アテネの民主主義の頃日本は?


昨日のブログで、
「大東亜戦争」は日本の視点で
「太平洋戦争」はアメリカの見方
と言う書き方をしました。

もう一つつけ加えるとすると
「大東亜戦争」の使用をGHQが禁止したことがあります。

次は,Web上で見つけた記事です。

 太平洋戦争の呼び方について藤原彰・一橋大学名誉教授(日本近現代史)は「大東亜戦争という名称は、真珠湾攻撃の二日後に大本営政府連絡会議で決定され、名付けられた」と指摘。文部省教科書課は「『大東亜戦争』という言葉は、侵略戦争を肯定する意味合いを持つので、戦後は一般的に太平洋戦争という名称を使っている」と言う。外務省大臣官房報道課では「『大東亜戦争』という言葉は侵略戦争を思わせるのであまり使ってはいない」と話した。
1999年12月3日:5団体が取り消し申し入れ 「大東亜戦争と国際裁判」上映:朝日新聞紙面から

GHQが「大東亜戦争」の使用を禁止した事実はありますが、
その後、

日本そのものが「大東亜戦争」を使用しないようにして
今日に到るということになります。

インドネシアやインドなどアジアで
終戦後も植民地解放のために

命をかけた日本人がいた事実は
どうなるのでしょうか。

 

早い話、GHQは冷戦が始まると日本に再軍備を求めたし、
占領が解かれれば、禁止事項もなくなるはずですが、
こんにちまで、「大東亜戦争」以外
「八紘一宇」なんてことばも禁じられ、負のイメージのまま
今日に到ります。

たぶん、日本が他国に侵略するということが
あったとしても例外的で

 

大陸では
ヘロドトスのヨーロッパとアジアの対立の歴史、
司馬遷の中華文明が

それ以前の王朝を支配していく正当性の歴史
であるということです。

 

日本の歴史は、権力の攻防は別として

「日本書紀」や「古事記」に見られる

万世一系の歴史にほかなりません。

サミュエル・ハンチントン氏が、文明を8つに分類しています。
日本は、世界のどこにも属さない一つとなっています。
 

今日は、古代ギリシャの頃を考えます。
 

古代の世界史にヨーロッパが登場しないわけ

古代ギリシャは偉大な財産を残したが…

 

  古代の世界史にヨーロッパが登場しないわけ

 

ヨーロッパ(西欧)は大きな文明圏の一つです。
だいたい、ギリシャに始まり、
ローマ、中世になり神聖ローマ帝国、ルネサンスと続きます。

それが西洋史の流れだと思います。
その源流は、地中海の向こう側にあるエジプト文明で、

その後、様々な民族がエジプトやメソポタミアを支配し、
ギリシャへとつながっていきます。

ただし文化を継承したのは
その地域を支配した異なる民族でバラバラです。

ちなみに、その後のエジプトやアフリカ、
その前のヨーロッパの歴史は習った記憶がありません。

というより、資料がないのだそうです。
資料がないということは、歴史もないことになります。
いずれ、この時点でヨーロッパ(西欧)は、歴史に登場しません。

もちろん、アメリカは存在していません。


 

  古代ギリシャは偉大な財産を残したが…

 

ギリシャは、そうしたオリエントの民族の興亡の中で、
現在のギリシャである第一次世界大戦時に
「ヨーロッパの火薬庫」といわれた
バルカン半島に住み出した人たちがつくった国家です。

一つ一つの都市が城壁を持った都市国家で

ポリスといわれました。
 

本土で150くらい、代表的なポリスはアテネとスパルタで、
人口は最大で数万から20万人以上で

資料でかなり異なりますが、
他の多くのポリスの人口は数百から数千規模といわれます。

ギリシャの名をとどろかしたのは、
隣国の大国ペルシャを打ち負かしたことにあります。
当時ペルシャ(アケメネス朝:前550~前330)は、
大帝国でしたが、

攻めてきたペルシャをギリシャは
一致団結して3度にわたって撃退しました。
 

特にアテネは、その後民主政治が栄えましたが、
普段は争いが絶えず、
そのために平和の祭典オリンピックを開いたことは

ご存じの方も多いと思います。

実は、アテネの民主政治も堕落し、
多くの心あるリーダーが多数決で追放されました。

デマで毒杯を仰いだ哲学者ソクラテスも

犠牲者の一人でしょう。
 

アテネはペルシャと通じたスパルタとの戦争にも敗れ、
国内でいわば足の引っ張り合いを演じたポリスは、
衰退の一途をたどります。
 
ソクラテスという師匠を失った弟子のプラトンは、
民主主義を最低だとし、
優れた賢人こそが政治を行うべきと「哲人政治」を唱え、
「国家」を著しました。

プラトンの弟子であったアリストテレスは、
ギリシャに嫌気がさしたのか、
ギリシャ北方のマケドニアのフィリッポス2世に頼まれて
息子の家庭教師となります。

アリストテレスは、プラトンの考えを行動に移したわけです。

その息子こそアレクサンドロス大王です。
アリストテレスが教えることで最も苦心したのは、
学問以上に心の在り方だったといわれています。

 

ミロのビーナスに代表される美術

数学で習うピタゴラスの定理

一度は聞いたことのあるアルキメデスの原理

 

ギリシャは、現代にも偉大な財産を残しましたが、

この時代を境にこれまで世界史を牽引することはありません。
 
アテネの民主主義や文明は

奴隷制度の上に成り立っていました。

 

日本には古来、制度としての奴隷は

存在しません。

 

アレクサンドロス大王は

ギリシャからインド東部まで支配した

大英雄ですが、

 

日本にアレクサンドロス大王が登場したら

大英雄といわれるかどうかといわれます。

 

織田信長は、比叡山延暦寺を焼き討ちにすることで

中世を近世に変えたとまでいわれますが、

その評判は、魔王ともいわれ評判は

いまだによくありません。

 

この時代、日本は弥生時代に入り、
米の生産が中心になりつつあるムラほどの
集落が存在していた頃です。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
 

 

 

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