここで紹介したいと思います。

 

パンフレット 市村座 第3号

 

市村座が発行した小冊子パンフレット 市村座の第3号になります。

松竹率いる歌舞伎座には第二次歌舞伎、帝国劇場にはここでも頻繁に紹介している雑誌帝劇とそれぞれ宣伝用の小冊子があるのは知られていますが市村座のこちらは知る人ぞ知る存在であり、私も創刊号と第2号までは古書店でも見かけた事があり、第4号が国会図書館に所蔵されているのまでは知っていましたが唯一第3号だけは実際に見たことが無く幻の存在となっていました。

それだけに先日市場に出たと知って夢中になって入手した次第になります。

 

さて、中身の方はと言うと16Pと雑誌帝劇のネタが無い月位のボリューム量ですが次の4月号が13Pなのを踏まえると少し多くなっています。内容としては第一次歌舞伎の流れを引きつつも歌舞伎座の新作紹介や歌舞伎の蘊蓄解説を入れて大衆向けだった第二次歌舞伎や独自の硬派路線を歩んでいた雑誌帝劇とは異なり

 

・帝国劇場の筋書

 

・演芸画報

 

・新演芸

 

の企画をまんま真似した様な良く言えば馴染みのある悪く言えばパクリと言える物となっています。

 

 

帝国劇場の筋書にある帝国劇場の紹介をパロディった紹介

 
因みに本物の帝国劇場の筋書に掲載されている紹介
 
尤も真似しているとは言え、新演芸風の記事では匿名で言いたい放題言うのが売りに対してこちらではアッサリ書いてる人間を明かしたりと怒られる線ギリギリを攻めた内容になっていて、新演芸に関しては最後の画像を見れば分かる様に広告まで出稿していて黙認(?)の元に書かれている節すらある等、イタコ形式で故人を出して散々に自分の主張を喋らせた芸界無線通信を書いた田村成義の人を喰った様な精神がここでも生きているかの様な感じすらあります。
 
新演芸風匿名(?)形式の大道具紹介の記事

 
この様なちょっとパロディった部分に目がどうしても行きがちですが論評の部分を見るとこの辺は雑誌帝劇を見習ったのかきちんとふざけずに書かれており、その一方で家の芸として大切にしている梅幸がお岩の墓参りは無論、精進潔斎とお稲荷を楽屋に持参し毎日御礼を申し上げてから舞台に臨む逸話を書いたかと思えば梅幸の義弟である彦三郎は木彫り細工が得意だからとその昔四谷怪談の舞台を木彫りで彫った所、その日から怪異に見舞われ怯えている夫人を宥める為に押入にしまったのを今回の上演の際に思い出して取り出してみると四谷怪談の木彫りだけ鼠に食われて跡形も無くなっておりゾッとしたという怪談噺まで載る等、お堅めの評論ばかり並ぶ帝劇に比べると硬軟良く織り交ぜて読者の肩が凝らない様な工夫が施されています。
 
四谷怪談の紹介記事

 
最後に広告のページをよく見て見ると広告掲載料なるものがしれっと載っており、
 
特等一頁:100円
 
一等一段(下記の新演芸の広告がこれに該当すると見られる):50円
 
二等一頁:50円
 
となっています。
 
新演芸の広告記事と広告募集記事(右下)

 

現代の貨幣価値に換算すると約8万1,500円~16万3,000円位であり、劇場内で発売する小冊子の掲載料としては無難な価格設定となっています。焼失前の市村座の収容人数は1400人程度という資料がある事から定価5銭で仮に1000部売れたとしても1日の収入は60円で1ヶ月25日計算でも1800円(約293万円)程度の収入にしかなりませんがこの頃の市村座は慢性的な累積負債を抱えており、大正11年頃に絵本番付を廃止した代わりにこうしたコスパの良い副収入物販で少しでも利益を稼ごうとしていたのが窺え、田村壽二郎の涙ぐましい努力が偲ばれる物があります。

関東大震災による焼失や壽二郎の急逝もありこのパンフレット市村座は次の4号で打ち切りとなってしまった幻の冊子となっています。幸い次の4号も一緒に入手しましたので次もこのパンフレット市村座を紹介したいと思います。

今回は久しぶりに市村座の筋書を紹介したいと思います。

 

大正12年5月 市村座

 

演目:

一、四谷怪談

ニ、汐汲

三、鳥羽絵

四、御所五郎蔵

 

前回紹介した時の筋書

 

最後の帝劇引越公演についてはこちらをご覧下さい


雑誌帝劇でも紹介した通り、8年間続いた帝国劇場への引越公演も打ち切られ、勝負月の4月公演には明治41年6月以来15年ぶりにお家芸の弁天小僧を出すも他の劇場の重厚なラインナップに完敗し市村座は一敗地に塗れていました。

 

失意のまま一同は5月公演を迎える辺り田村壽ニ郎と岡本柿紅専務は起死回生の望みをかけて松竹、帝国劇場と交渉を重ねて松竹から市村羽左衛門、帝劇から尾上梅幸を借りる事に成功し、史上2度目となる「三座の役者が同じ舞台に上がる」という強力な座組を作り上げました。

 

史上初の公演はこちら

 

主な配役一覧

 

そして大正5年以降東京だけでも歌舞伎座及び新富座と帝国劇場で何度も実現してきた羽左衛門と梅幸のドル箱コンビだけになまじ普通の世話物では見物の耳目を惹きつけられないと判断し、菊五郎を交えての四谷怪談が呼び物となりました。

 

四谷怪談

 

と言う訳で一番目の四谷怪談は説明不要の四代目鶴屋南北の書いた仮名手本忠臣蔵の外伝物にして怪談物の傑作演目になります。

 

帝国劇場で上演した時の筋書はこちら

 

帝国劇場での上演時は浪宅、伊藤屋敷、隠亡掘、夢の場、蛇山庵室の三幕五場でしたが今回は伊藤屋敷と夢の場が無い代わりに菊五郎の出番の為に三角屋敷の場を加えた四幕四場での上演となりました。

これに関しては劇評から

 

三角屋敷を出したのが珍しいが、此狂言の一番凄味を見せる浪宅を序幕にしたので、遅れた見物は見られないのが遺憾

 

と三角屋敷上演については好意的なものの、それ故に浪宅が序幕になり遅れてきた午後開演にも関わらず遅れて来る自業自得な見物が見損ねた事例があった事を指摘しています。
 

今回はお岩と小仏小平を梅幸、伊右衛門を羽左衛門、宅悦と直助権兵衛を菊五郎、お岩の妹お袖を男女蔵、秋山長兵衛を新十郎、伊藤喜兵衛を菊三郎、戸倉屋蓑助を伊三郎、関口友蔵を團右衛門、孝助を幸蔵、仏孫兵衛を翫助、お梅を福之丞、お牧を鬼丸、佐藤与茂七を友右衛門、荒木十内を彦三郎がそれぞれ務めています。

 

さて、初っ端から羽左衛門、梅幸、菊五郎、彦三郎の音羽屋三兄弟+橘屋の顔合せとなった四谷怪談ですが前回の帝国劇場の際には出前の蕎麦屋を失神させる程の怖さを見せた梅幸は

 

梅幸のお岩は相変らず扮装が凄い

 

と今回も十分お岩になり切っていたと評価していますが一方で

 

髪梳きから衝立にたらたらと血を流す處は、先年の帝劇程に何う云ふ程か凄気が見えない

 

隠亡堀の戸板返しと蛇山の庵室の亡霊は流石に此優独特の凄味が漲る、部分的に見ると兎も角もお岩の役は何時見ても当代第一たる事は肯かれる

 

と5年前に比べて浪宅の場での凄惨な死の場面に不満はあったものの、それを除けば他の追従を許さないお岩役者の貫禄を高評価されています。

 

梅幸のお岩

 

前月の土蜘の時にも悪い写実癖を指摘されていた梅幸ですがこの悪い流れは四谷怪談でも多少見え隠れしたのが分かります。

一方、佐藤与茂七は1度務めた経験はあるものの、お岩役者と謳われた梅幸とは正反対に今回初役で伊右衛門を演じる事になった羽左衛門は

 

羽左の伊右衛門は柄がか細いので、直侍あたりがちらつくが、隠亡堀などすっきりし過ぎたもので、庵室になって始めて凄愴な柄から来る味が出てゐた。

 

と彼自身がなまじ陽キャラの二枚目体質が故に初演の七代目市川團十郎の様な陰湿な実悪ぶりに乏しい点が挙げられるものの、伊右衛門が呪いで病み衰えた蛇山庵室になるとその細身が却ってリアルさを帯びてくると演技云々以前の点で判断されてしまっていますが初役である事を踏まえれば及第点以上の結果であったと評価されました。

 

羽左衛門の伊右衛門

 

そして本来であれば初演で三代目菊五郎が演じ実父五代目も演じた与茂七を演じても良かったのにそれを友右衛門に譲り今回は全くニンのない宅悦と割かしニンのある直助権兵衛を演じる事になった菊五郎はと言うと

 

菊五郎の宅悦は何と云っても年配の若いのが邪魔をする、それは一般見物の眼に松助が浮かぶからであらうが、老巧にして凄味を出させる力ある、松助の偉大さを更に思はせる基で、六代目のは善人の長庵や宇津谷峠の文彌が散つき出すのは止むを得ない、だが物も云へずに逃げ出すまでの其恐怖が小利巧に写実的に描き出されてゐる、其處が又此優の持味であり、得意な處であらう

 

二役の直助権兵衛が、装着な小悪党として男女蔵のお袖を欺くまでが得意の弾正で、戻りになって自殺するまで極さらりとした中に味を見せてゐる

 

と予想通り友右衛門に演じさせた方が良かった気がする老け役の宅悦は彼なりに偉大なる松助を意識して「善人でも悪人とも言えない強欲でありながら小心者な人間」を等身大で演じたものの、脂の乗り切った38歳の彼が宅悦を演じるにはどう見ても若すぎると不評でしたが、二役の直助権兵衛は三角屋敷の場の御陰で市村座での黙阿弥劇で鍛えた腕前を存分に披露してお袖を物にしようと暗躍する小悪党ぶりを高評価されました。

因みに菊五郎に代わり与茂七を演じた友右衛門については

 

友右衛門の与茂七は唯すっきりしてゐるだけで、大した仕處のないのが同情される

 

と見た目は良いがそれ以外はさっぱりという評価となっていて直助権兵衛を演じる判断は間違いで無かったのが分かります。

この様に主要キャストはそれぞれ悪い所は散見されるも梅幸のお岩を除いて3人共初役であり、それを踏まえればかなり健闘したと言えます。

 

汐汲

鳥羽絵

 

続いて中幕の汐汲と鳥羽絵はそれぞれ菊五郎の出し物である長唄と清元の舞踊演目となります。

 

今回は苅藻と升八を菊五郎、小汐を男女蔵、磯菜を榮三郎、小浪を竹松がそれぞれ務めています。

幾ら窮地とは言え、時代物と世話物の出し物を羽左衛門と梅幸に譲らざるを得なくなり自身の出し物は凄惨な四谷怪談後の清涼剤的な役割を兼ねた若手を率いての舞踊だけとかつて三津五郎に強いたのと同じ状況となってしまった菊五郎ですが

 

菊五郎の其汐汲の海女は、七三からせり上がって変化の心持ちを見せた一糸乱れぬ踊りや、乱拍子以下の上品な舞の手が、如何にも鮮やかなのと、替って鳥羽絵の下男の飄逸な其振りに、真似手の無い面白味があった

 

と座の為にプロとして清涼剤兼コメディリリーフ的な役割をこなす姿に劇評も美しい汐汲の海女と下品で滑稽な鳥羽絵の下男という対照的な役を演じ分ける技倆の高さを高く評価しています。

 

御所五郎蔵

 

最後に二番目の御所五郎蔵は歌舞伎座の筋書でも紹介した事がある河竹黙阿弥の書いた世話物の演目になります。

 

