今回は大正の歌舞伎界における一大イベントとなった新富座の筋書を紹介したいと思います。
大正5年2月 新富座
絵本筋書
演目:
一、女歌舞伎
二、梶原平三試名劔
三、鈴ヶ森
四、天網島時雨炬燵
五、乗合船恵方万歳
大正5年1月の歌舞伎座公演が終了後、歌舞伎座は2ヶ月に渡る休場となりました。
それは前にも述べた様に経営陣側の問題や帝国劇場と市村座の提携公演があった為でした。
その為、2月に行われる市村座の五代目尾上菊五郎十三回忌追善公演に対抗すべく松竹はこれまで温存していた切り札の使用に踏み切りました。その1つが襲名問題を巡って歌舞伎界に大騒動を巻き起こした五代目中村歌右衛門と初代中村鴈治郎の和解でした。
歌右衛門の襲名を巡る騒動についてはこちらをご覧ください
以前にも述べた様に鴈治郎が毎年1~2回東京の新富座に上京して出演する時にはいざこざを避ける為に歌右衛門を歌舞伎座には無論の事、なるべく東京の劇場にも出演させない様にするほど松竹にとっても細心の注意を払うデリケートな問題でした。
しかし、小手先の対応策を何時までも続ける訳にも行かず、鴈治郎が襲名を諦めて久しい事から今後の事を踏まえて和解するべきだという考えに至り今回の手打ちに至りました。
そして歌右衛門を説得して鴈治郎の出演する新富座に客演する形で明治42年10月の歌舞伎座以来7年振りの共演が実現しました。
因みに歌右衛門襲名問題も含めて遥か以前から鴈治郎にライバル意識を燃やして共演を拒んでいた十一代目片岡仁左衛門との共演は今回も実現せず持ち越しとなりました。
劇評でもこの和解について
「仁左衛門は踏みつけられたる形なれどもそれが為に却って東京の同情を集め、また大阪の同情をも回復し男の一分も立ちたるは捨てて拾いし徳というもの、歌と鴈は大入りで手柄を示し仁左は男が立って同情を得たれば三人ともにいづれも幸せ」
と仁左衛門そっちのけでの和解にある程度同情される部分があったようです。
因みに当の仁左衛門はというと鴈治郎がいない大阪の地に明治44年11月の浪花座の杮落し公演以来5年ぶりに出演し、甥の我童と共演しなかなか当たらないと言われる2月の公演にも関わらず満員大入りを記録しハブられた(?)事に対する気焔を吐いていた居ました。
主な配役一覧
さて、前置きはこの辺にして内容の紹介に入りたいと思います。
今回、鴈治郎一門と歌右衛門に加えて大阪で久しぶりの共演を果たしたばかりの羽左衛門や鴈治郎と度々共演して気心知れている八百蔵と段四郎、更には源之助も加入するなど大歌舞伎の名に恥じない座組となりました。
女歌舞伎
一番目の女歌舞伎は榎本虎彦の作品で外題から何となくお察し頂けるように歌右衛門の出し物となります。
こちらは榎本虎彦がイタリアのフランチェスコ・チレアが書いたオペラ作品である「アドリエンヌ・ルクヴルール」をいつもの如く翻案した作品で明治41年10月の歌舞伎座で初演されて以来8年ぶりの再演となります。
女歌舞伎と言うと殆どの人の脳裏に浮かぶのは歌舞伎の始祖と言われる出雲阿国の名前が浮かぶと思われますが、今回の主人公は阿国ではなく江戸時代初期に活動し関東の女歌舞伎の開祖と言われる桐大内蔵です。
阿国に比べて知名度は劣りますが、後に市村座の控櫓となった桐座を創設するなど同時期に活躍した笠屋三勝と共に市川團十郎に代表される荒事などの江戸の野郎歌舞伎の成立以前に活動していた女歌舞伎の代表的人物です。
これは原作がフランスに実在した女優であるアドリエンヌ・ルクヴルールを描いた作品である為にイマイチ行跡がはっきりしない阿国よりかはまだ資料が残っている桐大内蔵の方が適していた為だと思われます。
