さて、今回は歌舞伎座と帝国劇場で九代目市川團十郎十五年祭追善公演が華々しく行われる中独自の道を選択した市村座の筋書を紹介したいと思います。
大正6年11月 市村座
演目:
一、仮名手本忠臣蔵
二、身替座禅
三、契情曽我廓亀鑑
四、積恋雪関扉
この頃の市村座は以前に紹介した横浜座の公演の後市村座に帰り10月の本公演を無事終わらせてこの公演に挑みました。
参考までに横浜座の筋書
そして帝国劇場の筋書でもちらっと書きましたが、当初は菊五郎、吉右衛門が歌舞伎座、帝国劇場で行われている九代目市川團十郎十五年祭追善公演に掛け持ちで出演する手筈になっていました。しかし、10月公演終了後に突然吉右衛門が体調不良を訴え市村座、歌舞伎座双方を休場する事になりました。
吉右衛門が病弱なのは周知の事実であり、以前にも地方巡業先の名古屋で発病して何ヵ月も市村座を休場した事もあるなどこの前後にあったトラブルによる故意の休場ではなかったとはいえこれにより掛け持ち出演の予定が崩れたのは無論の事、市村座もまた看板役者である吉右衛門が欠けた事で座組の大幅な変更を余儀なくされました。
主な配役一覧
その結果、今まで菊五郎、吉右衛門の人気に押されて不満が溜まっていた三津五郎、勘彌、彦三郎といった中堅所を抜擢しての仮名手本忠臣蔵の六段目までの通し上演が決まりました。そして菊五郎は中幕の身替座禅のみ出演となり、彦三郎、三津五郎は菊五郎と共に歌舞伎座へと掛け持ちで出演しその代わり市村座の常連であった市川新之助を忠臣蔵の大序のみ掛け持ちで出演させる事に決まりました。
因みに新之助は宗家の一員という箔があるのと帝国劇場は口上のみの出演とはいえ、史上初にして最初で最後となる歌舞伎座、帝国劇場、市村座の三座全てに掛け持ちで出演するという快挙を成し遂げました。
仮名手本忠臣蔵
一番目の仮名手本忠臣蔵は上述の通り、菊五郎抜きの若手主体の演目となり、塩谷判官、早野勘平を三津五郎、不破数右衛門を彦三郎、桃井若狭之助、大星由良之助を勘彌、高師直、斧定九郎を東蔵、顔世午前と一文字屋お才を菊次郎、お軽を国太郎、足利直義を新之助がそれぞれ務める新鮮な配役となりました。
参考までに浪花座での忠臣蔵の通し公演の筋書
珍しく二段目を上演した新富座での忠臣蔵の通し公演の筋書
小芝居の真砂座での忠臣蔵の通し公演の筋書
本来なら父五代目菊五郎、兄六代目菊五郎の得意役である勘平を彦三郎が、また菊次郎と国太郎の役が逆な気がしなくもないですがこれは今回が六段目まででお軽が栄える七段目がない為に出番の多さからこの形になったと推察されます。
彦三郎については詳細は分かりませんが、一つ可能性としてあり得るのは兄菊五郎の影響力です。これは侍女千枝しか役が付いていない時蔵にも言える事ですが男社会の歌舞伎において父親に次いで兄弟、特に兄の存在は大きな物があります。特に市村座の看板役者の菊五郎と吉右衛門の弟である2人は良くも悪くも兄の影響を大きく受けてそれなりに役が付きますが、今回は菊五郎は掛け持ちの為に顔見せ程度の出演、吉右衛門は休場とあってその庇護が無い為か普段は3番目の地位に甘んじてる三津五郎が主役となり、彼の弟である勘彌もその恩恵を受けたのとは対照的に2人は兄達がいない事が悪く出た形になったと思われます。
さて、話が脱線しましたが久しぶりに座頭らしい役を演じれた三津五郎を始めとした若手ですがまず序幕については
「三津五郎の判官、勘彌の若狭之助も温和と短気といふところに大小名の差別(わかち)も見えてよし」
「菊次郎の顔世もしとやかにてよし」
「菊次郎の顔世は刻みが少し細か過ぎる。せりふにも、こなしにも。」
「新之助の直義公は歌舞伎座の義経が照かへしてか一段とご立派」
「東蔵の師直はこの人の年輩で師直があれだけに出来る人は他にあるまいといふ事で感服する。 (中略)けれどもあの重さは持ちこらへた重さであるから、ともすれば器用さがちらつく。」