歌舞伎座で上演した時の筋書はこちら

 

 

市村座で上演した時の筋書

 

今回は御所五郎蔵を羽左衛門、星影土右衛門を菊五郎、花形屋晋助を友右衛門、秩父の重蔵を男女蔵、暁鐘兵衛を幸蔵、傾城皐月とおとわを梅幸、傾城逢州と逢州の霊を榮三郎、甲屋与五郎を彦三郎がそれぞれ務めています。

 

言わずと知れた羽左衛門の演し物でかつて市村座で出した時は五郎蔵を務めた事もある菊五郎が今回は星影土右衛門に回っての顔合せになりましたが、2人の評価はと言うと

 

羽左の殆ど専売物で、今更兎角云ふまでもあるまい

 

是に配するに菊五郎の土右衛門を以てしたのは、唯見物の好奇心を煽るだけで彼れも矢張り五郎蔵役者である事を、沁々思はせる
 

と羽左衛門の五郎蔵は文句のつけようの無い出来だった一方でニンとしては五郎蔵役者である菊五郎を羽左衛門との顔合わせさせる為に星影土右衛門を演じさせた配役については否定的な評価となっています。

そして五代目が最晩年に五郎蔵を演じた時は傾城逢州を務めた事がある梅幸は今回晴れて皐月を演じ

 

梅幸の皐月は立派

 

とこちらは言葉短めながらも立女形としての貫禄振り評価されています。そして梅幸がかつて演じていた傾城逢州を演じた息子の榮三郎は

 

榮三郎の逢州は淑やかな花魁であった

 

と時分の花真っ盛りの彼もまた役と良く合っていると評価されました。

この様に菊五郎の配役そのものに少しケチが付いた以外はどの役者も好評で出来としてはこちらも四谷怪談に負けず劣らずかなり好評だった様です。

 

この様に概ねどの演目も評判が良く2月の新富座、翌月の帝国劇場を前に再び羽左衛門と梅幸のコンビが見れるとあって

 

初日から非常な盛況を見せている

 

とかつての市村座では当たり前であった光景が一時蘇る程の大入りとなりました…が、大正8年の段階で羽左衛門は月3,000円、梅幸は月2,500円と市村座専属の中ではトップの高給取りである菊五郎(月1,300円)の倍以上を取る2人を出演させたが為に収支としては赤字になるという本末転倒な結果になってしまいました。

 

そしてとうとう次の6月公演は休演になってしまい、市村座に次の公演の運転資金を入れるべくとうとう菊五郎は松竹の劇場に借りられる羽目になります。そんな菊五郎が出演した新富座の筋書は所有していますので後程紹介したいと思います。

今回は雑誌帝劇を紹介したいと思います。

 

帝劇 大正12年4月号

 

前月号はこちら


表紙の山本専務の談話は前月号に書いた帝劇の観劇料問題を再び取り上げ観劇料低減案として今も歌舞伎に運びる二部制を採用しその代わり観劇料も半減するという提案をしています。

今では二部制にも関わらず納涼歌舞伎ですら桟敷含む特等席の観劇料が20,000円のご時世ですが100年前では5月公演で実施した場合、3円50銭(約5,700円)で観せれるかも知れないと試算していて隔世の感すら感じられます。

 

そして山本専務は続けて劇評家の厳しい態度に触れて感謝は示しつつももう少し言葉を和らげて欲しいとも述べています。今の商業誌、同人問わず劇評家達のお優しい態度からするとこれまた隔世の感が感じられ、観る側もまた100年間でかなり変わってしまった事を感じさせる文章となっています。

 

さて、表紙の話はここまでにして前月号でも触れましたが今回の号から劇場内の配布誌から商業誌へとシフトした事を受けて誌面もリニューアルされました。

 

新たに出来た次号予告のページ

 

そして商業販売一発目という事で執筆陣にも予算を掛けたらしく冒頭は小説家幸田露伴による「演劇四つの柱」と題した演劇論が寄稿されています。

 

幸田露伴の寄稿文

 
といっても内容は至ってシンプルで演劇において必要不可欠な4つの要素として
 
・俳優
 
・作者
 
・劇場
 
・観客
 
を挙げそれぞれ
 
・俳優
 
脚本を立体的にして観客の眼前に供するばかりでは無く、又其中に含まれ蔵されて居る気合や、韻趣や、情味や、其他言語挙動では直接に現はし難い或物までを、観客に感知させるのみで無く、自分の芸術的良心の指示す處を枉げ無いで而して個人的の優秀さを万目の前に発揮し、観客を芸術の神境まで誘致する
 
俳優の優秀な場合には、他の点に不満足な事があっても、何用にか斯様にか成立得るほどです。
 
・作者
 
作者の大切なことは申す迄もありません、演劇の出来上る順序から云へば、作者は始であり本であります
 
作者といふ柱一柱が弱小だと、演劇は堕落していったり、偏畸していったり、全く存在の價値を失ふやうにもなりませう。又作者が宜しければ、演劇は隆興しませうし、世間に及ぼす影響も宜しいでせう。
 
・劇場
 
興行者は役も仕なければ作もしませぬが、此の一ㇳ柱の大切なことも申す迄も有りません。
 
此の一と柱が無ければ演劇は成立せぬのであり、此の一と柱の確乎としてゐるか居ないとで、覿面に内容は兎も角く芝居其物の盛衰興廃が起るのです。
 
興行者は第一に才力を要する、才力は経営を為さしむる所以である、次に懐中か背後に資力を要する。資力が乏しければ善美な劇場も結構な舞台装置も出来ず優れる俳優をも良い脚本をも招致出来なくなる。その上に鑑識力が無くてはならぬ。鑑識力が乏しくては適任を適所に置き得なくなり、俳優及び其附属、作者作品、舞台装置者、音学者、其他あらゆるものの撰択と治定とに失敗し勝になり、才力資力を割引にして終ふおそれがあります。
 
・観客
 
観客が演劇の成立の一本の大柱であるといふには不審を抱かるる方が有るかも知れません。(中略)わたくしは観客は成程演劇を観る方には相違無いが、同時に演劇を成立たしめて居るのであると考へます。
 
観客はつまり時勢の代表で狂言は又時勢の現はれであります。時勢が変遷するので観客の好むも好まぬものが変ってまゐり、観客の好みが変るので世に持囃さるる狂言も俳優も変ってまゐり、そして其間に新陳代謝が行はれて、時代時代の芸術が成立つのであります。それ故に観客は決して矮小劣弱な柱で有ってはなりません
 
と述べて演劇は1つの家に喩えて家を支える4つの柱でありどの柱が高過ぎても低過ぎても家が歪になってしまう為、4つの柱に喩えた要素がどれも欠けてはいけないと述べています。
これを今の歌舞伎に当て嵌めて見ると俳優と観客の柱は今も昔と変わらない大きな立ち位置を占めているものの、作者と劇場の柱は前2つに比べると低くなっているなという印象があります。勿論、新作を書く作者は三谷幸喜やら野田秀樹やら竹柴潤一など幾人かはいますが新歌舞伎隆盛であった大正時代や大佛次郎、舟橋聖一、円地文子、梅原猛など錚々たる面子が歌舞伎に題材を提供してきた戦後と比べて見ると平成時代に特筆する様な新作演目が少ないのは目に付きます。
また、劇場である松竹の演劇部門の売上も2013年の歌舞伎座新開場以降は右肩下がりの傾向で、コロナ禍以降は言っては難ですが芝居一本で飯を食えてはいない歪な状況であり、露伴の言う才力、資力、鑑識力のどれを取ってもジリ貧の様な感は否めない物があります。
流石に2025年になって危機感を覚えたのか三大義太夫通し上演と並行して新作歌舞伎の連続上演など現状改善に舵を切りましたが、これで露伴の言う劇場と作者の柱の復権に繋がるのかは未知数と言えます。
 
続いて帝国劇場でも何度か書いた演目が上演されている等関係が深かった劇作家の中村吉蔵が当時話題となっていた国立劇場建設に絡む寄稿文を書いています。
 
中村吉蔵の寄稿文
 
内容としては商業主義が原理原則である演劇においてこれから作られるであろう国立劇場がどの方向に向かって行けば良いのかについてアメリカやドイツ等の例を参考に書かれています。
国立劇場が閉館した今となっては100年ぶりにタイムリーな話題とも言えますが吉蔵は文中で
 
我国などでも歌舞伎保存の為めに、国立劇場を設置するというやうな企てなら必ずしも無用の事だとは云へないのみならず、やがては、さうしなくては古典劇が滅亡するやうな時代が来ないとも限らない
 
とまるで100年後の今の歌舞伎界を予言する様な鋭い指摘をしたりする一方で、ドイツの国立劇場が盛況なのを引き合いにドイツ方式で行けば経済概念に囚われず芸術性を維持しながらも盛況になると今までの国立劇場の惨憺たる入りを見ると必ずしも首肯出来ない意見もあるなどこの当時は想像もつかなかった国立劇場を巡って様々な意見が飛び交っていたのが分かります。
この当時は国立劇場創設に向けた動きが活発化していた時期であり、惜しくも関東大震災や世界恐慌、志那事変といった出来事により興味関心が次第に薄らいでしまい戦後まで話が進展しませんでしたがもしこの時期に国立劇場が出来ていれば空襲による劇場焼失の可能性はあったものの、戦前戦後の歌舞伎の様相も一変していただけに想像にかきたてる物があります。
 
写真入りとなった帝国劇場及び有楽座のページ
 
 
 
さて、最後に帝国劇場の4月公演ですが前回も軽く触れましたが
 
・ひらかな盛衰記
・土蜘
・咲競雪梅香
・秀吉と曽呂利
 
と新旧合わせて2作ずつの計4演目が上演されました。
 
梅幸の延寿、宗十郎の源太、宗之助の梅枝
 

売りとしては梅幸のお家芸である土蜘と幹部勢揃いでのひらかな盛衰記でしたがこの内土蜘に関しては演芸画報に批評が載っていますが

 

「身は雲水の」の件の踊りも、もっと漂泊者的な情味が滲出してゐなければ不可ないし、また「難行苦行」の見返りも、非常に散漫な気がする。僧である前半、凡てに刹那的の意気込みが足りなかった

 

後半になって、四天王に棲家を襲われてからも、菊五郎氏は蜘蛛の姿を現はす最初に、もう突っ立ってゐた。これでなければ不可ない。(中略)所が梅幸氏は「我を知らずやその昔」でふいに立った迄のことである。それ迄はただ蹲ってゐた。

 

蜘蛛になってからの形相は、元来梅幸氏に有利な、適切な体躯を持ってゐるのであるから、これからは見直すでだらうと期待してゐたのにまた失望させられた

 

と2月の新富座の時にも岡鬼太郎にこっ酷く批判された梅幸の変な写実癖がモロに出てしまったらしく、彼としては珍しく全面的な酷評を受けてしまいました。

團菊(厳密に言えば九代目團十郎)が歌舞伎界に新たな基軸として齎した心理描写を重視した演技、所謂肚芸ですが大正後期の頃にはこうして劇評家からも指摘を受ける位に弊害が指摘されており、今回は対照的に評価を受けている菊五郎も例外ではありませんでした。

新歌舞伎や新作であればいざ知らずこってこての古典劇などで肚芸を見せるというのはかなり技量の要る為、徒に古典物を現代の視点で再解釈するというのが流行っている今の歌舞伎においてもこの辺は一考して欲しい物があります。

 

それはさておき、土蜘こそ酷評を受けてしまいましたがそれ以外の演目については

 

 

 

と土蜘に比べて

次の5月号もまた直ぐに紹介する予定です。

今回も再び雑誌帝劇を紹介したいと思います。

 

帝劇 大正12年第3号

 

