大正10年2月 市村座 ニ長町体制の終焉 | 栢莚の徒然なるままに

栢莚の徒然なるままに

戦前の歌舞伎の筋書収集家。
所有する戦前の歌舞伎の筋書を週に1回のペースで紹介しています。
他にも歌舞伎関連の本の紹介及び自分の同人サークル立華屋の宣伝も書きます。
※ブログ内の画像は無断転載禁止です。
使用する場合はコメント欄やtwitterにご一報ください。

今回は吉右衛門が脱退前最後の公演となった市村座の筋書を紹介したいと思います。
 
大正10年2月 市村座

 
絵本番付

 
演目:
三、六歌仙
 
この時既に脱退日のXデーの日取りまで決めていた吉右衛門でしたが秘密が漏れるのを恐れてか弟子や弟達にも脱退を打ち明けていなかった事もあり、市村座の幹部や菊五郎は今回の公演が吉右衛門との最後の公演になるとはつゆ知らず帝国劇場から宗之助をゲストに再び迎えての座組となりました。
 
参考までに大正7年に宗之助が出演した時の筋書 

 

主な配役一覧

 
八陣守護城
 
一番目の八陣守護城は下記のリンク先でも紹介した時代物の演目です。
 
大正6年に演じた時の筋書 

 

配役は前回と同じく佐藤正清を吉右衛門が演じた以外は総入れ替えとなり雛衣を時蔵、船頭灘右衛門実は後藤政次を友右衛門、島津義弘を菊五郎、丹羽秀長を新之助、滝川右近を吉之丞、氏長妹柵を福之丞、北畠春雄を七三郎、神戸信孝を米升、大内義行を男女蔵、宇治の方を粂三郎、佐藤主計之助を宗之助がそれぞれ務めています。
まず大正6年の時は御座船の場に鵺退治を加えた変則的な上演になりましたが、今回は吉右衛門の不満を和らげる意味合いもあったのか御座船と本城の場以外に大序の安土城評定の場と二段目の南厳寺本堂の場を加えての上演になりました。
この2つの場は歌舞伎はおろか文楽でも滅多に上演されない場面であり、安土城評定の場淀殿を仮託した宇治の方が正清が帰国した事を憂いる他に南厳寺に怪異が出る話を聞き大内義行に討伐を命じるという一幕で続く南厳寺本堂の場は鵺退治ではなく怪異退治に訪れた義行が鬼女に化けた宇治の方を立廻りの末に捕らえて丹羽や滝川が信用できない彼女が義行の忠誠心を試した物だと侘び義行もまた忠誠を誓った所でだんまりとなる後の御座船や本城とは雰囲気が異なる面白い一幕になります。
そんなこの二幕ですが劇評では
 
安土城と南厳寺を附けたのは珍しいが、見落して御座船から見た。
 
と何と見落とすという名の観劇放棄をしており全く内容については書かれていません。
ただ幸いな事に別の劇評ではきちんと観劇して評価が残っておりそれによると
 
粂三郎の宇治の方は南厳寺門前の落着きが好い。福の丞の柵はふっくりしてゐたが余りに子供らしく、色気に乏しかった
 
と女形役のみの評価にはなりますが粂三郎と福之丞との経験値の差がモロに出たらしく経験豊かな粂三郎と並ぶとどうしても福之丞の稚拙さが目に付いたそうです。
 
福之丞の氏長妹柵、男女蔵の大内義行、粂三郎宇治の方
 
ただ幕自体の評価は厳しく、
 
始めの方と終ひの方とのつながりも一向に浅いし今死ぬ人を見捨て人々が去るのも厭な気がした。やっぱりかういうものは出すなら御座船丈で好い。
 
と全通しでないと意味が無い幕を大内役の菊五郎の見せ場を作る為に出すのは愚行だと指摘しています。
そして批評は御座船の場にも及び前回は好評だった吉右衛門の正清についても
 