「東蔵の師直も立派なれど愛嬌があって憎みの足らぬ様」
と完璧とまではいかないものの、どの役者も概ね好評でした。
東蔵は上で紹介した真砂座の時も師直と由良之助の二役で出演して由良之助について「固すぎる」と批判されていましたが、今回は逆に師直で「優しすぎる」という正反対の批判を喰らう事になりました。
続いて今回も二段目はカットされて刃傷の三段目に移りますが、普段なら幕を下ろして場面切り替えをするのですがここで一つ問題が起きたらしく演出上若狭之助が衣装を改める間に諸大名が勅使対応の為に出仕する場面を追加したらしく
「よい繋ぎなれどこれでは塩谷判官の出仕が左も遅い様にて喧嘩のやり取りが悠長過ぎるなり、忠臣蔵とても出す以上は見物に始(初)めて見せる了簡、幕なしで急ぐにしても始めての見物が得心するだけの事はして見せる心掛にありたし」
と幕を閉めずに物語を進めようとするあまり、本来なら他の諸大名より早く登城する筈の勅使対応の役目を仰せつかっている塩谷判官が諸大名より遅く出仕したかの様に見えてしまう演出は好ましくないと釘を刺されています。
さて演出の面ではかなり批判を受けた三段目ですが役者の方はどうだったかというと
「三津五郎の判官、立腹の間も品格ありてよし」
「すべて冗を省かれて大よしなり」
と評価される部分もありましたが、
「三津五郎の判官はあの肩と首とが、初から終まで気になって判官としての同情が私には如何しても沸き上がってこなかった。(中略)三津五郎の判官には余りに熱情がこみ上げて来なかった。師直を呼び止めて袴の裾を踏みしいた時でさえ、「白熱に冴えた鬱憤がおし黙って輝く」といふ様な、味が受け取れなかった。」
「東蔵は器用さで、大序の師直、三段目の師直と別々な格に適って行かうとする為ではあるまいか。特に「ピリピリ」と鮒の鰭ふる手付のあたりは身体を器用にくねらせる為に、憎さが寧ろ御愛敬に逸れて行った感がある。」
「勘彌の桃井若狭之助はこの忠臣蔵切っての適り役であらう但し、その声の鈍角なのは若狭之助の短慮、潔癖、過敏を表はすに甚だ不適当である。」
とこちらも大序とは異なり主役3人とも長所をマイナス部分が上回って目立ったらしく不評でした。
三津五郎の塩谷判官
その悪い部分は四段目にも引きずったらしく勘彌の二役由良之助についても
「勘彌の由良之助は期待していたものの一つだが、期待は裏切られてしまった。底力がない為に持きれない。「委細承知」の場所も深い腹が見えない(中略)特に門前の多数を制するあたり、多数と呼吸があってぴたりとこの多数を威圧する器とは見えない。「ひかうひかう、ひかうてや」なぞは甚だ空腹で、力が根を張っていない。しかし私は勘彌の由良之助に絶望してはいない。やがて立派に演れる時期が来るだろうと思って、それを楽にして待っている。」
と台詞廻しを除いて若狭之助では好評だった勘彌も前途を期待されつつも由良之助役者に求められる貫禄や威厳に欠けていると不評でした。
勘彌の大星由良助
余談ですがこの時斧九太夫を演じたベテランの菊三郎については
「菊三郎の九太夫が少しも当込を用ひず真面目なるにて場もしまりたり」
「菊三郎の九太夫も、自分で気が差しているのではないかと思はれる程に控へ目に見えた。もっともっと馬鹿馬鹿しい味を出して貰ひたかった。」
と評価が正反対に割れていてこれも帝国劇場で触れた写実を重んじるか、古典に立ち返っての演技を重んじるかによって劇評家のジェネレーションギャップが垣間見えたりします。
この様に四段目までは若手故に大役の経験が少なくそれだけに実力不足な部分が露呈する形になりましたが、その中でも勘彌、東蔵の両名は優れた部分を評価されるなど後年の活躍振りを伺わせる片鱗を見せていました。
さて、続いて五段目となりますが、まず斧定九郎を演じた東蔵について
