このシリーズも今回で最後になります。

 

林 房雄は「東亜百年戦争」を、世界史の中で日本だけが担わなければならなかった「運命」と捉えています。

もし、この世界に人類を等しく愛する共通の人格神が存在するのならば、非情なる神様は(その悲劇的な結末が予想されたがゆえに)日本に対して涙ながらにその役割を与えたのでしょう。キリスト教の唯一神を信じながら、異民族に対して圧政の限りを尽くす西欧帝国主義国家の支配を終わらせるために。まあ、これは梅之助のロマン的感慨ですけど。

 

ただし林のように考えていた人は、彼に限りませんでした。

「戦争突入者たちは(私もその一人であるが)、『日本の悲壮な運命』という一種の宿命観ともいうべきものに支配されていた」と書いた彼は、哲学者・和辻哲郎が日支事変勃発直後に発表した「文化的創造に携わる者の立場」という論文の中の文章を紹介しています。

 

「日本は近代の世界文明のなかにあって、きわめて特殊な地位に立った国であり、二十世紀の進行中には、おそかれ早かれ、この特殊な地位にもとづいた日本の悲壮な運命は展開せざるを得ない。あるいは、すでにその展開ははじまっているのかもしれず、日本人は自ら発展を断念しないかぎり、この悲壮な運命を覚悟しなければならず、軍事的な運動を起こすと否とにかかわらず、この運命は逃れうるところではない」

 

この和辻博士の示した「運命観」は、「東亜百年戦争」によって説明されるべきものだろう、と林は書いています。

やがて「日本の悲壮な運命」は、対英米開戦という終曲に突入。

開戦時の一般日本人たちの心境を、筆者は「大東亜戦争開戦」という章で、化学者であり文芸評論家でもあった奥野健男の文章を引用しています。

 

「対中国戦争に対しては、漠然たるうしろめたさを感じていた大衆、侵略戦争としてはっきり批判的だった知識人も、米英に対しての戦争となるとその態度を急変した。・・・誰もがどえらいことを始めた、これは大変なことになるぞ、日本はどうなるかと戦争を身近に感じキュッとしめつけられるような緊張をおぼえたであろう。それと同時に、遂にやった、おごれる米英老大国、白人どもにパンチを加えた、という気も遠くなるような痛快感もあった。(中略)泥沼に入った中国戦争のうしろめいた暗澹たる気持が米英と戦うということで大義名分を得、暗雲の晴れたような気持にもなった。この時ほど日本人が民族的にもりあがったことは歴史上なかったと言ってもよい」

 

遂に「百年戦争」におけるラスボスとの対決ですからね。

また詩人・高村光太郎は、

 

記憶せよ、十二月八日。

この日世界の歴史改まる。

アングロサクソンの主権、

この日東亜の陸と海とに否定さる。

 

で始まる「十二月八日」という詩を発表しました。梅之助もこの冒頭の格調が大変好きです。

それはさておき、こういった国内の雰囲気を熟知していた林は、以下のように指摘するのです。

 

明治、大正を生きて来た日本人のほとんどすべてが、知識人も一般国民も、十二月八日をこのように受けとったという事実はお知らせしておきたい。私たちの同年代とすぐそれにつづく世代の人々で、その逆のことを感じたという者は、よほどの上層部にいて日本の軍備の薄弱さと劣勢を詳知していたものでなければ、いわゆる「戦後民主主義」の混乱の中で、開戦当日の感動を忘れ去り、記憶錯乱に陥った者だけであろう。

 

 

真珠湾攻撃と玉音放送

 

史実が示すように、連合軍(事実上、米軍)との激闘の末、奮戦むなしく日本は敗れ、東京裁判にて「日本の近代史」は裁かれました。

 

誰も運命の実体を知らなかった。戦わねばならぬから戦ったが、なぜと問いつめられると、返事に困ったのである。

(中略)「百年戦争」はあの被告たちが生まれる前から始まっていた。もちろん連合国の将軍や検察官諸氏も生まれていず、彼らもまた「百年戦争」への途中からの参加者にすぎなかった。