吉右衛門の正清は柄と調子が定評のある清正役者だ、如何も評者の目には何時も程に大きく見えない、忍びを斬って御座船の舳に立った形、血を吐きながら景色を讃へる悲壮な幕切れは、流石にどっしりした處があるが、次の本城になっての扮装は鬘と着附とが非常に若くなって、重々しい心持が余程減殺された、それが為鎧姿になって天守に立った幕切も余韻が出なかったのは惜い事だ。
 
吉右衛門の正清は御座船の顔があんまり赤かった。も少しとのこ(砥の粉)の方が後のうつりが好いと思ふ。敵方の探りが来ても物に動じぬ様子は好いが、船が廻って舳先へ来てから、血を吐くのは好いとして、そして、その血の付いた紙を見物に見えるやうに落とすのは厭だ。あんな型は改めた方が好い。本城の場は死を待つ悲壮な感じが欠けて居た強情だけが見えて、その奥に隠れた悲哀の点が見えなかった。
 
と自他共に認める清正役者とは思えないくらい拵えから顔、演技に至るまで不評という珍しい結果に終わりました。
この原因は不明ですが残る役のよたんぼの虎と磯部主計之助は好評だっただけに体調面の不調とは思えないのでもしかしたら長年に渡り自分の意志に関係なく團十郎の当たり役を押し付けられる日々が続いた事でストレス状態に陥っていた彼だけにまたかの時代物に役を投げていたのかも知れません。
 
吉右衛門の正清と時蔵の雛衣
 
そんな不調の吉右衛門とは正反対に好評だったのが雛衣を演じた時蔵で
 
時蔵の雛衣、めきめきと女形の伎芸を上げた、琴も舞台であの位弾ければまづまづだ。舅に対する情もあり、何となくふだんでない舅の様子を目に離さないのも親切である。
 
とキチンと肚を理解して演じているとこれまでない評価を受けました。ただ、最後自害してからがマズかったらしく
 
自害してから階段の裏に首を突込むのは悪い、舞台にゐるのが辛ければちゃんと消して(黒子に隠して貰って退場する事)貰ふが好し、吹替を用ふのなら、もっと上手に用ふが好し
 
と死体としての形が悪いと言われて満点評価とはなりませんでした。
そして宇治の方は好評だった粂三郎も二役葉末の方は
 
どうも正清の妻といふ気がしない、後妻なのかしらぬ。
 
と何処か冷たさを感じると不評でした。
この様に吉右衛門以下演者の殆どが何故か今一つという結果に終わり予想に反して不評でした。
余談ですが市村座の立女形の地位にあった市川米升は今回はこちらの神戸信孝役のみの出演となっていました。米升の襲名からまだ1年が経過しこれから女形としての成長が見込まれた彼ですが実はこの頃既に病気により体調を崩しており今回も病を押しながらの出演となりました。
しかし、この公演終了後には遂に耐え切れず病床に就き吉右衛門と三津五郎の脱退によりガタガタになった市村座のその後を見届ける事無く11月15日、まだ1歳になったばかりの息子を残して30歳の若さで急逝しました。
何れは六代目小團次襲名も控えていた中での急逝は71歳の父小團次にとって相当大きなショックとなり、可愛い孫の成長を見届ける程の余力もなく翌大正11年5月6日に息子の後を追うようにして亡くなりました。
そしてただ一人取り残された孫は親戚の誼もあって二代目左團次一座に引き取られて役者となり、二代目左團次の死後は猿之助一座を経て戦後は縁のある菊五郎一門に入り渋い脇役で平成まで活躍した三代目市川子團次となります。
 
小磯ヶ原
 
続いて中幕の小磯ヶ原は歌舞伎座と市村座の筋書で紹介した事がある世話物の演目です。
 
歌舞伎座で吹雪花お静礼三の外題で上演された時の筋書

 

 
市村座で契情曽我廓亀鑑の外題で上演された時の筋書 

 

 こちらは一見菊五郎の出し物の様に見えますが実はゲスト出演している宗之助の出し物であり、おしづを宗之助、礼三郎を菊五郎、千代松を又五郎、蝮の仁三を新十郎、土松を新七、奥州屋宗右衛門を友右衛門、よたんぼの虎を吉右衛門がそれぞれ務めています。
さて、双方の所属する劇場や育ち方の相違もあり今まで1度も演じてこなかった礼三郎を初役で務めた菊五郎ですが
 