前月号はこちら


先ず表紙に書かれている山本専務の寄稿ですが前月号の開演時間問題に引き続きこの号では帝国劇場の入場料についてとなっており、明治44年の開場時から平均で200%、ある人からは500%も値上がりしていると指摘されたらしく、それに対して山本は163.2%の値上がりになっていると明かした上で帝国劇場創立当初の理念である「観劇料の低減」を守るべく特等、一等席を値上げする代わりに三等、四等席の価格を相場に比べて安くする様にしていると述べています。

 

実際の所はどうなのか気になって調べてみると

 

明治44年3月の杮落し公演の観劇料

 

特等:5円

一等:2円50銭

二等:1円50銭

三等:80銭

四等:40銭

 

大正12年4月公演の観劇料

 

特等:7円50銭(150%UP)

一等:7円20銭(288%UP)

二等:5円(330%UP)

三等:2円(250%UP)

四等:1円(250%UP)

 

となっていて163.2%の根拠こそ不明なものの、明治44年から大正12年までの物価の上昇率(約235%)を加味すると一等、二等を除けば概ね開場時の価格帯を維持していたのが分かります。

そして不満緩和の為か劇場内の食堂の値下げも合わせて発表しており、興行時間の制限に加えて観劇料の値上げという負のイメージを払拭しようと努力しているのが窺えます。

 

食堂の値下げの記事

 

さて、表紙の話題はここまでにして本編に入ると冒頭にあるのがハムレットの演出に関する寄稿文になります。

 

この号の約3割を占めるハムレットに関する寄稿

 
てっきり短期公演でハムレットでも上演するからその宣伝も兼ねて…と思いきや、この月の短期公演は踏影会であり、公演とは全く無関係の純粋な演劇論としての投稿でした。
市村座引越公演の際には余り宣伝をしない事は過去に紹介した第3、8号でも紹介した通りですが良く言えばこの雑誌が好評な事から劇場内限定の冊子から一般書店で販売する売物として昇格するのを受けて独自性を出して行こうという意気込みを感じる一方で悪く言えば落ち目の市村座引越公演の月の号である為に公演内容に触れずに頁数を埋める為に出した穴埋めの感が否めない物があります。
 
内容については流石に専門外ですのでここで余り触れませんが至極真面目にハムレットの演出の変容と日本におけるシェークスピア物の受容について書かれており、シェークスピア好きの人は見ると楽しめるかも知れません。
 
たった1ページしか割かれていない3月公演の情報
 
さて、この月の帝国劇場の公演に触れると前々から折に触れて書いてきた通りこの公演が大正4年から8年間続いた市村座引越公演の最終回となりました。
 

同月に行われていた新富座の筋書はこちら


市村座の専属役者の内、彦三郎親子のみ以前紹介した新富座に出演した以外は帝国劇場に出演し残った松助と勘彌との共演となりました。

 

演目は

 

・断橋

・神霊矢口渡

・保名

・息子

・侠客春雨傘

 

の5演目でこの内、序幕の断橋と侠客春雨傘で菊五郎と勘彌が顔合わせし、神霊矢口渡は友右衛門、保名は菊五郎の演し物で息子は菊五郎と松助の顔合わせとなりました。

 

菊五郎の保名

 
劇評によるとこの中で評価は
 
小山内氏の「息子」と「春雨傘」が見ものであった
 
と息子と侠客春雨傘が頭一つ抜け次いで保名と神霊矢口渡が次点で
 
第一の有島武郎氏の「断橋」は期待に反した、詰まらぬ劇であった
 
と位置付けています。
 
菊五郎の金次郎と松助の老爺
 
一番良かったとした息子については
 
松助の火の番老爺が、菊五郎の金次を我が子と知らずに、頑固な中に人情味を持たせた長い会話で、老巧な處を見せる
 
生の親を懐かしむ菊五郎の金次にも、独特の味があった
 
劇としてはほんのスケッチ式のさらりとした物にも拘らず、何処かに一種の味と余韻があったのが面白かった
 
と市村座と世話物で培った写実の芸が、ここに来て新作物でも調和し菊五郎と松助の2人だけで舞台が成立する程の完成度の高い芝居となっていると高評価しています。
そしてもう1つの侠客春雨傘に関しては暁雨を菊五郎が演じるのかと思いきや勘彌が演じ菊五郎は釣鐘庄兵衛に廻りましたが
 
勘彌の暁雨も仲の町よりは油が乗って、年輩以上の出来栄えであった
 
立田屋になって庄兵衛が黙々たる後に懺悔の切腹する迄が初役でも此優の傑作であった
 
と双方共に期待以上の出来だったらしく、脇も男女蔵や榮三郎は流石に無理があった様ですが、鉄舟斎に抜擢された友右衛門は
 
友右衛門の鉄舟斎は本役で立派であった
 
と評価されており、前評判の低さに反して良かったと記されています。
 
広告スペースレベルの小ささで宣伝される羽衣会と踏影会のお知らせ
 
この様に劇評を見る分にはまだまだ問題無い様に見える市村座でしたが、入りは彦三郎の復帰や鬼丸の加入程度の補強ではどうする事も出来ない程悪化しており、翌月は本拠地に戻り前年の河合武雄に続き松竹から新派の喜多村緑郎を借りて
 
・里見八犬伝  
・茅の屋根  
・素襖落  
・母親  
・弁天娘女男白浪
 
と新作から音羽屋のお家芸たる弁天小僧まで多彩な5演目を出しましたが対する新富座が伽羅先代萩と助六、帝国劇場がひらかな盛衰記に土蜘、明治座が慶安太平記と豊富な役者と犇めくキラー・コンテンツに完全に見劣りしてしまい、入りは悪く吉右衛門の脱退から僅か2年で最早単独公演では誰かを借りても完全に勝ち目が無い状態にまで追い込まれてしまいました。
この後関東大震災が起こるまでの5ヶ月間の間市村座は松竹と帝劇から役者を借りたり逆に菊五郎を松竹に貸したりする等、今まで以上の綱渡り経営で凌ぐ事になりました。
 
今回は雑誌の内容と関係ない事が多くなってしまいましたが次の号はキチンと内容の紹介をしたいと思います。

 

今回は再び新富座の筋書を紹介したいと思います。

大正12年3月 新富座

 

演目:
一、楼門五三桐
二、菅原伝授手習鑑
三、茶壷
四、塩原多助

五、石橋

 

前回の筋書はこちら

 

2月公演終了後、引き続き休養を取った仁左衛門を除く歌右衛門、羽左衛門、傳九郎、左團次といった幹部連中は3月は本郷座に出演が決まり新富座は中車を上置きに吉右衛門一座に三津五郎が加わり立女形格で秀調も出演した他、市村座から帝国劇場へ出演していない坂東彦三郎父子が参加しての座組となりました。

主な配役一覧

 

彦三郎と言えば幼少期に九代目市川團十郎に教わった事を笠に着て吉右衛門に型を変える執拗に迫り、吉右衛門が泣きながら拒絶した事で市村座崩壊の遠因の1つを作った事は前に書きましたがあれから6年の月日が経過し片や松竹が売り出し中の期待の中堅、片や斜陽の一座からのお客様とその境遇は完全に吉右衛門が上位となりました。

彦三郎が吉右衛門を苛めた時の市村座の筋書

 

余談ですがこの座組の狙いは同月に帝国劇場に出演している菊五郎、友右衛門、勘彌に対するカウンターパンチであるのは明白ですが市村座は何故この時彦三郎を新富座に貸すという敵に塩を送る様な真似をしたのかと言うと客入りに苦しむ市村座側がこの後の公演の対策として松竹から幹部役者を借りたいが為に交換条件で貸したらしく、菊五郎組が出てる帝国劇場には時同じくして脱退した守田勘彌が出ている事もあり彦三郎の役所が無かった事もあり持て余していた彦三郎を貸出相手として選んだそうです。


楼門五三桐

 

序幕の楼門五三桐は以前に帝国劇場や市村座の筋書でも紹介した事のある時代物の演目になります。

 

帝国劇場の筋書の筋書はこちら

 

市村座時代に五右衛門を演じた時の筋書はこちら

今回は市村座の時と同じく石川五右衛門を吉右衛門、真柴久吉を三津五郎が務めました。

さて、2度目となる五右衛門を演じた吉右衛門と序幕からいきなり久吉役に抜擢された三津五郎の両者ですが劇評からは
 

吉右衛門の五右衛門が未だ輪廓が小さいが、意気と押出しは立派である

 

三津五郎の久吉は形だけを頂戴する

 

と吉右衛門には辛口ながらもの評価されていますが三津五郎は初役でまだ役に入れていなかったのか事実上の不評となっています。

ところで私の持つこの筋書には中盤に入った2月11日に観劇した元持ち主(播磨屋贔屓)が熱烈なまでに感想をびっしり書いてあり折角なので劇評と一緒に掲載したいと思います。

まずこの楼門五三桐ですが

 

吉右衛門の五右衛門ハせりふのうまみあれどがらは幸四郎ニ及ばず

 

三津五郎の久吉は実に☓(解読不能)務だからまふい(不味い)事よせばよいよ!!!

 

と概ね劇評と一致した評価を下しています。

この様に吉右衛門はまだギリギリ及第点だったものの三津五郎に難があり、序幕からスッキリしない出来となりました。


菅原伝授手習鑑

 

続いて一番目の菅原伝授手習鑑はご存知三大義太夫狂言に挙げられる時代物の演目になります。

 

今回は上置きとして唯一幹部役者で残留した中車の出し物として出され松王丸を中車、武部源蔵を吉右衛門、千代を秀調、戸浪を時蔵、よだれくりを吉之丞、菅秀才を矢壽丸、小太郎を亀三郎、園生の前を玉之助、春藤玄蕃を彦三郎がそれぞれ務めています。

 

中車が松王丸を演じて絶賛された新富座の筋書

 

さて、上記リンクでも書いた様に中車は現在主流である型ではなく幼き日に師事した二代目尾上多見蔵が息子の尾上和市から着想を得て作り上げたのを継承した珍しい中車型で演じて絶賛されましたが、今回は世代が一回り離れていたり所属の関係からか今まで余り絡みの少ない吉右衛門や彦三郎相手にどうだったかと言うと

 

松王は首実検で何時もとは、型を変へて首桶の蓋で玄蕃の眼を覆ふやうな仕科を見せ、二度目の出には泣きを極めて丁寧にして、線香でもほろりとさせた、総じて始めから堅実の中に、何時もよりは派手な演出であった

 

と劇評も中車型を見た事が無かったのか型の詳細を踏まえつつ堂々たる貫禄ある松王丸を演じれたとして中車を高評価しました。

 

また地方巡業では中車の相手役として度々千代役を演じてきた秀調の千代に関しても

 

秀調の千代は松王丸とは嵌った夫婦で、今の俳優中、此役として右に出づるのはいない

 

と手慣れた役とあって安定感ある演技をこちらも高評価されました

 

しかし、そんな中車の松王丸と秀調の千代の出来に対して彦三郎の春藤玄蕃が
 
彦三郎の玄蕃も調子を痛めて居るが、する事が大味であった
 
と喉に問題があったのかいつもより台詞回しに難があったのを差し引いても繊細且つ大胆な中車やどっしりした秀調と比べると見劣りしてしまうと厳しい評価となりました。
 

中車の松王丸と彦三郎の春藤玄蕃

 

一方、物語のもう1つの主役である吉右衛門の源蔵と時蔵の戸浪はどうだったかと言うと

 

源蔵は黒の羽織に薄茶紋付の着付が、すっきりとした姿で、実験までの意気の充実せる事は、若手中で此優の右に出る者はいない。

 

兎も角も此松王に対する源蔵は、其意気の点から見ものである

 

と実験の前後の戸浪とのやり取りはややダレてると批判されていますが実験の場では絶品の中車の松王丸に若手でありながら引けを取らない出来栄えだと前幕の五右衛門とは打って変わって大絶賛されました。


吉右衛門の源蔵

 

しかし戸浪とのやり取りが批判された事からも分かる様に時蔵の戸浪に関しては

 

時蔵の戸浪は非常な努力だが、近ごろ芸が大分荒んだやうに見える、しっとりした味に乏しくなったやうに見える。

 

