大正10年2月 帝国劇場 女優劇その7 猿之助と勘彌の屋上の狂人 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は久しぶりとなる女優劇公演を紹介したいと思います。
 
大正10年2月 帝国劇場

 
演目:
 
 
参考までに前回の女優劇公演の筋書 

 

すっかり2月の風物詩となった帝国劇場の女優劇公演ですがいつもであればお師匠番として残る松助が歌舞伎座に出演する事に決まった為に今回は守田勘彌が残留しそこに歌舞伎座から市川猿之助と市川小太夫を借りて二枚看板での座組となりました。
 
猿之助と勘彌の関係についてはこちらをご覧下さい 

 

上記リンク先にもある様に所属する劇場は違えどそれぞれ得意分野(猿之助:舞踊、勘彌:和事)を持ち、互いに自主公演(猿之助:春秋座、勘彌:文芸座)で新作演目を発表するなど従来の古典演目に頼らない熱い情熱を持つ良い意味でライバル関係にあった両名の4年ぶりの共演とあって専属女優そっちのけで演劇好きの耳目を集める公演となりました。
 
滝口時頼
 
一番目の滝口時頼は名月八幡祭でお馴染み池田大伍が大正3年に書き下ろした時代物系統の新歌舞伎の演目です。
 
名月八幡祭を初演した歌舞伎座の筋書はこちら 

 

滝口時頼と普段歌舞伎では見かけない名前ですが本名を斎藤時頼と言い、平安時代末期に平重盛に仕えた武士でしたが重盛の妹である建礼門院に仕える横笛という女性に身分違いの恋に落ちるも周囲の反対もあり出家を決意し逢いに来た横笛も拒絶して仏門の修行に励み最終的に阿浄と名乗り高野山大円院の住職にまで登り詰めた人物です。
横笛との恋については信憑性のある資料の裏付けは無いですが出家して大円院の住職にまでなった事は史実であり、明治時代に滝口入道のタイトルで小説化されるなどこの時代では知名度がそこそこあった人物でした。
今回は滝口時頼を猿之助、左衛門義春と老僧を勘彌、横笛を律子、右近衛中将資盛を小太夫、白拍子かるもを嘉久子がそれぞれ務めています。
さて、一発目は猿之助の出し物と言える新作物ですが実はこの演目は上記の様に大正3年に書かれた物で元々は歌舞伎に対して書いた物ではなく東儀鉄笛率いる無名会の上演に書いていて池田の処女作でもありました。その為に後年の演目に比べて稚拙な点や粗があったらしく劇評もその事を取り上げてかなり辛辣な見方を取っていて
 
氏に取っては、習作に近い作物であったらう。
 
頗る単純な作である。演じように依っては、最っと深みを出し得たかも知れないが、先づ誰が演じようとも、然うコクのある芝居ではない。
 
と内容を滝口と横笛の恋愛にのみ焦点を絞った展開が単純過ぎて物語に奥行が無いと酷評しています。
そしてその欠点は演じる役者の演技にも影響を及ぼしたらしく滝口時頼を演じた猿之助についても
 
猿之助の時頼は、頗る熱のある演出振りである。
 
と熱心な取り組みそのものは評価していますが、
 
彼の直線的な技芸でグイグイ押進んで行くが、それが一向面白くない。
 
猿之助は可也にその煩悩を出す事に成功を示してゐるが鹿の音は詰になって冗過ぎた
 
と演出過多な所が見受けたり武士の誇りと恋愛の板挟みに悩む人物なのに台詞廻しにその様子が見受けられないと細かな粗が目に付いたそうです。
対して左衛門義春と老僧の二役を演じた勘彌は老僧の役にのみ取り上げられていますが
 
勘彌の老僧は、エロキューションの実に巧で細かいのに感心させられる。恋の物語り等全く巧い。
 
勘彌との老僧との対話の間は流石に両方とも旨い
 
と猿之助とは異なり台詞廻しの巧みさで劇評を唸らせる程で猿之助との今回の初共演となる滝口入道庵室の場では猿之助も勘彌に助けられる形で調子を取り戻した様子が書かれています。
 