男振り一等、拵へ二等、情愛三等。
 
とかなりシビアな評価になっていて、この内三等と言われた情愛の理由について
 
お静が癪に苦しみ、我が子が溝に落ちているのに、高足駄を穿いたまま、のこのこ演ってるのは理屈屋にも似合はない事と思った。
 
と思わず妻と子を思いやるが為に下駄など脱ぎ散らして駈け寄るべき所をそのまま下駄を履いたまま来ている点が大きく気分を害しているとしています。ただ感情を抑えた肚での演技については
 
後は条件なしに泣いた
 
と良かっただけに画竜点睛を欠く形になりました。
思えば菊五郎の芸の師匠は九代目市川團十郎で、宗之助の父親は大歌舞伎を棄てて小芝居に身を投じたが為に團十郎に迫害されて大衆的人気を取った七代目澤村訥子であり、宗之助は子供歌舞伎から左團次一座を経て運よく帝国劇場からのオファーがあって大歌舞伎の仲間入りしましたがそれだけに生まれてから大歌舞伎の中で箱入りで育った菊五郎とは本来なら顔を合わせる事すら無くてもおかしくないだけに宗之助の出し物であるお静礼三を演じること自体無理があったとしか言えず何故無難に大歌舞伎で出す様な演目にしなかったのか不思議でしかありません。
対して写実に演じる菊五郎に合わせる訳でも無くあくまで自分流に情緒的に演じた宗之助については
 
丸の内からお客様である宗之助の出し物としては損だが、損が目立たぬ丈に見せたのは豪い。(中略)情愛第一、拵へ第二、容貌第三でありながら、僅か見ぬ中にやつれ果てたといふ礼三の言葉が嘘らしからず響くのも芸の得である。小町お静といふ仇名もさうかと思はせる人柄もあり、何となく世帯染みた風も義理に引かされて世を果敢なむ女とも見えた。
 
と歯車の噛み合わない菊五郎に対して自分流を貫いたのが功を奏したのか概ね好意的に評価されています。
 
菊五郎の礼三郎、又五郎の千代松、宗之助のおしづ
 
演じ方の相違により明暗を分けた主役2人に対して劇評で絶賛されたのが初舞台から間もない千代松を演じた又五郎とよたんぼの虎を演じた吉右衛門で又五郎は実の父親を亡くしている生い立ちが子供ながら母を健気に支える姿と重なり見物の涙を誘った様ですが、それ以上に演技についても良かったらしく
 
二世又五郎の千代松が素晴らしく好い。子役の型に適らず、白も歯切れが好く、情があって泣かせた。
 
と6歳ながら既に非凡な才能を見せていたらしく絶賛されています。
そして菊五郎とは対照的に浅草での子供歌舞伎時代や歌六との二流劇場での経験でこの演目に接した事がある吉右衛門は歌舞伎座で歌六がこの役を演じていた事もあって父親そっくりに演じたらしく
 
吉右衛門の雲助、引込の長持唄が好いお静親子にも優しく、愛嬌のある結構な景物でだった。
 
と歌六に劣らぬ出来栄えだと清正での不評が嘘の様に高評価されました。
 
吉右衛門のよたんぼの虎
 
この様に主役の菊五郎こそピントのずれた演技故に不評でしたが、それ以外の芸達者な役者の演技に支えられた形になったらしく一番目よりかは高く評価されました。
 
六歌仙
 
続く六歌仙は今回の舞踊枠で市村座の舞踊枠を担う菊五郎と三津五郎が得意とした文屋と喜撰の上演となりました。
今回は文屋康秀を菊五郎、喜撰法師を三津五郎、菊の局と圓通坊を伊三郎、祇園のおかじを時蔵、栃面坊を照蔵、阿免坊を吉之丞、矢林坊を新七、逸林坊を福之丞、遠仙坊を鯉三郎がそれぞれ務めています。
お静礼三では不本意な評価を受けた菊五郎ですが本領と言える舞踊では名コンビである三津五郎と組んだ事もあってか
 
