九月大歌舞伎 第三部 観劇 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は3ヶ月ぶりに観劇をしたので久々にこの記事を書きました。

 

九月大歌舞伎 第三部

 

本来なら7月や8月も観劇したい所でしたが新型コロナウイルスの感染者拡大や自身がまだワクチン未接種だった事もあり大事になる事を防ぐ為に自粛していました。ですが何とかワクチン接種も受けて一段落した事もあり再開する事にしました。

 

前回の六月大歌舞伎第二部観劇の記事

 

 

主な配役一覧
 
お岩/お花…玉三郎
直助権兵衛…松緑
小仏小平/佐藤与茂七…橋之助
お梅…千之助
按摩宅悦…松之助
乳母おまき…歌女之丞
伊藤喜兵衛…亀蔵
後家お弓…萬次郎
民谷伊右衛門…仁左衛門
 
今回上演した東海道四谷怪談は4月、6月に紹介した桜姫東文章の作者、四代目鶴屋南北が文政8年に書いた生世話物の演目です。
人を死んだ&殺したばかりの場所で婚礼と初夜を行うという南北の得意とする倒錯した世界観、大道具の十一代目長谷川勘兵衛と共に生み出した戸板返しの大胆な舞台装置、そしてお岩を演じた三代目尾上菊五郎の考え抜いたお岩の役作り等の要素が絡み合い初演が大当りした後も時代を変え、役者を変えて何度も再演されました。それは南北が過小評価されていた明治時代でも変わらず三代目尾上菊五郎の外孫である五代目菊五郎が得意役として十三代目長谷川勘兵衛と改良を重ねて演じた事で不変的な人気を保ち、五代目の養子である六代目尾上梅幸はお岩を5回も演じて戦前のお岩役者の第一人者と言われていました。
 
梅幸のお岩、松助の宅悦
 
そんな音羽屋のお家芸とまでなったこの演目ですが梅幸の義弟で五代目の実子である六代目菊五郎は写実主義の役者であり、また中年以降は肥満体であった事もありこの役を含めた怪談物全般が苦手であった事で昭和8年7月に1度だけ演じて酷評された事もあり後継者達に教えず音羽屋で演じられるのは当代の尾上菊之助が平成25年に演じるまで80年近く途絶えてしまいました。
 
数年後に紹介する予定の六代目がお岩を演じた昭和8年7月の歌舞伎座の筋書

 
しかしながら、この演目については五代目の四谷怪談を良く知る四代目澤村源之助も得意役として度々演じた他、梅幸自身が「梅の下風」で型や衣装、役の肚等を詳細に記述していた事、また梅幸の弟子である四代目尾上梅朝が戦後も存命であった事から梅朝を通じて戦後も伝わり六代目歌右衛門、十七代目勘三郎等が継承して演じました。今でも十七代目の実子十八代目勘三郎を経由して孫である勘九郎、七之助が演じています。
 
昭和3年に一世一代で演じた源之助のお岩

 
また、東京とは別に三代目の弟子である二代目尾上多見蔵が師匠から受け継いだ型に独自の工夫を凝らした上方音羽型とも言える型が存在し、多見蔵から初代市川斎入が継承し、実子の二代目右團次も得意役として演じた事で戦後まで上方でも度々演られていてこちらは成駒家の扇雀が受け継いで演じています。
 
二代目右團次のお岩
目の腫物が音羽屋型と違うのが特徴です

 
 
さて、話を戻すと今回お岩と伊右衛門を演じる玉三郎と仁左衛門は昭和58年6月に初演で演じて以来38年ぶりに2度目の上演となり話題を呼んだのはご存知の通りです。

また、これも既にご存知かと思いますが

 
・序幕…浅草観音額堂、按摩宅悦内、浅草観音裏地蔵前、浅草観音裏田圃
・二段目…伊右衛門浪宅、伊藤喜兵衛内、伊右衛門浪宅
・三段目…砂村隠亡堀
・四段目…深川三角屋敷、小汐田又之丞隠れ家
・大切…蛍狩、蛇山庵室、鎌倉高師直館夜討
 
となっていますが今回はその内二段目、三段目のみを上演する見取りとなっています。
最大の特徴は戦後に上演された公演なら必ずと言って良いほど上演されている伊右衛門の最後を描いた蛇山庵室がカットされている事です。これは蛇山庵室を上演すると上演時間が9時近くになってしまいコロナ下の現在では理解が得られない事、また玉三郎が筋書でも語っている様に戸板返しからの蛇山庵室は体力的に厳しいという演者側の都合もあってカットの憂き目にあった様です。
しかし、この東海道四谷怪談の特徴でもあるのが悪事を企んだ人間は皆なんらかの形で悲惨な死を遂げているという「因果応報」であり、序幕をカットしている影響で既に直助などのその後が描かれる三角屋敷がカットされるのは珍しくないですが、主人公と言える伊右衛門の死を描いた蛇山庵室がないと伊右衛門の勝ち逃げの様にも感じ取れる終わりになり起承転結で言うなら結の無い様な消化不良感は否めません。
 