猿之助の滝口時頼と勘彌の老僧

 
対して出家の原因となる横笛を演じた律子は
 
律子の横笛は熱心によくしてゐる。然し、僧庵に訪ねて来て、時頼に棄てられて煩悶する所は、そっくり女学生になって了ふ。この人は座女優の中では、一番柔らかい、線の細かい、色気の含んだ、そして良いニューアンスを多分に持ってゐる。然し何処迄も女優であり、女役にはなれないのだ。つまり型にはまったままの人間にはなれないのだ。所が、この場合の横笛は、女性その儘をさらけ出したのでは面白くない。この辺は十分お芝居に出来てゐる作物なのだから、ここでは矢張り旧劇の伝統的の型で芝居をしないと調和しない。然るに律子は心詐りて芝居をして形の方は一向考えてゐない。形がくずれて、普通の女になって了ふ。女学生の駄々をこねる姿になって了ふ。これは本人が到らぬのではなく、無理なのだと思ふ。
 
とこちらも猿之助と同じく努力の形跡は買うものの、平安時代末期の宮仕えする女性ではなく、当時の現代人の様になってしまっている点を指摘され芳しい評価ではありませんでした。
この様に一番目の出来は原作の未熟さという点は大きく影響を及ぼし勘彌以外は手厳しい評価となり今一つな結果に終わりました。
 
屋上の狂人
 
続いて中幕の屋上の狂人は春秋座繋がりで菊池寛が大正5年に第四次新思潮に書いた現代劇の演目となります。
 
この作品はそれまでペンネームを用いて書いていた彼が始めて菊池寛の名前で書いた物であり、一番目と同様に処女作に近い物に当たりますが、
 
同氏の作物中では、最も得意な自信のある物で、預て上演を望んでいた
 
と同じ処女作でも菊池にとっては自信がある作品だったそうです。その背景として当時、真珠婦人のヒットで文壇に認められ、父帰るが春秋座によって劇化されるなど順風満帆に見えた彼でしたが、戯作家としての彼は藤十郎の恋の記録的大当たりはあったものの、自身の原作に大幅な手が入れられた物で必ずしも自分の意に沿う内容ではなく、父帰るも好評でしたがあくまで3日間の短期公演であり、今回の屋上の狂人は自身にとっては初に近い意に沿った内容での25日間公演で初めて上演される演目であった為でした。
 
そんな演目の内容ですが明治30年夏の瀬戸内海にある小さな島を舞台に島の財産家の長男である勝島義太郎は高い所フェチのある狂人(原作表記)でいつも隙きあらば屋根に登るのを悩んだ両親がインチキ巫女を連れてきて無理矢理正気に戻そうとしますが弟の勝島末次郎がやってきて巫女の嘘を看破し狂いながらも幸せにいる人を一方的な価値観で無理に正そうとする誤りを指摘し義太郎は無事解放されて嬉しそうに来る日も来る日も屋根の上で喜んでいるという話になっています。
今回は勝島義太郎を勘彌、勝島末次郎を猿之助、巫女を嘉久子がそれぞれ務めています。
さて気になる出来ですがまず劇評は舞台に作られた実物大の家や大道具について触れ
 
大道具も強い夏の色の瀬戸内に面した地方色を巧みに出した
 
感心したのは、田中良氏の舞台装置である。南国的の赤く焼けた土地屋根の瓦及び空等は、幕の上ると同時に、見物の目を何れだけ赤く爛して了ふのだ、その雰囲気にひたる位の騒ぎではない。その強い刺激に脳を攪乱されるのだ。これは、この種の劇の舞台装置としては、最も成功した物である。
 