中幕の文屋に菊五郎の康秀は、かういふものの出ていつも見物を一順見廻す癖がこの日見えなかったのは嬉しかった(中略)私はこの優の素襖落しでも棒縛りでも、三人片輪でも何でも踊りはみんな好きだが、時として、夢中のものを空へぶら下げて行って、突然バタリと落とすやうな事をするので、自分一人で見てゐるのでも無いのに、自分一人がそんな目にあったやうな気がして腹を立てる時がある、それが今度だけは無かった、この意気で外の踊も見たい
 
と偶然なのかいつも舞台を投げがちだと厳しく批判されている彼が珍しく全力投球で演じた事で面白かったとこちらでは評価されました。舞台を投げなかった事が評価に繋がると言うのも何か変な感じがしますが才能があるだけに普段は手を抜きがちな彼が全力を出すととても面白い舞踊が見れるという批評は映像を取るという前提で当然手を抜かないで演じている紅葉狩、越後獅子、春興鏡獅子などに見慣れている我々後世の人間にとっては彼の舞踊の様子を知る手掛かりとしてとても示唆に富む物があります。
対して菊五郎と同じく得意役の喜撰を演じた三津五郎はと言うと
 
三津五郎の踊は、島崎(藤村)先生のお書きになるものの様に結構ではあるけれど、余り隙がなくて肩が凝る心持がある。殊に手先の一挙一動にも整然とした所があって(中略)それだけにこっちにもそれだけの用意がある用意しなくてはならぬと思ふだけに少し気が重くなる
 
とこちらは菊五郎と正反対に一切手を抜かない楷書な踊りを評価されている一方で見る側も得も言えぬ緊張感に包まれて見ていて疲れてしまうという率直な感想を述べられています。
 
対照的な評価となった菊五郎の文屋康秀と三津五郎の喜撰法師
 
前にも書きましたがこの時既に三津五郎も吉右衛門に続いて市村座を脱退する意思を固めており、菊五郎との共演も残り数える位しかないと知っていながらも全く手を抜かずに踊る姿は彼の実直な性格がよく現れておりそんな彼を失った損失はインパクトが大きかった吉右衛門とは対照的に余り書かれませんが個人的には吉右衛門に匹敵する物があったと言えます。
 
新皿屋敷月雨傘
 
二番目の新皿屋敷月雨傘は以前に紹介しましたが魚屋宗五郎の通称で知られる世話物の演目となります。
 
当代菊五郎が国立劇場で演じた時の観劇の記事 

 

紋三郎が演じた御國座の筋書

 

中幕のお静礼三とは変わって今度は菊五郎の出し物に宗之助が客演する形になり、宗之助に花を持たせる意味もあったのか現代では滅多に上演されない前半のお蔦殺しを含めた通し上演となっています。
今回は魚屋宗五郎を菊五郎、お蔦とおはまを宗之助、魚屋太兵衛を友右衛門、浦戸紋三郎を三津五郎、岩上典蔵を吉之丞、鳶の寅吉を鯉三郎、小奴三吉を伊三郎、茶屋女房おみつを菊三郎、おなぎを粂三郎、磯部主計之助を吉右衛門がそれぞれ務めています。
 
さて、一番目と同じく珍しい磯部邸弁天堂のお蔦殺しの場が掛かったこの演目ですが前半部分の出来はというと意外にも磯部主計之助を演じた吉右衛門が良かったらしく
 
吉右衛門の主計之助、やや酔態になって、曲彔をぐいと引き寄せて寄りかかる所と、お蔦を一刀に斬りふせ、諸に突く科が癇癖な殿様らしくて馬鹿に好かった。大詰で宗五郎に両手に衝いて詫びながら、品の落ちないのが有難かった。
 