と努力は評価していますが、芸に対しては厳しい評価をしています。

 

この様に劇評では彦三郎と時蔵は評価が低く残りは押し並べて高評価でしたが筋書の持ち主の評価はと言うと中車、吉右衛門、時蔵の評が書いてありそれぞれ

 

中車「松王は友右衛門、及吉右衛門のを見たが今かゐの中車が一番大きく貫目があった

 

吉右衛門「源蔵の吉右衛門が一番熱がありてよいと思ふた

 

時蔵「時蔵の戸浪おろおろする所がよい

 

となっていて時蔵の評価が劇評に比べると幾分柔らかい評価になっている点以外はこちらも概ね一致しているのが分かります。

この点から見ても大ベテランの中車の松王丸、対する吉右衛門の源蔵の出来が頭一つ抜けて良かった事は疑い様はなく「(寺子屋は)今度の呼び物の一つである」と言わしめるだけの当たり演目となった様です。

茶壷

 

中幕の茶壺は以前に帝国劇場の筋書でも紹介した岡村柿紅が書いた長唄の新作舞踊になります。

 

帝国劇場の筋書はこちら

 

今回は三津五郎の出し物と言う事で熊鷹太郎を三津五郎、麻估六を時蔵、目代を彦三郎がそれぞれ務めています。

帝国劇場の上演の際には「太刀盗人と内容が同じで興味が薄い」と元も子もない評価を受けていたこの演目ですが、目代役を彦三郎に変えた今回はどうだったかと言うと

 

「太刀盗人」と同巧異曲なのが損である

 

と案の定ここでも前回と全く同じ事を言われてしまいましたが、今回はきちんと役者に対する評もきちんと載っていて

 

盗人熊鷹と時蔵の百姓との連れ舞は洗練された面白味がある

 

と2人の舞踊自体は滑稽味があると評価されました。

そして筋書の持ち主の感想も見て見ると

 

三津五郎は実に名人だが熊鷹だとがらが小さい恨みがあった×(解読不能)だ舞が如何にも程一には感服する

 

時蔵も上手になった

 

と劇評では触れられていない背の低さに起因する柄不足を指摘していますが、舞に関しては劇評と同じく高く評価しています。

この様に三津五郎の舞踊自体は評判が良いだけに演目そのものへの低評価が余計にか目立つ形となってしまいました。そもそも茶壷では無く最初から太刀盗人を演れば良かったじゃんと言われてしまえばそれまでの話ですがただでさえ次の幕で菊五郎のお株を奪う塩原多助を掛けている関係上、ここで太刀盗人も掛けてしまっては市村座側に対する挑発の度が過ぎてしまうと判断したのか茶壷でお茶を濁した可能性はあり得ます。

塩原多助

 

そして二幕目の塩原多助は落語家三遊亭圓朝の怪談噺を元に歌舞伎化した世話物の演目となります。

 

菊五郎が演じた歌舞伎座の筋書

 

こちらの演目は歌舞伎座の筋書でも書きましたが初演は六代目の実父である五代目尾上菊五郎であり、歴史としては浅いものの音羽屋の家の演目として知られていた物を敢えて六代目のライバルである吉右衛門に演じさせるという市村座側への挑発行為に打って出る形になりました。

今回は塩原多助を吉右衛門、圓次郎と久八を三津五郎、藤野屋杢右衛門を彦三郎、原丹次と金兵衛を團右衛門、甚平を吉之丞、嘉助を八十助、彌吉を米吉、お花を時蔵、おせいを秀調、塩原角右衛門を中車がそれぞれ務めています。

 

六代目と言えば写実と九代目譲りの肚芸で心理描写に重きを置いての演技が有名ですが対する吉右衛門はこの役をどう解釈したのかについて劇評は

 

馬の別れから炭屋までの三幕で、庚申塚も戸田邸の別れも、菊五郎のやうな写実や細かい技巧を用ゐずして、実直な熱のある多助を出して行ったのが、別種の味であった

 

と敢えて菊五郎の方向には行かず、自身の得意とする感情をリアルに出した多助を作り菊五郎が炭屋で働いている設定から顔を汚くして出てきた様な写実味は無い分、馬との別れをストレートに咽び泣く描写等は良かったと評価されました。

 

そんな菊五郎とは異なる多助像を確立した吉右衛門に対して脇の役者についても寺子屋で絶賛された中車と秀調は

 

中車の角右衛門と秀調の妻とは、似合い手堅い夫婦で、さらりとした中によい味があった

 

と主役は無論、脇に回っても好い味を出せるコンビとして高く評価されました。

また、多助の実母役の吉三郎についても

 

乞食のおかめを吉三郎が、又五郎の子役と共に投げずにしたのも、見物の眼を惹いた

 

とわざわざ大阪から上京してきたにも関わらず他の役は楼門五三桐の捕り手と石橋の花四天と端役しかなく実質的におかめ一役の為のみという仕打ちに普通なら腐ってもおかしくないとしながらもきちんと演じた点を評価しました。

この様にベテランから中堅、若手を問わず好評な中、圓次郎と久八を演じた三津五郎だけは

 

三津五郎の圓次郎と久八は、調子も表情も変らぬ人とて、此点は損だが、併し両方とも器用にしてゐた。

 

と二役で見た目と台詞回しの差異がなく同じみたいだとは指摘されるも足を引っ張る程の酷さではなく丁寧に演じていたと記されています。

この様に音羽屋の演目でありながらも予想以上の好成績を収めた吉右衛門達ですが筋書の持ち主の評価はどうかと言うと

 

実に泣かされた吉右衛門ハ手一っぱい二演じたまで又今迄数多の馬の足を見たが今度の青と云ふ馬はホントに感心した。実に日本一の馬の足。否名馬なる哉!!!

 

吉右衛門は幕毎二頸から胸へ流汗淋場(臨場の間違いか?)実に熱心で見物ハ皆共満足だった

 

と吉右衛門を大絶賛ばかりか何と馬の脚の三階役者まで評価しており大車輪で演じた熱意が見物にもしっかり受け止められており「今月一番の見もの」と評されたのもよく分かります。


石橋

 
大切の石橋は以前に歌舞伎座の筋書でも紹介した長唄の舞踊演目になります。
 
歌舞伎座の筋書はこちら
かなり珍しい彦三郎と勝太郎による舞踊となりましたが、こちらは劇評
 
切に彦三郎の石橋があった
 
とあった事しか触れられず、筋書の持主も
 
石橋ハ見ぬが花と残して戻った
 
とこちらも吉右衛門の前幕の余韻に浸りたい為か観ないで帰ったと書かれており、残念ながらどの様な出来だったのがよく分からない状態です。
 
この様に5演目中、評価無しの石橋を除く4演目の中で厳しい評価が並ぶのは序幕の楼門五三桐のみであり、入りについては詳細は書かれていませんが公演内容としては当たりだった様です。
 
松竹への電撃移籍から1年半以上が経過し今回みたいな閑散月とは言え座頭を任される様になるまでに厚遇されていた吉右衛門はこの頃を後に振り返って
 
新富座を私の本城と致し、自分の望みの芝居を一つは出して貰ふと云ふ様な約束も出来て居ましたので、当時の私も張りきり様と申したらございませんでした。」(吉右衛門自伝より)
 
と新富座を本拠地という話こそ歌舞伎座焼失により直ぐに反故になりましたがその代わりに三衛門を始め大幹部に挟まれながら自分の演し物を1つは出せる契約になっていた事もあり、前月の双蝶々曲輪日記や与話情浮名横櫛といった市村座時代では挑戦出来なかった演目にも出演する機会に恵まれるなど非常に充実し日々を送っていたのが窺えます。
そして遅れて移籍した三津五郎も福助に代わる舞踊枠を任された上に合う合わないは別にして吉右衛門の演し物ではそれなりのポジションの役を貰えるなど市村座時代よりワンランク格を上げて活躍しており、市村座で悪戦苦闘を重ねる菊五郎とは正反対に漸く訪れた我が世の春を謳歌していました。
 
この後関東大震災による体制変更により拠点となっていた新富座を失った事で大幹部達は再建された歌舞伎座に、2人は本郷座を拠点を移した為、大幹部との共演は必然的に目減りする事になりましたが代わりに「元市村座」の肩書を活かして出稼ぎに来た菊五郎との共演する機会が増えた事により両者の共演というドル箱カードが生まれ更に自身の価値を上げますがこの大正12年は丁度その過渡期にあったと言えます。
 
次の新富座の筋書は少し間が空いて6月公演になりますが楽しみにお待ち下さい。

今日でブログ開設6周年を迎えました。

まさか自分でもこんなに長続きし多くの人に見てもらえる事になるとは思いもしませんでした。

これからも宜しくお願い致します。今回は久しぶりにオマケのコラムとして松竹大谷図書館にある演劇写真検索閲覧システムについて紹介したいと思います。

 

松竹大谷図書館所蔵・演劇写真検索閲覧システム

  

1.所蔵資料について

 

先ず概要について説明するとこちらのライブラリーでは松竹大谷図書館が所蔵する5,555枚の鶏卵写真、絵葉書書、ブロマイドを無料公開しています。

これを字面だけ見ると284,539枚の資料を持つ演劇博物館舞台写真データベースに見劣りする物がありますが前に書いた通り、演劇博物館舞台写真データベースはその殆どが非公開である事を踏まえると実質的にはこちらのデータベースの方が見れる枚数では圧倒しています。

 

次に所属資料の分類についてですが裏面を公開していない関係でブロマイドと絵葉書の区別が確定しきれない部分はありますが概ね

 

ブロマイド、絵葉書:5,336枚

鶏卵紙写真:219枚

 

となっていて、集め易い且つ発行量の多いブロマイド、絵葉書が96%を占めています。

ただ、こちらは同じ写真が何枚も重複して公開されている事もあって純粋な画像の数としては少し目減りするのと前回も触れた様にブロマイドに関しては文化デジタルライブラリーの公開分と多くの写真が重複している事もあり、こちらの恩恵はそこまで無いのに対して鶏卵紙写真に関しては数は200枚余りとはいえ、ここまで纏まった量の公開は他に例を見ないだけにこちらの公開の意義は非常に大きい物があります。

 

オマケで鶏卵紙写真に写っている役者の数についてですが私が全部数えた範囲では

 

九代目市川團十郎:23枚

五代目尾上菊五郎:45枚

六代目尾上菊五郎:15枚

六代目尾上梅幸:12枚

五代目歌右衛門:11枚

四代目中村芝翫:11枚

初代市川左團次:10枚

八代目岩井半四郎:4枚

初代坂東家橘:4枚

四代目澤村源之助:4枚

二代目尾上菊之助:4枚

十五代目市村羽左衛門:4枚

三代目片岡我童:4枚

五代目坂東彦三郎:3枚

四代目助高屋高助:3枚

三代目中村仲蔵:3枚

四代目澤村田之助:3枚

二代目市川左團次:3枚

五代目市川小團次:3枚

初代中村吉右衛門:3枚

二代目尾上多見蔵:2枚

三代目片岡我當:2枚

四代目嵐璃寛:2枚

初代市川荒次郎:2枚

四代目浅尾工左衛門:2枚

岩井小紫:2枚

尾上菊四郎:2枚

六代目坂東三津五郎:1枚

初代實川延若:1枚

中村宗十郎:1枚

初代市川齊入:1枚

七代目市川團蔵:1枚

八代目市川海老蔵:1枚

二代目市川権十郎:1枚

二代目市川眼玉:1枚

三代目片岡市蔵:1枚

二代目尾上多賀之丞:1枚

二代目市川女寅:1枚

三代目中村歌六:1枚

七代目澤村訥子:1枚

四代目岩井松之助:1枚

尾上梅三郎:1枚

坂東三津三:1枚

二代目尾上幸蔵:1枚

二代目坂東秀調:1枚

二代目阪東壽三郎:1枚

三代目河原崎国太郎:1枚

四代目関三十郎:1枚

五代目嵐璃寛:1枚

澤村門之助:1枚

二代目坂東彦十郎:1枚

中村かなめ:1枚

七代目澤村宗十郎:1枚

川尻宝岑:1枚

新派:2枚

不明:7枚

新富座:1枚

鬘:11枚

番付:1枚

(1枚に複数人写る重複分も含む)