東京裁判の被告席には、ニュールンベルグ裁判のナチス被告席とはちがい、「開戦への決断に関する明白な意識を持って」いた者は一人もいなかった。すべて「何となく何者かに押されつつ」──言い換えれば、和辻博士のいう「日本の悲壮な運命」におされつつ──「ずるずると戦争に突入した」者ばかりであった。まさに「驚くべき事態」である。

(中略)あの復讐裁判の被告席には、責任を他におしつけて、あわよくば死刑をまぬかれようなどと思っている卑怯者は一人もいなかったはずだ。できれば戦争責任を自分一人でひきうけてもいいと覚悟していたものが大部分であろう。だが、どう捜してみても自分の中に開戦責任の所在が発見できない。そのために、検察官の耳には被告の答弁はすべて「十二歳の子供」の答弁に聞こえ、これを検察官席から思う存分嘲弄することができた。

 

戦い終えて、筆者は日本の近代の歩みをこう振り返ります。

 

大清帝国の老化と無力化により、日本という小国は、ありとあらゆる無理を重ね、「武装せる天皇制」という戦争体制を創出し強化することによって、いやでも東亜諸国を「代表」して「戦闘には勝ったが戦争には勝てなかった百年戦争」を戦いつづけ、完敗して戦場を去り、戦士の鎧をぬぎすてた。日本という戦士はいま、歴史の舞台裏で休息している。約百年来、初めての休息である。いま初めて、家庭をふりかえり、産業と内需と貿易の充実を考え、内政を整え、「近代化」に向かって進む余暇を与えられたのだ。

 

 

復員する日本兵たち

 

そして最後に林房雄は「あとがき」にて、このような大変バランスの取れた文章を寄せています。

 

私は日本の現代史としての「東亜百年戦争史」を書き進んでいるが、画家ではないから、リベラのような美しい絵はかけない。また、美術家でない文学者としては、美しすぎる画をかいてはいけないと信じている。

ただ、敗戦後の日本の「進歩的」歴史家たちによって野放図に醜化され歪曲された日本歴史の解釈には断乎として抵抗する。あったがまま、あるがままを書けばいいのだ。日本という国の歴史はそのままで他の国々の歴史におとらず美しいのだ。同時に多くの美しくない面をふくんでいるが、それはまたそのままで、私たち日本人にとっては貴重である。日本民族が万邦無比の美しい歴史と伝統を持っているとは、私は決して言わぬ。そのような思いあがりは、日本民族の未来にも世界の将来にも何物をも寄与し得ない。

 

日本は多大な犠牲を払って最後の戦いに敗れました。

しかし日本が戦ったかつての「東漸する西力」も、それゆえにほぼ消滅しました(日本を占領し、現在も影響力を行使する米国をどう見るかは、意見の分かれるところ)。所期の目的は敗れながらに達せられたのです。これを言い換えるならば「アジアの解放」と言うのでしょう。

その代わりに、ある時期から同時並行していた共産主義との戦いが本格的に始まったのですが・・・これは主に米国が対外的に戦い、日本は側面支援に回りました。

 

現在、日本は中共帝国と対峙しています。また、北方のロシアも油断ならない存在ですが、いつの時代にも隣国の脅威というものは宿命的に存在します。

ただ、「百年戦争」当時、弱体化した支那や無能な朝鮮がパートナーとなり得ず、単独で戦わざるを得なかった時代と違って、今の安全保障では強力なパートナーがいない訳でもありません。

日本は現在のトランプ政権の特に対中外交政策には協調すべきでしょう。

 

もっとも、現代の日本包囲網という点では「グローバル金融資本との闘い」というのもあるみたいですが、そこは梅之助もブログ記事に出来るほどの見識を持っていないので、ここでは触れないでおこうと思います。

 

 

 

【関連記事】

林 房雄「大東亜戦争肯定論」を読んでみた③(2018/11/08)

林 房雄「大東亜戦争肯定論」を読んでみた②(2018/11/07)

林 房雄「大東亜戦争肯定論」を読んでみた①(2018/11/05)