無論内容はフィクションが入っていて羽左衛門演じる貴族の烏丸通広との恋愛模様を軸に二人の仲に嫉妬する千姫や徳川家光まで登場するスペクタル感満載な新作となっています。
冒頭では桐大内蔵と対立する同じ女役者の幾島左近の話題から始まり、言うまでもなくこれは歌右衛門と鴈治郎の事をパロディにしています。そしててっきり幾島左近を鴈治郎が演じるのかと思わせといて三代目坂東秀調が演じて見物をやきもきさせるような展開になっています。
劇評では
「桐大内蔵が同じ女太夫の幾島左近との確執を暗に歌と鴈の縺れあいの様に匂わせたのは作者の働き」
と普段ならあまり好まれない楽屋ネタを入れた事も目出度い和解の場ならではのご愛嬌程度に受け取った様です。そして歌右衛門について
「歌右衛門の大内蔵は舞台の場で千姫を罵って卒倒するところも我が家で狂乱して落入るまで先興行よりは身の入れ方格別によく実に当時に名を轟かしたる女の太夫と思われた」
と歌右衛門のニンに当て嵌めて書かれた役だけに女太夫の貫禄ぶりがピタリと合ってかなり出来栄えが良かった様です。
歌右衛門の桐大内蔵、羽左衛門の烏丸通広
そして脇の本多中務を演じる八百蔵も
「 千姫の不貞を知れど君の為にそれを堪えて家を捨て武士を捨てて国遠する覚悟明瞭にて大いに良し」
と実直な武士を演じて評価されています。
また歌右衛門と張り合う幾島左近の大役を演じた秀調と大内蔵と通広を巡って争う千姫を演じた源之助の女形陣営も
「大内蔵と張り合うだけの技量もあり千姫の贔屓もあれど内心大内蔵の技芸を妬みてそれを陥れようとする女役者気質見えてよし」
「源之助の千姫は三代将軍の姉にて秀頼の御台所でありし者が家来の本多中務に再嫁したので夫を侮り所謂『夫憎み』より位の高き通広に惚れ、その恋の恨みにより大内蔵を毒殺する乱行傲慢の様子大いに良し」
と秀調は岳父二代目秀調を思わせる立派な女太夫ぶりで歌右衛門に見劣らない格調の高さを出し、源之助も本役と言える悪婆に近い役とあって本領を発揮して何れも高評価されていてその他、猿之助や児太郎も良く久しぶりに新作での当たり演目となりました。
梶原平三試名劔
続く中幕の梶原平三試名劔は前の浪花座でも紹介した鴈治郎の出し物です。大阪での好評に手応えを掴んだ鴈治郎は久しぶりの東京公演でも上演しました。俣野景久を段四郎、奴澤平を猿之助が演じているのを除けば基本的な配役は浪花座の時と殆ど同じとなっています。
参考までに浪花座の筋書
そして大阪での評判に対して東京での評判はというと
まず鴈治郎の梶原平三ですが
「押出も立派なり件々の決まりも良し、六郎太夫の述懐の間じっと聞いている何にも演ないところに持味の旨味ありまづ当代にて(きって)のこの役なり」
「男振りも拵えも目覚ましく先ずもって大舞台。形の内では刀を左にもって極った立ち身の見得がよく、台詞では本心を明かしての話の間が例の耳障りなる抑揚が少なくてよし。(中略)立派さにおいては無類の梶原」
と大阪に引き続き大絶賛でした。
鴈治郎の梶原平三
そして浪花座の時に「90点以上」と誉められた梅玉、福助親子も
「梅玉の青貝師六郎太夫、篤実の体も良く娘と命を捨てる覚悟の上は悪びれず二つ胴の為に引き出される囚人を見て、『これはこれは不思議の縁六郎太夫が冥土の友』という台詞も生きたり」
「福助の娘も父が切られぬを見て驚き悦ぶところ良し」
とこちらも鴈治郎に負けず好評でした。
主役と脇役の3人が揃って出来栄えが良く東京組に続きこちらも大当たりとなりました。
鴈治郎の梶原平三、梅玉の六郎太夫、福助の梢
鈴ヶ森