と現代劇ならではの見慣れない装置が舞台となる瀬戸内の様子をよく再現出来ていると評価しています。
 
演芸画報に掲載された舞台セット

 
その上で猿之助と勘彌についても
 
勘彌の狂人義太郎の扮装や、動作や眼の具合が如何にもよい
 
勘彌の狂人は、足の曲がった所、右手をズラズラさせてゐるだらしない風体が馬鹿に可い。只眼の附近の作りが、物凄過ぎる。一体目のきつい人だ。琴平様を夢想してそれと心意を通じ合ってゐると思って、屋根に許り登ってゐる、極く夢想家のおとなしい狂人を現はすに、この顔の作りは、如何であらう最っと沈鬱な内に神と融合してゐると確実してゐる安神(心)を得た顔附きにしたらい如何であらうか?科白に於ては、一点の非難を打つ可き所がない。
 
と勘彌は生まれつきとも言える目の鋭さがまるで狂人を装っている様な感じすら取れると突っ込まれている以外は台詞廻しや身のこなしなどはまさに頭のネジが1本取れてる人らしかったと高評価され
 
猿之助の弟末次郎が、狂人に対する理解から兄に同情して迷信を排ける幕切にも余情があって面白かった
 
猿之助の弟は、彼の直線的な芸がこの素直な性情を持つ弟を表はすに適してゐる。親やその周囲を叱り附け、巫女を足蹴にする生一本の意気は、申分がない。最後の兄がエクスタシーに入ってゐるのに、共鳴するやうな白を云って、そして心の内で悲しく泣いてゐるその哀れさは、この全編を瞳に転じたやうな物である。実にここが巧かった。この劇の進の主人公は、この弟である事がこれでも解る。
 
と猿之助は彼の勢ある熱い芸風が役柄そのままだとして何処までも兄を気遣い、常識に囚われている周囲の人間を叱る所や幕切れのいつもの兄を見守る姿の演技が白眉の出来だと絶賛されています。
 
勘彌の勝島義太郎と猿之助の勝島末次郎

 
この様に一番目に続き両名の火花を散らす様な熱い演技が芝居その物を下支えして見事な現代劇に仕上がったらしく劇評も総括して
 
短い内に、可なり沢山の内容が盛り込まれてある。一幕物としては上乗の物である。
 
と父帰るに続く当たり演目となりました。
 
心中天網島
 
二番目の心中天網島は説明不要の近松門左衛門の心中物の傑作を岡本綺堂が補作した物になります。
勘彌の近松物と言えば同じ女優劇公演で恋飛脚大和往来の封印切を演じたのを以前にも紹介しましたが、和事を得意領域とする勘彌はこの頃盛んに近松物への挑戦を試みていた事はあまり知られていませんが飽くなき芸域拡張を目指す勘彌の貪欲さが見て取れます。
 
封印切を演じた月の演芸画報の記事 

 

しかも、今回は鴈治郎が得意とする河庄、延若が得意とする炬燵の時雨には敢えて挑まずその前後に当たる大和屋の場と大長寺裏樋の口の場を上演するというかなり冒険に出た一幕になりました。
因みに大和屋の場は粉屋孫右衛門が治兵衛の倅を連れて治兵衛を探しに来るのを治兵衛が小春と共に複雑な気持ちで眺めるという情緒的な場で後半の大長寺裏樋の口の場は河庄の後の2人の心中する場を描いています。
 今回は紙屋治兵衛を勘彌、小春を浪子、粉屋孫右衛門を猿之助、丁稚三五郎を玉三郎がそれぞれ務めています。
さて、狂人の次は治兵衛と休む間もなく全く別の役に挑んだ勘彌ですがこれまでは新劇畑に精通したのを見せたのに対してこちらは和事師としての一面を見せて
 
勘彌の治兵衛は、前の新劇等に出てゐる勘彌とはガラリと変った、何ともいへぬ良い味と感じのする江戸式の和事師だ。色気が科白のすみ迄よく出てゐる。そして柔かい身体のこなしが美しい線を描く。それは、決して上方式のいやみなわざとらしい物ではない。
 