 

となっています。

印象としては五代目尾上菊五郎、次いで九代目市川團十郎が突出して多い以外は10枚以上ある役者は5人のみであり、この内團十郎、五代目&六代目菊五郎、歌右衛門&芝翫は個人の写真集がありそこに収録されている写真も多いのでそこまで資料的に驚く様な発見は少なくどちらかと言えば一流所だけど写真が少ない役者や二流所の役者の写真には今まで知られていなかった写真も掲載されている点が大きなポイントです。

私個人の見所としてはこれまで1枚しか存在が知られていなかった九代目の実弟である八代目市川海老蔵や上方の長老であった二代目尾上多見蔵、不遇に終わった四代目関三十郎、はたまた上方で一世を風靡する人気役者でありながら写真嫌いが故に確実に本人だと断定できる写真が2枚しか知られていない中村宗十郎や一時は菊五郎の相手役にまで抜擢されながら急逝してしまい5枚ほどしか本人だと断定出来る写真がない六代目坂東三津五郎の知られていなかった写真等があるのが大きな長所と言えます。

 

2.検索方法について

 

検索の画面

 

検索方法は演劇博物館舞台写真データベースの使い辛さの元凶である役者名もしくは役名|[代数]役者名 の様なタグでの検索ではなく、ご覧の様にタイトル(演目名)、人名(役者名)、実施・上演(上演日)、会場(劇場名)と分けて検索出来る様になっていて人名タグも

 

中村 吉右衛門

 

みたいにシンプルに姓名のみ(漢字は新字体で統一)で代数も前に<アラビア数字>のみとなっており、タグの設定ミスによる検索の煩雑さに頭を抱える事なく見たい役者名を入力すればタグ付けされている写真を絞り込む事が出来ます。

このタグ設定の御陰で舞台写真データベースの様な代数や旧字体、行間を気にする事なく検索が可能となり、役名をタグに入れていないので膨大なタグの数になる事無く調べられるのでブロマイドにせよ鶏卵紙写真にせよ、瞬時に見たい役者を絞り込め、年月や役、劇場を検索に掛ければ更に絞り込めるのでこれだけでもあちらとは使い易さに雲泥の差があります。

この検索仕様の唯一残念な所は代数の指定が出来ないのと同じ役者でも名跡が違うとまた一から検索する必要がある事ですが公開範囲が明治〜終戦までなので中村福助の様な例外を除けばそこまで同じ名跡の役者もおらず煩雑になる事は無いのでここは目を瞑って名跡毎に検索すれば良いかと思います。

 

3.データベースの問題点について

 

とここまでこのデータベースの長所を書いて来ましたがここからは短所及び間違いについて触れて行こうと思います。こちらは出来て真新しいデータベースだけに演劇博物館の方よりかは数が少ないものの矢張りミスがありますので見た人が間違えないように記しておこうと思います。

先ずはうっかりして役者タグを間違えている事例です。

 

①写真のタグ間違いについて(うっかり)

 

 

 

 

こちらの役者タグは五代目中村芝翫となっていますがこれは四代目中村芝翫であり多分打ち間違えたのかと思われます。

 

 

 
こちらの役者タグは四代目市川市十郎となっていますがこちらは顔から見ても分かる様にどう見ても実父の三代目市川市十郎です。
 
参考までに三代目市川市十郎の写真

 

参考までに本物の四代目市川市十郎の写真

 

 

 

こちらの役者タグは四代目助高屋高助(代数は未記入)となっていますが、背景の撮影セットからこちらの写真が撮影されたのは高助襲名前の明治9年前後の写真であり名跡は澤村訥升でないとおかしいと思われます。

 

ここまでは単純なミスと言える部分も無きにしも非ずで少々面倒くさいものの、名跡ごとに調べれば然程問題の無い物ですが次からは笑えないミスになります。

 

②写真のタグ間違いについて(酷い間違い)

 

役者タグは九代目市川團十郎の伊勢三郎になっていますが真っ赤な嘘でこれは同じ演目で左馬九郎義経を演じた成駒屋四代目中村福助です。顔が違うので気付く方も多いと思いますがこちらの写真は歌右衛門の写真集である魁玉歌右衛門に全く同じ写真が掲載されており、まず間違える事が出来ない写真なのですが何故間違えたのでしょうか?

  

 

こちらの役者タグは十一代目片岡仁左衛門とありますがこれも真っ赤な嘘でこちらは明治17年10月、市村座での種瓢真書太閤記で藤井又右エ門を演じる四代目中村芝翫と娘八重を演じる成駒屋四代目中村福助になります。

これに関しても魁玉歌右衛門に別撮りのツーショット写真が収録されており、例え裏書きに仁左衛門と書かれていたとしても何でこの写真をよりにもよって仁左衛門と間違えられるのかが理解不可能です。


大谷図書館や魁玉歌右衛門の物とも異なるアングルの種瓢真書太閤記のツーショット写真(個人所有)


 

こちらも私が所有する福助単体の写真

 

 

 

役者タグは三代目澤村田之助と四代目岩井松之助とありますが松之助は合ってますが田之助に関しては真っ赤な嘘で彼が両足を切った翌年に初舞台を踏んだ松之助と立った状態で共演出来る筈がなく、こちらは四代目澤村田之助の可能性が非常に高いです。これも少し考えれば直ぐに間違いに気付ける程度の物であり、こちらも安易に裏書をそのまま検証せずに登録している点ではかなりお粗末と言えます。

 

参考までに私が所有する四代目澤村田之助の写真

 

とご覧の有様で裏書きをそのまま確かめもせずに登録してしまったとしか思えないミスとなっています。

次の間違いは酷く間違ってはいるけどこれは仕方ないかなというミスです。

 

③知識不足故に間違ってしまった事案

 

こちらは役者タグは合っていますが備考欄に

 

この時の上演では、仲蔵は髭の意休だが、福山のかつぎの体で写真におさまっている。内田九一の写真館の台紙であり、被写体が仲蔵であることから明治5年の撮影と判断した

 

と何処からどう見ても福山のかつぎにも関わらず意休を演じた時の明治5年の写真だと書いてしまっています。

その根拠は台紙に内田写真館の物が使われているからと書いていますが、これは鶏卵紙写真を集めている方であればピンと来ると思いますが、悪質な偽装工作がなされている物です。この写真は明治17年の新富座での助六の時の福山のかつぎの写真ですがそれを高く売りたいが為に元の台紙から剥がして何も貼られていない内田写真館の台紙を用意してそこに貼り付けて恰も明治5年の物だと思わせる細工を施しています。

何故この様な細工を施しているかと言うと内田九一の台紙の貼られた写真は内田九一の撮影した当時の写真だと証明できる物なので市場でも高く取引される事があり、状態が良くて被写体が著名な人物or物であれば1枚3万円以上から私が知る限りだと20万円以上まで跳ね上がった物もあります。

となるとこれを熟知している人間からすれば台紙さえ取り換えてしまえば撮影された写真を内田の撮影した写真と偽装できるという悪知恵を働かせる人が出て来るのは火を見るより明らかでこうした酷い贋作物が出て来る事になります。

 

これについては同様の事例の写真を昨年手に入れたので百聞は一見にしかずで実際に見てみるとその悪質さが良く分かります。

 

三代目片岡我當の写真(明治10年以降)

 

 

偽装された内田写真館の台紙と裏書

 

一見すると内田九一が撮影した三代目片岡我當の写真に見えますが、我當が上京したのが明治10年、内田九一が死去したのは明治8年の事であり、内田九一が我當の写真を撮影する事は不可能である事からこの写真は本物の台紙を剥がして内田写真館の台紙を貼って偽装されたのが分かります。

 

乱暴に細工したので内田写真館の台紙と我當の写真のサイズが合わず裏の印字が見えてしまっています

(本物の内田九一撮影の写真では見えません)

 

収集している私の相場勘ではこの頃の我當の役不明の写真は大体3,000円もすれば高い方ですが、内田写真館の台紙付きで5,000円の値が付いていました。この福山のかつぎの仲蔵の写真ならどんだけ綺麗な物でも5,000円前後が上限値ですがもし本物の明治5年の意休の写真であれば安く見積もっても1〜3万円位にはなりますのでが明治時代の歌舞伎の基礎知識の無い方に

 

これは明治5年に内田九一が撮影した仲蔵の写真ですよ。ほら、裏にも「内田写真館」って印刷してあるでしょ?これは内田が撮影した写真にしか貼られていません。これが動かぬ証拠です。

 

とでも吹き込めば相場以上の価格で売れる為にこの様な細工を施したのかと思われます。

データベースを作った人も頭では違うのではないかと疑念を示しても偽装された内田写真館の台紙の方に目が行ってしまい、まんまと偽装した人間の思う壺に嵌まり明治5年と書いてしまいました。

これが明らかに役の違う仲蔵の写真だから私みたいな集めている人から見れば一発で細工したなと看破できますが、もしこれが同じ役を演じている九代目市川團十郎の助六でやられたら日には売買している古書店の様なプロの方は兎も角、我々でも見抜く事は中々に難しいと思います。

余談ですがかつて某有名入札会で入手できなかった物になりますが内田写真館の台紙に貼られた歌舞伎役者の写真がそれなりの量が出た事がありましたがその中に矢張り九代目の弁慶で明らかに後年に演じた時の弁慶の写真が内田写真館の台紙に貼られていたのを見た事があり、その他が本物だけに油断していると騙されそうになった事があります。名の通った入札会でもその様な悪質な細工物が紛れ込んでいる事がありますので注意が必要です。

これに関しては正直こういう贋作に関する細工の知識が無ければ分からないので仕方がない部分があるのでこちらに分類しました。

 

 

 

こちらも備考に

 

台紙裏には実川延若とあるが誤り、額の傷は書き込み

 

とありますがこれは初代實川延若が伽羅先代萩の仁木弾正を演じた事が無いのに裏書に延若と書いてあるから備考で間違いと指摘したのかと思いますがこれは備考が間違っています。
こちらは大変難しいのですが確かに初代實川延若は生涯を通じて伽羅先代萩の仁木弾正は演じた事はありません。では何故この様な写真が存在するのかと言うと

延若は晩年の明治15年5月に戎座で金華山陸奥名所という演目に出演しそこで原田甲斐は演じているのです。

つまり、この写真は仁木弾正ではなく原田甲斐の写真である可能性がかなり高いです。

原田甲斐なのに何で巻物咥えているんだよと突っ込まれる人もいるかと思いますが残されている絵本番付を見てもモクモクと煙が沸く中に原田甲斐が現れる床下と思しき場面が描かれており、どうやら実録風のテイストながらも先代萩の美味しい所はキッチリ入れた「なんちゃって実録物」であった様です。この事実がある以上、「延若は仁木弾正を演じていないから違う」という理由で間違いと断定するのは尚早であり、「裏書に延若との記載あり」位にするのが妥当と言えます。

 

この2つに関しては間違ってこそいますが、この写真だけ見て真贋を判断しろというには少々困難な部分があるだけにこれに関しては致し方無いと思います。

 

4.終わりに

 

この様に完璧という訳にはいきませんが、写真系データベースで最新という事もあり、演劇博物館舞台写真データベースの悪かった面をブラッシュアップして使い易くなっている点は実に素晴らしい機能であり、上記の誤りを修正してもらいたいのともう後何年か経って戦後の写真の肖像権が切れればもっと多くの写真を公開できるポテンシャルを秘めている為、見劣りしてた番付データベースとは正反対に写真に関してはこちらを主に使い演劇博物館の方をサブで使うやり方が一番効率的な検索方法と言えます。

 