と中々演じる機会が無い役である主計之助をほぼ完璧なまでに演じて後半も含めて高評価されました。
一番目の所でも触れましたが何故自分の出し物である八陣守護城の正清が今一つなのに他の役は好評なのか不思議ですが、これは先の話にも繋がりますが脱退の理由の1つに挙げた「新しい物をやりたい」という欲望があったのでは?と思われます。事実、脱退後に新富座で初めて出演した際に現代物の新作の新樹を演じた事から見ても常に團十郎の俤を求められる時代物から脱して芸の幅を広げたいという気持ちがあったのは本当らしく、それを踏まえると今回のよたんぼの虎にしても磯部主計之助にしても團十郎の演じた事の無い役である事から演じ飽きた正清と異なり吉右衛門のやる気度合いが違った可能性は大いに考えられます。
 
吉右衛門の話はここまでにして前半では他におなぎを務めた粂三郎も
 
粂三郎のおなぎも、もの優しい行儀の好い所が屋敷勤めの人らしかった。
 
と好評でしたが肝心のお蔦を演じた宗之助だけは
 
宗之助のお蔦は、この優としては当然の出来だ
 
と何故か出来て当たり前だと辛口気味での評価となりました。
この様に一番目と異なりあまり演じられない磯部邸弁天堂を好評のままお馴染み魚屋宗五郎内の場になるとこちらは本領発揮と言わんばかりに菊五郎の宗五郎が良かったらしく
 
菊五郎の宗五郎は花道の出が、もうしんみりとして仏事の帰りといふ事を思はせる。戒名を女房に見せて今更涙に暮れながらも、妹の死因に疑ひ挟まず、三吉が口を出しても、父親が愚痴を言っても、独りあきらめの悲しみに浸ってゐる所、おなぎから様子を聞き始めて妹の非業な最期を思ひやって堪らず、絶った酒を呑む順序、「あんまりじゃございやせんか」と繰り返してゆく中に、だんだん酒に呑まれて呑む為に持ってきた酒をなぜ呑むのが悪いのかとおなぎに突かっかて行く迄の手順の上手さ、途中で顔を赤くするやうな事をしないのもさうある可き事で、磯部の屋敷の乱暴から、奥の庭で目が覚めて、けげんさうに四辺を見廻す辺の上手さ、手に入ったものといふよりもこれがこの優の天分だと褒めて置く。
 
と素の酒好きもあって極めて自然に酒に呑まれる酔払いを演じきりこういう生世話物にこそ彼の才能は遺憾無く発揮されると中幕とは正反対に絶賛されました。
 
そして二役でおはまを演じた宗之助もまた
 
宗之助の女房おはまは着付がお召らしいのが難だが、宗五郎の父にも親切で、おなぎにも愛想よく、良夫にも実がありお蔦の死にも情を見せ、三吉にも優しく、さしづめお上からの御褒美ものである。
 
と衣装こそケチが付いているものの、普段演じない演目でありながら細目な気配りで世話物の女房らしさを演じて百戦錬磨の菊五郎の宗五郎に遜色ない評価を得る事が出来ました。
 
菊五郎の魚屋宗五郎、宗之助のおはま

 
そして後半では2人以外にも得意の老け役である魚屋太兵衛を演じた友右衛門についても
 
友右衛門の父親は十右衛門より好い。中幕に同じやうな役をしながら役を変へてゐたのは豪い。
 
と似たような役である宗右衛門との差別化がきちんと出来ていると評価されました。
この様に菊五郎以下それぞれが役所をきちんと弁えて演じられた事や未経験でありながらも吉右衛門や宗之助が良く演じた事もプラスに働き、今回の演目の中で一番の当たり演目となりました。
 
しかし、結果としては演目の前半は微妙で後半になる連れて良くなる形となり、入りも閑散月の2月という状況下と梅幸、松助が加入した歌舞伎座や勘彌と猿之助が熱い火花を散らす帝国劇場に完全に話題を喰われた形となり、今ひとつな結果となりました。
そして前年から用意周到な準備を進めていた吉右衛門はこの公演が市村座専属としては最後の公演となり、来月の帝国劇場への引越公演を病気療養という名目で休演しいよいよ行動を起こす事となり明治41年以来、13年間に渡って歌舞伎座、帝国劇場と覇を競ってきた市村座のニ長町体制はひっそりと幕を閉じる事になりました。