と鴈治郎や延若とはまた違う治兵衛像を創り上げたと太鼓判を押せる出来栄えだと絶賛されました。
 
勘彌の紙屋治兵衛と浪子の小春

 
次に父親の段四郎ならいざ知らず、本人からしたらニンに外れる役である孫右衛門を務めた猿之助はどうだったかと言うと
 
猿之助の孫右衛門は、風体が弟か番頭位にして見えぬが、優しい心持ちは実によく出てゐる。
 
と前幕では長所となった漲る若さが逆に仇となりとても治兵衛の義兄には見えなかったそうですが、やる事なす事は急所を外しては無かったそうでそこまで問題視される程ではありませんでした。
そして、女優劇の古典物で必ず槍玉に上がる女優の演技ですが今回小春を務めた浪子はと言うと
 
浪子は二階からのぞいた時に堪らない色気があった。
 
と大和屋の場の出は意外にも高く評価されていますが続く大長寺裏樋の口の場になると
 
例の冷やか調子で、治兵衛と心中する女ではないやうだ
 
大長寺裏樋の口の場の場は失敗である
 
と流石に小春はハードルが高すぎたのか後半の出来が良くなかったと書かれています。
ただ、劇評は後半の失敗に関しては必ずしも浪子1人の責任ではなく、その原因の大半は下座にあるとしていて
 
これは、一中節の為めにである。伴奏楽がかう芝居の邪魔をしては困る。第一山台が樋の口の水中に建ってゐるのが可笑しい。後ろの藪に本との竹が使ってあったり、所々写実掛かってゐるだけに、尚不調だ。はそして唄が無闇に長い。同じ節でくり返しくり返し唄ふのだ。うんざりせざるを得ない。
 
と何から何まで舞台の調和を著しく乱していると厳しく批判されていて折角の勘彌の好演も台無しになってしまったそうです。
この様にマイナス要素は沢山あったものの、難役治兵衛に挑んだ勘彌と全くニンにない孫右衛門に果敢に挑戦した猿之助の評価は高く、もし勘彌が長命していればもしかしたら歌舞伎座で再び実現した可能性もあるだけにこの1回限りで終わってしまったのが勿体ない位の演目となりました。
 
世間見ず

 
大切の世間見ずは何度か女優劇公演の際に紹介した小説家の佐藤紅緑が書いた二番目とは正反対に肩の力を抜いて楽しめる新作喜劇となります。
紅緑の書いたこれまでの女優劇公演の演目は一家族の様にシリアスな作風が多く見られましたが今回は珍しく喜劇物を書いていて結婚を巡り嫁に行きたくたいと言うくせに高給取りの男が現れると我先に物にしようとする五姉妹を中心に三郎は間に合わせにその辺の人を金で買って俄仕立ての婿候補に仕立て合わせが為に起こる珍騒動物になっています。
 
一家族を上演した時の女優劇公演の筋書 
 
今回は飴屋久七を猿之助、北島三郎を小太夫、売薬屋民蔵を勘彌、春子を延子、夏子を日出子、秋子はふく子、冬子は美祢子、末子を兼子がそれぞれ務めています。
ここまで全演目に出ずっぱりの勘彌と猿之助はここでも顔を合わせて先程の心中天網島と正反対の喜劇に挑みましたが、既に力作3本で観る側も観疲れしたのか
 
猿之助の飴屋、段猿の大工三吉の魚屋、勘彌の売薬屋民蔵等夫々の滑稽ぶりを見るだけだらう。小太夫の三郎は正面を矢鱈切らないと可い出来だ。
 
猿之助の飴屋と勘彌の薬売が、一番笑はせたが、物が物とて他愛のない狂言であった
 
と何処となく気の抜けた評価のみとなっていて、何となく猿之助と勘彌と段猿が良かったのが分かる以外はどんな感じだったのかは曖昧模糊となっています。とは言え全演目に渡って猿之助と勘彌の共演が楽しめるという妥協を許さない両者の大車輪に加えて開場から10年が経って経験を積んで成長した女優達を上手く使った配役もあり、普段帝劇の女優劇公演を見に来ない新劇ファンを多く取り込んだ事で無事大入りとなり、久しぶりの共演は大成功となりました。
 
そして今回も二の替りの筋書を所持していますので続けて紹介したいと思います。