最後によくやりがちなのが軽い気持ちでの資料の無断転載ですが大谷図書館では利用料が決まっており

 

営利目的:5,500円/点(税込)

非営利目的:1,100円/点(税込)

 

となっていますので、きちんと手続きを踏んで掲載する事をお願い致します。<

今回は雑誌帝劇を紹介したいと思います。

 

帝劇 大正12年第2号

 

前月号はこちら

 

のっけから難ですが表紙に山本専務が書いている様にこの大正12年2月1日から「興行場及興行取締規則執行心得」が改正され1回の公演時間が6時間以内と定められた事により従来の公演方法から変更を余儀なくされました。

それに伴い改正前の内容を維持すべく法の抜け穴とも言うべき2部制(1部6時間以内で2部で行えば概ね10時間と改正前の公演時間を維持出来る為)を採用したりする劇場も現れる中、帝国劇場は1部制、6時間以内の公演という方針を決めると共に改正内容について抗議の意を示しているのが分かります。

それに付随してか坪内逍遥が「自己を失わない新芸術」と銘打ってこれからの演劇の変化や新作に対する寄稿をしています。

 

坪内逍遥の新演目に対する所感

 

 

内容としては

 

・第一次世界大戦以降、諸外国との距離が変化した事によって必然西洋文化が今まで以上に日本に普及し始めている事

 

・それにより日本の演劇界にも海外の文化が流入しシェークスピアを始め海外作品の上演、女歌舞伎ではない女優の登場、バレエ等の海外舞踊、或いはそれに準ずる新作を勉強会での上演、宝塚に代表される少女歌劇の登場など夥しい西洋化が実現した

 

・しかし、その急激な西洋化に日本側のキャパがまだ追い付いておらず例えばオペラでは演者が歌わず舞台脇で歌うのに合わせて口パク状態で演っているだけ等上辺をなぞった浅薄な「モノマネ」になってしまっている

 

・新しい文化芸術を創るには流入してきた物をただ真似るのではなく、日本人に合わせる為の創意工夫を交えて考える所に来ている

 

と述べていて上演時間制限も含めて海外文化の安易な導入に警鐘を鳴らしています。

 

今現在の視点で見ると歌舞伎以外の商業演劇では宝塚歌劇や劇団四季など日本独自の演劇文化は立脚しその点では逍遥の主張はある程度は実現しているのが分かります。

その一方で劇団四季の様に商業としてきちんと安定している劇団は稀で前進座の衰退傾向や俳優座の本拠地売却など経済的に不安定である故にコロナ禍等で立ち直れなくなる劇団も多くあり、この辺りは娯楽の変遷はあれど日本独自の演劇文化はもう1度足元を見つめ直さなければならない過渡期に来ているのではないかと思う次第です。

 

そんな逍遥の警鐘の次に書かれているのが有楽座の1月公演の演出を行った舞台監督の宇野四郎ともう1一人による匿名形式の座談会になります。(文中の内容からBが宇野である事が判明しています)

 

匿名による対談

 
どうも雑誌新演芸で行われていた合同座談会の企画をそのまんまパクった内容ですが、話の半分は
 
一度は僕が新聞に出した一と月程たってから舞台で題を替へて内容を都合よく書き直して或る座の宣伝用に大阪で使はれたことがある
 
といった劇評家としての宇野の苦労話になっています。尤も後半はきちんと有楽座の演出の話になっており
 
三つの焰の舞ひが済んで澤山の焰が出て来た時には嬉しくなって泪が出ました。
 
「日本武尊の」の音楽は好きです。唯僕が一番気になったのは第二齣で賊が出る時と倒れる時の歯の浮く様なキーと云ふ音です。あの音はない方がいいと思ひます。
 
と活字では中々残り難い劇中の演出や音楽について細々と語っており猿之助が細かな所に至るまでスタッフと打ち合わせを重ねて拘っていたのが分かります。穿った見方をすれば猿之助が第一次春秋座で赤字を重ねたり、後の第二次春秋座でも僅か半年余りの公演で累積負債で首が回らなくなる所まで至ったのもこうした「完璧主義」が赤字を増やした一因ではないかと思われる部分が見受けられます。
 

さて、肝心の2月の帝国劇場の公演内容の方はというと1月公演も無事終わり恒例の女優劇公演となった2月は引き続き松竹から市川猿之助を借り受けて専属の守田勘彌との共演となりました。

 

前回の共演についてはこちらをご覧下さい

 

前々回の共演についてはこちらをご覧下さい

 

 

前月末から2月4日まで夕方からカーピ伊太利歌劇が行われていた関係もあり前回と同じく1ヶ月丸ごとの同じ演目での公演となり

 

・岩戸だんまり

・指鬘縁起

・一人旅の女

・傾城入相桜

・女中難

 

を上演しました。

この内、岩戸だんまりと傾城入相桜は古典演目ですが残り3つは何れも新作と新作畑を息を鳴らしていた猿之助と勘彌の共演を反映した内容になっているのが分かります。

 

公演内容を打ち合わせる幹部陣

 
しかも古典の内、岩戸のだんまりについては
 

菊江の阿古屋を景清にして、薫、小春、福子日出子を絡めた、見た目の美しいのが取得で、勘彌の重忠が補導といふ格でした。」 

 

と事実上「女岩戸のだんまり」状態とハイカラな大正時代らしいかなり攻めた演目になっていました。

 

猿之助のアリンサカと嘉久子のマヤ夫人

 

 

そして猿之助の演し物である指鬘縁起は

 

若い男のアリンサカを翻弄する嘉久子のマヤ夫人の傲慢さと残酷さとが、余り好い気持ちがしませんが、主役2人で三幕をあれだけ演出した効果は充分認められます

 

と嘉久子のセリフ廻しに難はあった様ですが全体として見れば猿之助と嘉久子の前のめり的な熱演でカバーしていたらしく比較的好意寄りの評価となっています。

 

一方で勘彌の演し物である桜姫清玄物である傾城入相桜についても

 

勘彌の清玄が美しい若僧から、暗室の凄い病僧になって凄味を見せました、此前の吉右衛門の沈痛な恋の呻きとは、味が違ひますが、殺しになってからや亡霊には、却って凄味が余計でした

 

と同じ市村座時代の同輩である吉右衛門の岩倉宗玄と比較して禁忌の煩悩に苦しむ人間らしさではなく破戒僧になっての凄惨さに重きを置いた演技がやや過剰気味であったとは言われているものの、こちらも高く評価されました。

 

この様に羽左衛門と梅幸の共演に沸く新富座を尻目に独自路線を歩みつつも、既存の歌舞伎愛好家の層とは異なる客層を獲得していた猿之助と勘彌ですが、このまま行けば帝国劇場の第2のドル箱カードになる道もありましたが運命とは残酷な物で松竹は持て余していた猿之助一座を4月から御國座に出演させ始めた辺りからケチが付き始め9月に起きた関東大震災により猿之助は冷や飯食い状態でありながらも自身の新作への情熱を表現する場であった帝国劇場や有楽座という基盤を失ってしまいました。

そして、大正13年秋に帝国劇場も再建されようやく勘彌との共演が復活すると思った矢先に猿之助が上記の扱いなども含めてそれまで溜め込んでいた不満から松竹を脱退→復帰と1年を通してゴタゴタしていた為、勘彌との共演は大正15年までお預けとなってしまいその後は帝劇の経営難も相俟って女優劇公演にそそぐ余力が無くなり昭和3年に本公演で1度、昭和5年に歌舞伎座で1度だけ顔を合わせただけで舞台上での新作の共演はなく昭和7年の勘彌の死によりこの2人の組み合わせは実現不可能となってしまいました。

興行は水物とよく言われますが、売り上げの当り外れ以外の点でも何かの拍子に永遠に続くと思われていた物やコンビがある日いきなり無くなってしまう怖さを経験されている方も多いかと思われますがこの猿之助と勘彌のコンビは正にそれを象徴する組み合わせだったと言えると思います。

 

何だか最後は暗い話になってしまいましたが次の帝劇もありますので直ぐ紹介したいと思います。

 

 

今回は久し振りに観劇の記事になります。

 

四月大歌舞伎 昼の部 観劇

 

 

二月大歌舞伎の一幕見の記事

 

 

 

筋書

 

 

 

廓三番叟

 

こちらは文政9年1月に四代目杵屋六三郎が作曲した壽式三番叟を舞台設定を廓に移して踊るというパロディ物の長唄舞踊になります。

 

主な配役一覧

 

大尽:梅玉、芝翫

傾城:魁春、福助

太鼓持:橋之助、福之助、歌之助

新造:莟玉、玉太郎

番新:歌女之丞、梅花

手代:松江

亭主:東蔵

 

こちらは一言で言えば

 

成駒屋だョ!全員集合

 

で先月の壽春鳳凰祭宜しく今月の出番の無い役者をここに詰め込みました感がありありでついでに3月31日が歌右衛門の命日で今年が二十五年祭だから成駒屋だけの出し物にして追善代わりにしたとしか言いようの無い演目です。

 

それはさておき役者に関しては梅玉、魁春兄弟は主役らしく貫禄たっぷりで益々歌右衛門に似てきた魁春が傾城役を演ると遠目ではまるで歌右衛門が蘇ったかの様な不気味さすらありました。

また芝翫は台詞が無い事もあってか粗も見えず踊れない兄福助の介助もしつつ踊る等、よく働いており思ったよりも良かったです。

しかし若手の神谷町三兄弟と莟玉と玉太郎は平凡で福助と松江はただいるだけといった状態と物足りず、逆に東蔵が88歳とは思えない軽妙な動きで軽く踊っていたのがある意味一番の見物でした。

本来であればここに次世代の主役を担うであろう児太郎がいる筈だったのですが不祥事でいない事で存在感が逆に浮かび上がるのは何とも言えない気持ちになりました。

歌右衛門死去から25年、芝翫死去から15年が経ち一門揃っても追善が打てない程衰勢したとみるべきか、梅玉、魁春、東蔵がいるお陰で辛うじて一幕出せると見るべきかは人それぞれだと思いますが、もう直ぐ上の3人が居なくなるのは必定且つ次世代の福助、芝翫兄弟、松江の現状では最早一幕出せるかどうかも怪しい状態でありここで神谷町三兄弟や莟玉、玉太郎世代が奮起して5年後には堂々と歌右衛門三十年祭追善と銘打てる様な位の役者になって欲しいと感じた一幕でした。

 

裏表先代萩

 

次に昼の部のメインである裏表先代萩ですがこちらは通称で当時の外題を梅照葉錦伊達織といい、慶応4年8月に市村座での五代目尾上菊五郎襲名披露で初演されて以降全ての歴代菊五郎が演じている音羽屋にとっては大変縁が深い演目となります。

 

中座で延若が四役を演じた時の番付

 

同じ裏表物である裏表忠臣蔵は落人を除いてはあまり上演されませんがこの裏表先代萩も同様で戦後は僅かに7回、戦前の歌舞伎座でも上演されたのは僅か1回のみと非常に上演回数が少ない演目でもありますが内容に関しては本筋に殆ど絡まない話が多い裏表忠臣蔵に対してこちらの裏表先代萩は伽羅先代萩では触れられていない鶴千代毒殺未遂に使用された毒の入手経路に関わる話となっていて本編の御殿や評定を短くして代わりに悪人小助の話が挿入されている関係で御殿、床下、対決、刃傷と重い話が続く伽羅先代萩に比べると裏の部分がメリハリの効いた展開となっています。

 

主な配役一覧

 

下男小助、乳人政岡、仁木弾正:八代目菊五郎

倉橋弥十郎、細川勝元:勘九郎

下女お竹:七之助

沖の井:時蔵

足利頼兼:歌昇

荒獅子男之助:萬太郎

渡辺民部:右近

絹川谷蔵:種之助

山中鹿之助:歌之助

千松:秀乃助

鶴千代:琴也(観劇日は休演で代役)