「東蔵の定九郎は、色々無理があるこの忠臣蔵の役々の中で、これなぞが無理の無い役であろう。といって際立って感服する程の出来栄えでもなかった。」
と可もなく不可もなくとは言われつつも一定の評価をされています。
一方これまた初役で勘平を演じた三津五郎の勘平については
「三津五郎の勘平、定九郎の死骸を探り当てて、吃驚するだけで廻すは惜し」
と後が詰まっている故か定九郎から財布を抜き取って花道を歩く場面がカットされていたらしく物足りないと批判されています。
この五段目は他にも九代目が作った「五十両」という台詞もなく代わりに「かたじけねェ」と言ったらしく團菊が作り上げた型ではなく昔の演出で行ったそうです。
そして最後の六段目についてですが
「三津五郎の勘平は、取乱し方の領分が広がり過ぎた感はある。恰度その乱れた髪の様に、踊ではあれ程きっぱりと格律に入って拍節の鮮やかな人であるのに、この勘平は清く掃き清めた庭へピタリピタリと澄んだ水を打って行く様な鮮やかさが、出ていい處へも出なかった。」
とこちらも普段なら役をきっちりと当っ気なく演じる三津五郎ですが慣れない勘平を相手に苦戦したらしく良い評価を得られてはいません。
一方お軽を演じた国太郎はというと
「国太郎のおかるも柔かで美しくっていい、併しこのおかるは売られて、廓で養はれても、この場のおかるとあまり変るまいと思ったりした。」
と美しさの面では十分おかるが柄に合っていたものの、七段目との差が分からないと少しケチが付いています。
この国太郎は菊五郎の義弟でありながら生前は中々菊五郎の相手役にはなれませんでした。言うまでもなく女房役者として菊次郎が控えていたからでもありますが、その一方で菊次郎に比べるとどうも演技に欠けるものがあったらしくこの頃弟の時蔵が若女形として成長していた吉右衛門の相手役にも中々なれず三津五郎の相手役に収まってしまっていたのにはこうした部分が影響していたのかも知れません。
そしてお軽を国太郎に譲って自身は一文字屋お才に収まっていた菊次郎は
「菊次郎の一文字屋お才は立派である。顔世よりは遥かにいい。顔世で欠点に数へられるものがこの役では特長として役立っているからである。」
とこちらも世話物に長けた腕を十分に生かして演じたらしく評価されています。
三津五郎の勘平、東蔵の千崎弥五郎、初代中村吉兵衛の原郷右衛門
この様に若手主体となった忠臣蔵の出来は三津五郎はどれも不評、勘彌は役は合っているも経験不足、東蔵は所々欠点はあるものの立役の中では一番評価されていて、菊次郎は顔世については今一つだったものの、お才では評価されるなどかなり明暗を分ける形になりました。そしてこの演目では不破数右衛門しか演じれなかった彦三郎は「走り過ぎ」とある様に一役の鬱憤を晴らすべく熱演したのが却って仇となり不評となりました。
身替座禅
中幕の身替座禅は以前紹介したように新古演劇十種の1つで今公演唯一の菊五郎が出演した演目です。
参考までに帝国劇場の筋書
因みに筋書の順番では忠臣蔵の後になっていますが、実際の所は本来なら一つ続きで上演される五段目と六段目の間に挟むという変則的な形で上演された様です。
その為、三津五郎は
三津五郎:塩谷判官→早野勘平→玉ノ井→早野勘平
と早替わりレベルの目まぐるしいスピードで三役を演じる事になりました。
今回は山蔭右京を菊五郎、玉ノ井を三津五郎、太郎冠者を勘彌がそれぞれ務めています。
さて、劇評では菊五郎の右京については
「菊五郎の山蔭右京は目を瞑いで跳ね廻ってもそれがちゃんと絃にのって右京の踊になるかと思はれる程手に入った楽さと巧妙さとがある。」
と手慣れた演目故少々勢い良すぎる部分はあったものの好評でした。そして忠臣蔵では兄弟そろってあまり芳しい成績ではなかった三津五郎、勘彌も
「勘平で悩んだ三津五郎も楽過ぎる程やり捨ていながらちゃんと味が出ている。」
「勘彌も小さくつぶらな眼に自ら愛嬌の出たいい太郎冠者である千枝、小枝もとりどりに違ったいろどりである。」
