無謀な戦争といわれたのは大東亜戦争(太平洋戦争)だけではなかった

日本は、ペリーが来航して開国して以来、

否応なく、帝国主義の時代に巻き込まれていきます。

 

巻き込まれてというのは、

日本の意思とは関係なくということです。

 

そして、10年ごとに大きな戦争をしてきました。

1894(明治27)年 日清戦争

1904(明治37)年 日露戦争

1914(大正3)年  第一次世界大戦

1941(昭和16)年 大東亜戦争(太平洋戦争)

 

このうち、第一次世界大戦は、

日英(イギリス)同盟との関わりで参加、

いわゆる「21か条の要求」の頃から

日本の国際的評価は悪化と警戒に変わります。

そして、国内が焦土と化した先の大戦となります。

 

戦前の価値観は、軍国主義と侵略という点から

すべて否定されて戦後に至ります。

 

ですから、「大東亜戦争」ということばは

「八紘一宇」や「神国日本」とともに、

GHQによって使用を禁じられました。

 

GHQは、日本を去りましたが、

以後、この3つのことばは、

公の文書、マスコミから消えたままです。

 

使うこと自体、その人の人間性が疑われる

ようなタブーとなっています。

 

では本当に日本が軍国主義で

侵略主義だったのか、を

このブログで検証していきます。

 

戦後いまだにいわれているのが、

まずアメリカと戦争をしたこと自体

無謀で、大人と子供の戦争で

バカげたものだった、という見方です。

 

一つだけいっておけば、

アメリカと戦争を始めたとき

日本は、歓喜に沸いたのです。

 

これも以前述べてはいますが、

改めて検証していきます。

 

今日ここで明らかにしたいのは、

実は、

日清戦争も

日露戦争も

どちらも、勝てるわけがない

といわれた戦争でした。

 

清国は、それまで世界一の帝国であり大国です。

ロシアは、陸軍としてはヨーロッパ一ともいわれ、

ヨーロッパのどの国も戦争を避けるほどでした。

 

勝ってしまえば、

なぜ勝ったのかを忘れてしまった結果が

アメリカとの戦争でもあった可能性もあります。

いまだ十分な検証がなされていません。

 

あえて言いますが、

私は戦争は嫌いだし、絶対やってほしくない

そう思っている一人です。

 

では、戦前の日本人は、

戦争が好きだったのでしょうか。

 

それはないでしょう。

自分を育ててくれた両親、祖母、曾祖父母

皆日本人のDNAで繋がっているのです。

 

徳川家康も二度と戦乱の世に戻したくなかった。

そして260年も平和な時代が続きました。

 

急に明治になって日本人が好戦的になる

はずもないでしょう。

 

第一、「光る君へ」の平安時代、

事実上、軍事・警察は機能せず、

死刑すらなかったのです。

平等院鳳凰堂 京都

桓武天皇は平城京(奈良)ではない「平安(京都)」時代

を願ったのです。(現実は異なります。)

 

戦国時代の約150年ほどは、

日本史上まれに見る特異な時代だった

ことは確かです。

 

とにかく、縄文時代から

日本人は、基本的に争いは好きではありません。

 

では、戦争が嫌いな日本人が

どうして、戦争、しかも無謀といわれるような

世界の大国と戦争をしたのか。

 

軍国主義だった、侵略したからでは、

何の答えにもなっていません。

 

次回は、「日清戦争」を取り上げます。

 

どうして、日本が清国と戦争をすることになったか。

それは、朝鮮との関係が関わってきます。

 

前回まで述べてきた「征韓論」にも関わってきます。

では、どうしてそこまで朝鮮と

関わっていく必要があったのか、

 

それは、ロシアの存在です。

 

その情勢は、現在の日本の置かれた状況と

何らほとんど変わらないことを理解すると、

よくわかるのではないでしょうか。

 

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

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