家主茂九兵衛:吉之丞

大場宗益:橘太郎

横井角左衛門:彦三郎

渡辺外記左衛門:権十郎

栄御前:萬次郎

大場道益、八汐:彌十郎

 

前回上演されたのが7年前の2018年でその時は仁木弾正と下男小助の二役を七代目菊五郎、政岡を萬壽(当時は時蔵)が演じていましたが、今回は言わば世代交代と言う事で八代目菊五郎、時蔵、勘九郎、七之助、右近と若い世代が主要役を占め吉之丞、権十郎、萬次郎らベテランが脇を固める配役となりました。

個人的な話ですが8年前の時は観劇出来る日に昼の部のチケットが手に入らず夜の部の仁左衛門の一世一代の絵本合法衢のみの観劇となり、今回が8年越しのリベンジとなりました。

 

菊五郎は先ず小助としての登場でしたが襲名前に見た鼠小僧等の立役と比較すると台詞廻し、動きもテキパキしながらもどっしり風格も付いて菊五郎の名に恥じない出来栄えでした。

原作の対決の代わりに挿入された小助対決では評定で太々しくしらを切る仁木弾正の役割を世話で小助が行う趣旨に沿って濡れ衣をお竹に被せようとするも倉橋弥十郎演じる勘九郎に一瞬の隙を突かれて証拠を押さえられて遂に道益殺しを白状する展開を重くならない様に道化に徹して演じきり三役の中で一番良かったのでは無いかと思います。

 

そんな小助を挟んで二役目に出てくるのが政岡で菊五郎は伽羅先代萩の方で都合3回演じている事もあって演じ慣れており終始無難でしたがここは何も菊五郎に拘る必要も無く、時蔵辺りを抜擢しても正直問題は無かった気はします。

最後にこちらは初役の仁木弾正ですが実悪向きの顔ではない彼の柄からいって迫力不足になるのでは?と思っていましたが床下のすっぽんからの出は予想を上回る出来でした。差し出しを使っての出は七代目市川團蔵がアクシデントで電灯が使えない中で採用して暗闇の中で差し出しに浮かぶ彼の姿が古怪さを増幅させて大当たりを取った逸話が知られていますが今回生で見て感じたのは宙乗りを使わない花道を歩いて去る事で後ろの幕に映る歩く仁木の背中が蝋燭の火でゆらゆら揺れる様や差し出しによりぼんやりと浮び上がる顔、そして蝋燭の煙と匂いが生み出すこの世の人とは思えない非人間性を演出させる上でこの上なく必要不可欠な物であると感じられました。

対して刃傷は小助対決に尺を取られて活躍の仕所が無い為にいきなり外記に襲い掛かるだけの役になってしまい、今一つパッとしませんでした。

結論から言うと三役の中での充実度は

 

小助>政岡>仁木弾正

 

と言った感じで三役の中で特筆して酷いと言った役は無く(仁木は演出で損している為)、どれも高水準の中で小助が頭一つ良かったという印象でした。

菊五郎は以前観た松王丸が不出来で以来、時代物の立役には不安がありましたが、裏表にしているとはいえ仁木弾正もそれなりにこなせた事や小助の出来を踏まえると菊五郎襲名で一皮剥けた感は感じられました。

 

続いて脇の役者たちについてはと言うと一番上手かったのは時蔵の沖の井で今の彼には余裕過ぎて完全な役不足状態であり、夜の部の八重垣姫が無ければ迷うこと無く政岡を演じるべきと言える状態で彼の政岡を伽羅先代萩で見たくなって仕方ありませんでした。

 

時蔵と同じ位上手かったのが勘九郎で今回は倉橋弥十郎と細川勝元の二役でしたが今回の裏表の場合、本来勝元の活躍する対決の場を丸々倉橋弥十郎が担って勝元は最後に顔見せ程度に出るだけの為、実質的には倉橋一役といって差し支えない状況でしたが1月の実盛でも魅せた舞台に彼が出て来るとパッと舞台が明るくなる様なニンの晴やかさと巧みな台詞廻しで小助を言葉巧みに追い詰める役を難なくこなしていました。彼についても時蔵と同じく次は伽羅先代萩での勝元を見たいと感じてしまうのはやむを得ませんでした。

 

続いて七之助はお竹一役で彼もまた行く行くは政岡クラスの大役を演じて行くべきポジションですが菊五郎が政岡を兼ねた今回の女形勢の配役の中ではふとしたキッカケで冤罪で事件に巻き込まれる一番美味しい役であるお竹を演じれておりニンのせいか初心な娘にはちょっと見えにくい点さえ抜けば至極無難な配役だったと言えます。

 

彌十郎は大場道益と八汐の二役でしたが個人的には八汐を演じるには彼だとやや下品過ぎるきらいがあり、その点では実にイヤらしいスケベオヤジ感が求められる大場道益の方がニンにぴったしで好みでした。

彼は人間万事金世中の辺見勢左衛門の様な欲望に忠実な少々品の無い、それでいて堅気寄りで無頼の様な反社会性はない今回みたいな役にこそ天性のニンがあると思いますので今回は大当たりではないかと言えます。

 

歌昇と種之助は無難なだけで特筆する点は無く、横井角左衛門の彦三郎と渡辺外記の権十郎は期待通りでしたが栄御前を演じた萬次郎に関しては台詞廻しの衰えを如実に感じました。自分の記憶では前に見た時は言う程気にならない人だっただけに久し振りに見た彼の変化は1月の白鸚にも劣らない程ショックでした。

 

とこの様に萬次郎こそショックでしたが他は取り立てる程の粗は無く、通し物としては無難な出来と言えます。最近では久しく伽羅先代萩の通し(どっかのは当然カウントには入れてません)ももう何年も行われない中でこの裏表先代萩が通しで出たのは大変意義深い物があり、これを見逃すと次に上演されるのはまた何年後が先になる為、残り日も少ないですが今の花形世代での通しは一度は見ておく価値はあるので夜の部を差し置いてでも観ておくのをお勧めします。

今回は一昨年から紹介してきた高砂屋文書の最終回という事で終幕を飾るに相応しい全ての騒動の発端となったと見られる資料について紹介したいと思います。

 

明治14年4月13日付 中村福助宛 守田勘彌書状(無断転載防止用加工済)

 
 

 
 

 

これまで9回に渡って紹介してきた中村福助襲名問題に関する最後の資料紹介となります。

今回は福助襲名問題のそもそも発端となった明治元年の東西福助の襲名が明治5年の成駒屋三代目中村福助の離縁により解消し一時的に福助が高砂屋のみとなった時期の終焉ーつまり、初代中村児太郎が成駒屋四代目中村福助を襲名し再び東西の福助が分裂し並び立つ事になった明治14年の襲名にまつわる書状になります。

 

御郵便届上ゟ序々ニ即ニ

御坐候処ニふ候以也

御家内様御持々つくし御嬉栄

之限付り候を☓☓(解読不能)賢賢扨中村芝翫之方

其御代候に候義御元家様義を別而

御懇係と(解読不能)下心示申を同人ゟ委細

承知仕御厚段配ノ達求願い

就名を今般至急之帰座之茲

承知仕候ヲば倅児太郎就名

儀為致度心組候折柄忽御仰之斎

分別由被位折し有様帰阪前々

差出候処昨十二日当人會面致

改名之儀申仰りて乃処当人殊之外

当弐御心配之様子段々相尋乃処

御元家様へ対シ御相談事之

取計候而を何分不相係る已申報候

実に尤之次第為御本名借仕へ

乍係る付心宥様求丁御報ヶ之義

難相成場合右の付御心残各様へ

右之次第相談之願乃間今般襲名

合成☓(解読不能)之義不忘思召被下間敷會

御心之斉ニ不心付取計シゟ策

後成☓(解読不能)号ノ義御氻御被下置度

如何御寛大之御開奉願上候先立

右御願上にて同此御座候得度

 

四月十三日 守田勘彌拝

 

中村福助様

 

明治14年5月15日から始まった四代目中村福助襲名披露の2日前の日付で書かれたこの書状は守田勘彌が芝翫親子が襲名の為に帰京した事や12日に児太郎本人から襲名について相談された事や児太郎が高砂屋福助の事を心配している事を受けて勘彌を通して福助の名跡を借りる旨が記されています。 

 

この時期の成駒屋四代目中村福助

 

勘彌も高砂屋福助が難色を示す事を踏まえてかかなり謙って頼んでいる様子が分かり、同時に高砂屋側から見れば成駒屋側が高砂屋から「福助の名跡を借りている」と言う認識であった事が分かります。

明治40年の梅玉襲名時に芝翫が「5、6年経ったら倅の為に名前を返してくれ」と書いて来て梅玉が無視したのは紹介した通りですが、その背景にはこの時の襲名のやり取りを覚えていたからと言えます。

そういう意味ではこの書状は守田勘彌が福助両立問題を再燃させただけでなく、成駒屋と高砂屋側双方に良い顔をしたいばかりに名跡を借りると言う表現を使ってしまった事で問題を複雑化させてしまった張本人である事を証明する貴重な資料と言えます。

 

当ブログの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用、無許可の文言の改変によるテキストの使用を固く禁じます。

無許可の転載、複製、転用等は法律により罰せられます。
また、承諾の無い書籍やまとめサイトへの引用を禁止いたします。

今回は久し振りに新富座の筋書を紹介したいと思います。

 

大正12年2月 新富座 

 

演目:

一、常盤御前

五、乗合船
 
前回紹介した時の記事

 

本編に入る前にちょっとしたオマケで大正2年の歌舞伎座取得から10年目という事もあり、これまで変化が無かった筋書にも中座と同じく変化があり、これまで左ページ上半分しか無かった挿絵が丸々1ページ分に増量し、あらすじのページも以前より長めとなりページ数全体がボリュームUPされました。

 

大きくなった挿絵

 

またそれとは別に制度的な面でも変更があり、これまでは芝居茶屋等が担ってきた席の案内を松竹が新設した事務所で一括して執り行う形に変え前月末5日前から前売り販売を行い始めました。

大正2年に歌舞伎座を取得した際にも下駄代、座布団代といったある程度の中間搾取者の排除を行いましたが在来の芝居茶屋との軋轢を避ける為に踏み込まなかった座席販売をここに来て完全に掌握した事により芝居茶屋との力関係は完全に松竹が上となりました。

 

前売り券発売のお知らせ

 

その他、ミツワ石鹸のゴリ押し役者の演目解説が廃止され、まとめて演目を解説するページが新設される等、10年目を迎えた松竹が新機軸を打ち出そうとしていたのが分かります。後に第3期歌舞伎座開場に際してミツワ石鹸の圧力で役者の演目解説は復活しましたがその他の変更点はそのまま維持され段々我々が勝手知る今の筋書の原型が出来上がって行く事になります。

 

さて話を元に戻すと面子は前回紹介した時と同じく2月という事で仁左衛門が恒例のお休みを取って休演し代わりに帝国劇場から梅幸一門を迎えての座組となり、演目も

 

・歌右衛門親子&中車

 

・羽左衛門&梅幸

 

・歌右衛門親子&吉右衛門

 

・羽左衛門&梅幸&吉右衛門

 

・三津五郎&市蔵

 

と歌右衛門と梅幸で仲良く2つずつ分け合う形の狂言立てとなりました。(歌右衛門と梅幸の顔合わせが無いのと中車と三津五郎が1幕しか出ないのは歌右衛門、中車、三津五郎の3人が明治座との掛け持ちの為)

 

主な配役一覧
 
 
常盤御前
 
一番目の常盤御前は岡本綺堂が歌右衛門の為に書き下ろした新歌舞伎の演目になります。
 
以前に書いた大阪城はこちら
大阪城が歌右衛門の十八番である淀君物を彼なりの視点で解釈した作品でしたが今回の常盤御前も鬼一法眼での常盤御前役に定評がある歌右衛門に当ててしかも兼役でこれまた定評がある義経役を演らせるといった具合に彼の古典での当たり役を上手く混ぜ合わせて書かれた物となっています。
内容としては屋島の戦いの最中に義経が異父弟である一条義成とのやり取りの中で弟を慮って帰京させる所から始まり帰京したら大蔵卿亡き後の家の中で孤立しているが故にやるせない常盤御前から命惜しさにおめおめと戦場から帰ってきたのかと叱られてしまうなど身の置き所がない中、義成の異父姉である鶴の前が子供の命乞いをするべく一條母子の元を訪れかつての自分の姿に重なる物があると常盤が思う中で義成が姉の命乞いを助け自身は出立する事を告げるとここで母親として正気に戻るという話になっています。
 