とこちらでは打って変わって好評でした。
契情曽我廓亀鑑
そして二番目の契情曽我廓亀鑑は以前にも紹介しましたが河竹黙阿弥が当時の売り出し中の若手である五代目市村家橘(五代目尾上菊五郎)と三代目澤村田之助に当て込んで書いて慶応3年2月に市村座で初演された世話物の演目です。内容については以前に紹介しましたので省略させて頂きます。
参考までに大正6年3月に歌舞伎座で上演した時の筋書
それはさておき、今回は物語の内加賀見山の部分をカットして礼三郎とお静の心中物の部分のみを上演しています。そして礼三郎を勘彌、お静を菊次郎、お民を国太郎、お早を米蔵がそれぞれ務めています。
今回は歌舞伎座の時と違って御行松雨舎りの場はなく田圃の非人小屋から始まる演出でした。
忠臣蔵では大序以外はどの段も手厳しい評価が並んでいましたが、こちらでは一転して
「二番目は各々の柄がよく適って、吉右衛門がいない、菊五郎がいないといふ事も忘れて面白く見られた。契情曽我廓亀鑑といふ題ではなかったけれど、同じ芝居を歌舞伎座で観た時より、帝劇で小磯ヶ原だけを観た時よりも、却って今度の方がしっくりしていて乱れずに、柔かい美しさが受け取れた。」
と歌舞伎座や帝国劇場で上演された時よりも優れた部分があると高評価されています。
そして個々の役者についても礼三郎を演じた勘彌について
「勘彌の礼三郎は傷々しさに柔かさが加はって、見る者の心にしっとりと受取られた。小磯ヶ原で、傘を盾におしづと宗右衛門とに気を配る眼の動きにも身体の運びにも美しさが崩れずに感情が表はれたことを喜ぶ。(中略)
羽左衛門の方は表現的なことに於いて優れ、勘彌は之を形式美で藪うたことによって優れていると見られる。」
と二枚目の本領を発揮して歌舞伎座の羽左衛門と比べても遜色無い出来だと称賛されています。
対して歌舞伎座では歌右衛門が挑んだものの、畑違いの壁を越えられず苦戦していたのに対して今回演じた菊次郎は
「菊次郎のおしづも申分がない。姿にもいつになくふっくらした丸味が見えて、娘らしさのとれない可憐さがあった。義理にせめられて、涙を内に攻め込んで堪へている様な哀れさが深かった。地蔵前でしんしんと降る雪の下を手拭を被った顔が着附の色にうつり合って白く浮き、うたふ吾子に手を引かれ、杖つきながら咽ぶ絃の音にのって揺れるともなく揺れる甘い浮世絵の情趣は際立っていた。」
とかつて写実にこだわる菊五郎の為に氷水に手を付けて寒さを演出した逸話もある程の彼だけに世話物の女を演じさせたらピカ一の腕前を遺憾無く発揮して苦戦した歌右衛門とは対照的に絶賛されています。
この様に忠臣蔵と違って適材適所な配役も相俟って見物からも好評で当たり演目となりました。
積恋雪関扉
大切の積恋雪関扉は現代でもよく上演される舞踊の1つです。
今回は良峯宗貞を勘彌、関守関兵衛を三津五郎、小町姫を時蔵といういつもの舞踊演目では見られない珍しい配役となっています。
劇評では
「聞いただけで眼の中に浮かべる事の出来るもので、その予想を狂はせる出来でも不出来でもない」
と書いていて曖昧な評価になっています。
この様に一番目の忠臣蔵は厳しい評価になりましたが、その他は菊五郎、吉右衛門がいないというハンデの中では善戦し歌舞伎座、帝国劇場で行われている追善公演を相手に日によっては大入りもあるなど好調な入りだったそうです。ただ、この中途半端に良い結果が菊五郎、吉右衛門がいなくても何とか採算が取れるとして菊吉抜きの若手主体の公演月を作るといった良い影響を及ぼしたかというとそうではなく、依然として菊吉主体の公演体制に変化は起きませんでした。いっそのこと不入り位になれば田村成義も菊吉がいない時の脆弱な体制に不安を覚えて三津五郎ら次の花形役者の育成を急いだ可能性はありますが、残念ながらそうにはならず前に書いた菊五郎以外の役者たちの不満を溜め込んで行く形になりました。