そんなマイナスポイントこそ大きいですが、役者の演技の方はというとかなり良いだけに余計にか腹が立ちます(苦笑)
まず、一番筆頭は仁左衛門の伊右衛門でした。彼の悪役と言えば桜姫東文章の権助も良かったですが、私はどちらかと言うと以前に一世一代で演じ納めた絵本合法衢での左枝大学之助と太平次の方が好きでした。片や冷酷、片や狡猾とタイプは異なりながらも何の躊躇いもなく女子供までも容赦なく殺害し続ける殺人鬼を演じ分けた仁左衛門だけに今回の伊右衛門も一応は主家塩谷家への義理から高家に出入りする伊藤家に行くのを躊躇う素振りを見せつつも、一度はお岩の父を殺してお岩を騙してまで妻にしておきながらいざとなると平気で捨てる冷酷さ、お岩の殺害の罪を小仏小平になすりつけ殺害する残酷さ、更には小平を殺したばかりの場で小梅を妻に迎えて初夜を過ごそうする猟奇さ、化けて出て来たお岩を悪びれる事無く首を切り落とす(実際はお梅)往生際の悪さなどを見事なまでの台詞廻しと極まり極まりの良さも合わせて演じきっていて今回も何のダレもなく楽しめました。
 
38年前の伊右衛門
 
そして主役である玉三郎のお岩はというと前回の桜姫東文章の稚児白菊丸を演じた時も悪目立ちした下顎の膨らみが今回も横を向くとどうしても気にはなりましたが、一方で顎と同じくらい気がかりだった加齢による首筋、手首の痩せた様子は逆に産後の体調を崩して寝込んでいる感じが上手くマッチして病んでいる風に見えたのは自然で良かったです。容姿はその辺にして演技の方はと言うと色々な人に指摘されている義太夫に乗らないで写実風に演技している部分は確かに見受けられましたが、そこは玉三郎なりに写実に徹した演じ方(?)だったのかと解釈しました。というのも玉三郎は以前に瞼の母で母親おはまを演じた時も他の役者が終始冷たい姿勢を崩さない演技をする中、所々息子を心配するかのような素振りを見せるややもすると底割れしかねない演技をした事があり、今回もまた自身独自の解釈で敢えて意図的に乗らないで演技したのでは?と思えたからです。
また毒薬を呑んで顔が崩れてからの演技も声をかなり低くする以外は妖怪物に似つかわしくない怨みつらみを前面に押し出さない淡白な演じ方に徹していました。これは結果論にはなりますが、蛇山庵室がカットされた事で亡霊になって伊右衛門への怨みを晴らす部分が無くなった事で自然と父を殺され、夫には裏切られ自身もまた他人の強欲により無惨な死に方をするお岩の哀れさ、悲しさが浮かび上がりそこを意識して演じたが故の淡白な演技であったとも思えます。これは言わば今回の様な異例の上演ならではあり、決して普段の四谷怪談でこれが良いかといえばそうでは無いですが今回に限っては面白い試みかなと思えます。
 
参考までに十二代目片岡仁左衛門(当時四代目片岡我童)のお岩
こちらも右團次同様に着物が音羽屋型とは違います
 
さて、仁左衛門と玉三郎以外の役者はどうだったかと言うと宅悦を演じた松之助が流石に物足りない気がしました。この役は五代目菊五郎、六代目梅幸のお岩に対して名人四代目尾上松助が演じた事で知られる程の重要な役です。彼はこの宅悦の肚について「善人でも悪人とも言えない強欲でありながら小心者な人間」と解説していてお岩に手を出そうとして失敗し秘密を打ち明けお岩が亡霊になるきっかけを作る重要な役割を担う一方で小平、お岩、赤ん坊に悩まされる場面はコミカルに演じるなど陰惨な芝居の中でもコメディリリーフの役割を担うのが求められます。
今回の松之助は玉三郎に合わせたのかかなりサラサラと淡白に演じていましたが、この役はもっと芝居気たっぷりに演じるべき役なのでは無いかと言えます。
橋之助の小仏小平と佐藤与茂七の内、小平の方は元々お岩と二役で演じるのを想定しているだけに別々に演じると出番が少ないのが難点なのと自分が見た時は殺される際にアクシデントなのか鬘が少しずれていたのが気になりました。戸板返しも二役で分けているのでそれ程盛り上がらず二役の与茂七は仇討ちがカットされてだんまりだけなので早変わり位しか見所が少ないのが残念でした。
 
参考までに上記の源之助が二役で演じた小仏小平
伊右衛門は四代目市川九蔵(八代目市川團蔵)

松緑の直助も彼が出てくる序幕と四幕目が無いだけに何だか御馳走みたいなポジションに見えてしまいました。
 
オマケで十三代目長谷川勘兵衛が最晩年に書いた戸板返しの改良についての貴重なインタビュー

 
この様に演技面よりも、今回の短縮上演が故に色々と無理が生じていたのは事実で前の桜姫東文章みたいに前半、後半で分けて演じた方が話に無理が無く良かったのかも知れません。(そうすると季節的な問題が出ますが元々今の松竹は季節感ガン無視ですし、忠臣蔵外伝というのを踏まえて忠臣蔵を入れた上で10月、12月で演じても良かったかも)
まあ、色々言いましたが歌舞伎座で東海道四谷怪談が上演される事自体8年ぶりなので何も考えずに記念に観劇する分には楽しめるかと思います。