今回は源義経と常盤御前を歌右衛門、一條義成を福助、佐藤忠信を吉右衛門、源内を左升、小桜を榮三郎、熊井太郎と鶴の前を時蔵、兵衛尉遠光を中車がそれぞれ務めています。
 
さて、鴈治郎が九十九折で酷評を受けたのはこの前書きましたが、この演目も劇評には老いた歌右衛門を如何に目立たせるかだけに苦心している風に見えたらしく
 
源家のためには貞節と呼ばれた常盤も、老後には矢張り愚痴の多い唯の女と云ふやうな處を描いた芝居
 
一体に絵巻を見るやうな劇で、内容は極軽いものでした
 
と冷ややかな目で評価しています。
 
歌右衛門の常盤御前と福助の一条義成
 
ただ、内容は今一つでも得意役を2つも演じた歌右衛門に関しては
 
歌右衛門が前の場の八島(屋島)で義経を堂々と見せ、後の館では常盤の唯人情に厚い處を見せてゐました
 
と流石に得意役をベースに演じているとあってこれまで演じ過ぎて食傷気味にすらなっていた淀君に比べると常盤御前は1年ぶり、義経は勧進帳の義経と解釈すれば大正8年以来4年ぶりとあって新鮮に見えたらしく演目への低評価とは裏腹に素直に評価されました。
そしてやや狂乱気味の母と哀れげな姉を助けるというかなり美味しい役を貰った福助に関しても
 
福助の義成は公卿の子として最もよくはまってゐます
 
と親譲りの気品の良さが役にピタリと嵌まったらしくこちらも評価されました。
この様に九十九折と同じく衰えつつある体で何とか演じられる様に作られた作品である事は共通しつつも、劇評に「作品名を変えようが設定を変えようが役名を変えようが結局はいつもの鴈治郎劇」(意訳)とまで辛辣に書かれた鴈治郎に対して歌右衛門は過去の栄光に縋る形にはなりつつも、持ち前の演技力で淀君物の二番煎じにならない工夫もあってそれなりの評価を受けた他、福助の演技にも助けられる形となり一番目物としての面子を何とか保った形となりました。
 
色調間苅豆
 
続いて所作事と称して演じられた色調間苅豆は以前歌舞伎座の筋書で紹介した舞踊演目になります。
 
大正9年に歌舞伎座で初演された時の筋書

 

初演での高評価を受けて満を喫しての2年ぶりの再演であり今回も清元延壽太夫が清元を務めた他、与右衛門を羽左衛門、累を梅幸、飯沼進之丞を吉之丞、久根八を梅助、おくわを歌女之丞がそれぞれ務めています。

今回2つある羽左衛門と梅幸の共演枠の1つとして選んだ事もあり劇評も

 

矢張り今度の呼び物の一つです、羽左の与右衛門と梅幸の累の両花道の出からして、恰で錦絵其儘です

 

とベタ褒めで羽左衛門、梅幸についても

 

前の口説きの間も艶麗と洗練に一糸乱れぬ絵画式の妙味がありますが累の形相が変わってからの口説きや立廻りが、何と云っても他に真似手のない専売物です。

 

と息の合った2人でしか出来ない技巧と色気、そして

延壽太夫の語りで成り立っているとして大絶賛しています。

 

 羽左衛門の与右衛門と梅幸の累
 
この様に年齢も50前後と脂の乗った時期を迎えた2人の演技もあって一番目を余裕で上回る好評となり、今回の演目の中でも突出した当たり演目となりました。
 
双蝶々曲輪日記
 
中幕の双蝶々曲輪日記は以前に帝国劇場の筋書で紹介した事のある時代物の演目になります。
 
宗十郎と幸四郎が演じて劇評から無視された時の筋書

 

今回は帝国劇場の時と同じく角力場の見取演目となっており、濡髪を歌右衛門、放駒を吉右衛門、山崎屋与五郎を福助、あづまを時蔵がそれぞれ務めています。さて、帝国劇場の時は完全に劇評に無視されていましたが今回は歌右衛門と吉右衛門の共演とあって無視する訳にもいかなかった様ですが演目としての評価は

 

馬鹿に落付いたのと、騒がしいのとが雑然とした感じがします。

 

と良いとも悪いとも言わない玉虫色的な評価となっています。

そしてその原因と思しき役者の評価についても珍しく濡髪を務めた歌右衛門に関しては

 

見た目の立派なのは歌右衛門の濡髪でした

 

と大看板の貫禄で関取の風格を醸し出せたのか割かし肯定的な評価なのに対して吉右衛門の放駒に関しては

 

吉右衛門の長吉は意気だけを頂戴したいと思ひます

 

と演技そのものは上記の「騒がしい」に相当したらしく触れられず初役ながら歌右衛門相手に務めた心意気だけを買われています。

 

歌右衛門の濡髪と吉右衛門の放駒

 

そして一番目では歌右衛門に劣らぬ評価を受けた福助も山崎屋与五郎役に関しては

 

福助の与五郎と時蔵のあづまも、何うもしっとした気分が出ないのは残念

 

と時蔵とひっくるめて不評で歌右衛門以外は事実上総崩れ状態であったのが分かります。

 
与話情浮名横櫛
 
そして二番目の与話情浮名横櫛は羽左衛門&梅幸の共演枠その2にして源氏店でお馴染みの世話物になります。
 
岡山劇場で演じた時の筋書

 

今回も与三郎を羽左衛門、お富を梅幸が務めた他、松助が帝国劇場に残留した関係で蝙蝠安を何と吉右衛門が務め、番頭藤八を幸蔵、およしを羽三郎、井筒屋多左衛門を市蔵がそれぞれ務めています。

さて、岡山劇場の時の幸四郎に並ぶ珍役となった吉右衛門の蝙蝠安ですが皆さんが気になるであろう評価はどうだったかと言うと

 

「ざんげ、ざんげ」と羽左の与三と並んで出て来た處は、安手な小悪党以上に見えましたが、愈強請になってからが、一生懸命のためか持味の愛嬌が割合に出ず、予想したよりも手強い位でした

 

と出の場面は悪くなかったものの、肝心の強請が強面が全面に出てしまい、実録風味の悪党チックになってしまったと評しています。

そしてその背景として吉右衛門の役作りが原因であるとして

 

仕科は全然松助に依らず、團蔵の型を折衷したやうで、花道の引込になってから、大に愛嬌を見せてゐました

 

と当時三絶と絶賛されていた松助の型ではなく、彼が終生崇拝していた七代目市川團蔵の型をベースに演じた為、最後の最後で愛嬌を見せたものの、蝙蝠安の悪党面が全面に出てしまったのではないと推測されています。

 

この様に悪くはないものの、期待していた物とは違った出来に対して歯に物が挟まった様な評価になってしまった吉右衛門の蝙蝠安に対して三絶の残る2人である羽左衛門と梅幸はどうだったかと言うと劇評は

 

梅幸のお富と羽左の与三は事新しく駄評を並べる事はありますまい

 

と2人の演技に関して劇評が何も書いていない状態となっています。ただ、幸いにもこの源氏店のみ超絶辛口の劇評家である岡鬼太郎が筆を執っているので見てみると蝙蝠安含め3人の評があったので見てみると羽左衛門の与三郎については

 

羽左衛門の与三郎は、目の覚めるやうや美い男。些と脂が抜けてはゐれど、キチンとしてソツがないが売物。然し理屈を云へば、若旦那っ気より悪者っ気の勝ってゐるのが玉に瑕。

 

と岡を以てしても高評価であり、初役の蝙蝠安を務めた吉右衛門に関しては

 

吉右衛門の蝙蝠安、お約束で松助と云ふ處を、初役で引受け、萬事其の松助に教へられて演る中から、自分の味を出そうと云ふ努力。處が外々の役一同手馴れ揃ひと来て、開場前に稽古もろくに無いに吃驚。初日は大分怪しかったさうなれど、二日目には可なり見当も附いたかして、忌な奴の處もあり、愛嬌もあり、幸に松助実は辯秀にもならず。

 

もう二三日演って、粘りが出て来れば更に結構。やがて立派な呼物にならう。

 

と彼らしい辛口ながらも意外と評価しており何処か期待を持った評価を下しています。

 

羽左衛門の与三郎と吉右衛門の蝙蝠安

 

しかし、残る1人である梅幸のお富に関してになるとこれまでとは様子が一変し、

 

安が来ると言葉も口も尖らして、鼻声の突っ慳貪。与三への言訳は早口で合方に引摺る写実味。此の総体の不人相さを、五代目にでも見せたら何と云ふだろう、イヤ、言ふ前に擲り倒すだろう。」 

 

と五代目が見た日には手を挙げるだろうとまで辛辣に写実風味の入ったお富の演技を酷評しています。

余談ですが岡は別段梅幸を毛嫌いしていた訳ではなく梅幸の写実に寄った演技癖に対してかねてから厳しい評価を下しており、その点が今回もモロに見えた事が厳しい評価へと繋がった様です。

 
乗合船
 
大切の乗合船は以前に新富座で上演された時にも紹介した常磐津の舞踊演目となります。
 
新富座で上演された時の筋書

 

今回は前年6月から松竹に移籍した三津五郎の出し物となり、才蔵亀助を三津五郎、萬歳鶴太夫を市蔵、俳諧師春仙を時蔵、大工の長吉を八十助、小奴三吉を十蔵、白酒売おふじを竹松、鳥追おきよを米吉、芸者嶋代を勝太郎がそれぞれ務めています。
 
さてこちらの評価はというとお察しの通り何も書かれておらず詳細は不明となっています。
その代わりと言っては難ですが顔触れが一新した舞踊に纏わる考察をしたいと思います。
これまで歌舞伎座/新富座の舞踊枠は紹介してきた通り長らく段四郎、猿之助親子及び福助のほぼ独壇場となっていました。
しかし、歌舞伎座が焼失したのとほぼ時を同じくして段四郎が死去し、福助と猿之助の二枚看板体制になると思いきや、父親を失った政治力の喪失もあり澤瀉屋一門は新富座の出演枠を失い更に猿之助自身もこの頃新作舞踊に傾倒していた事もあって春秋会として有楽座や帝国劇場に出演を繰り返していました。
そうなると舞踊は福助の独壇場…かと思いきや、福助も福助でこの頃同じ様に新作舞踊に傾倒していて通常公演では出せない演目を自身の羽衣会で発表するなど待遇に差はあれど似たような方向性を目指していました。
また、福助は徐々にではありますが衰えつつある父歌右衛門の跡を継承すべく父親の当たり役を演じる機会も増え始める等、これまでの様に舞踊物に専念するのが難しくなってきていました。
そんな中で舞踊枠の後任として打ってつけである三津五郎が市村座から移籍して来た事もあり、今回みたいな大幹部が揃っていると市村座時代と似た様な境遇にはなりつつも、吉右衛門とのコンビで閑散月を任されるとここぞとばかりに大役を演じる機会を任される事となり、三津五郎の舞踊枠は戦後まで続く事となります。
 
話を戻すと大切を除いた演目ではご覧の通り歌右衛門の出し物がそこそこなのに対して梅幸の出し物は何れも評価が高い上に羽左衛門との共演の客受けも良いなど完全に公演の目玉となり、客入りも羽梅コンビの贔屓に支えられ2月としては好調な入りだった様です。
 
新富座に関しては次の3月公演の筋書も所有してますのでまたすぐに紹介したいと思います。