王政復古とは1000年前の日本に戻すこと
古代と近・現代がつながっている国「日本」という国は「日の本の国」つまり、日が昇るところにある国です。人類は、アフリカで誕生し、長い年月をかけてアフリカから東へ移動しました。その東の最終地点が「日本」でした。もちろん、その時は「日本」はありません。日本神話の中心は天照大神、太陽神です。「ひみこ」を「卑弥呼」にしたのは日本ではありません。実は「日皇女」「日巫女」「日神子」だったかもしれません。1000年前に戻すことが日本の近代化につながった日本は海に囲まれています。それが日本に独自の文明圏を形成させ、また国土を守ることにつながっていました。おもしろいことにイギリスはユーラシア大陸のもっとも西に位置し日本はユーラシア大陸のもっとも東に位置します。ただ、イギリスと大陸の距離は日本のそれより近く、文明圏としてもヨーロッパキリスト教文化圏でした。日本は、儒教圏であったことはありますが一時的でハンチントン氏が「文明の衝突と21世紀の日本(集英社新書)」文明の衝突と21世紀の日本 (集英社新書)Amazon(アマゾン)1〜5,395円で述べているようにチャイナや朝鮮とは異なる独自の文明圏といえると思います。そして、その地理的位置は、元寇をはじめ、様々な外敵から国土を守ってきました。しかしそれが、近代になり通用しないばかりか、科学技術や軍事面で遅滞させることになったことは否定できません。特に、江戸時代の儒教文化と天下泰平な社会は、そうした面を拭いきれません。一方、人口は増加し、経済的には、マニュファクチュアが準備され、識字率も恐らく世界一の水準だったと思われます。学問水準も高く、江戸末期には、鉄の生産から軍艦のみならず、軍の組織までヨーロッパから学ぶことができていました。何よりも、江戸時代の各藩ごとの主君に忠誠を尽くす封建システムを天皇を中心の中央集権に作り替えることに成功したということです。それが、「王政復古」であり、システムを1000年前に戻すということになります。そして、1000年前に戻すことが日本近代化に必要だったということにもなります。まるで、先週のプロジェクトXでの法隆寺の「心柱」が現代のスカイツリーに生きているようなものです。ただ、このことは、簡単なことではなく、場合によっては政府への批判どころか反乱も起きかねない問題でした。武士こそオルテガのいうエリートここで、一言説明をつけ加えますと、オルテガはスペインの哲学者。エリートについて次のように述べています。「断ることのできる責務をあえて受諾する者。自分自身の上に困難を積み重ねるものである」『「十七条の憲法」を改めて読む その5』「十七条の憲法」 第十一条~第十四条たぶん皆さんも余り読んだこともない十七条の憲法全文に挑戦しています。後半になります。 摂政として、官吏に具体的な公務…ameblo.jp「明治」という国家[新装版] (NHKブックス No.1249)Amazon(アマゾン)69〜5,976円「明治」という国家〔上〕 (NHKブックス)Amazon(アマゾン)1〜4,220円「明治」という国家(愛蔵版)Amazon(アマゾン)1〜5,576円司馬遼太郎氏は、「明治という国家」の中で次のように述べています。「日本に君臨していた270名の大名たちが、一夜にして消滅したのです。士族-お侍さんですね-その家族の人口は190万人で、当時の人口が3000万人だとしますと、0、63%に当たります。これらの人々がいっせいに失業しました」同著の中で、「外科医が自らの体を外科手術するようなものだ」と述べたくだりが、奇跡とも呼べる国家の体質の変貌を実現させたことを意味していると思います。本来なら、旧時代を終わらせた最大の功労者に対して、ボーナスや昇進が当たり前のところ、領地を取り上げ、武士は全員クビだということになったわけです。これほど割の合わないことはありません。しかし、そうしないと日本は近代国家としての国民国家に生まれ変わることはできませんでした。それは、欧米列強の植民地となることを意味します。すでに、幕末の不平等条約でその理不尽さは、前述したとおりであり、植民地となり奴隷となるか、生まれ変わってやりなおすかこのどちらかの選択肢か余地はありませんでした。生まれ変わってやり直すとは、多くの国民にとって既得権益を捨ててゼロからスタートということです。結局日本は、生まれ変わることを選択したということです。領事裁判権がなくなる1894年、関税自主権が回復する1911年まで苦しみは続きます。コレラなどの伝染病についても日本側の検疫さえ思うようにできないこともありました。国民は、それ故条約改正の重さの意味を理解するようになっていきます。これまでにはない近代的な武器で戦う大きな戦争という試練もありました。時々、この世で命が最も大切だから、兵役や戦争で死ぬより植民地になっても生きていた方がいいという意見も聞くことがあります。ただ、歴史的に植民地になると、人は物品として売買されることがありましたし、労働価値がなくなれば、ゴミのように捨てられます。家畜以下かもしれません。そうした現実に耐える肉体以上に人間として屈辱に耐えうるのかと考えたときこの時代の国民も「日本人としての誇り」がありました。ひと言つけ加えると、武士には、家禄の十分の一という手当が大名には毎年出ました。それ以外の士族には、転業するための資金が禄高の数年分だけ出ました。それをもとに商売や事業を興したそうですが、農業以外はほとんど失敗したそうです。やはり、現実的には士族の不満は、たまっていきます。それは、政府内の対立にも発展していきます。今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。↓こちらをポチッとしていただければうれしいです。私も応援フォローさせていただきます↓ もひとつこちらもポチッとお願いします。にほんブログ村↓ついでにこちらもお願いいたします。にほんブログ村