子供のつまらなそうな顔を見ているのが苦痛だった私

「まささん」という方から、

私が19.800名目の読者になったということで

その記念に紹介をしてくださったという

メッセージをいただきました。

こちらが「まささん」のブログです。

ブログをお薦めといっていただき、

この上なく、光栄であります。

改めてこの場をお借りして感謝申し上げます。

 

今日は、この私のブログについての

私の雑談になります。

 

何度かブログで触れたのですが、

私が採用された昭和の後半は、

学校が荒れに荒れていた時代です。

 

そのストレスは、20代でやっと教員になった

私にとってはことばに表せないものです。

 

現在人材育成に尽力されて著作も多数の

原田隆史氏が中学校教員の時には、

二階から椅子が降ってきた

と述べていました。

 

私の勤務した学校も似たような

状況でした。

 

  教師がまずやるべきこと

 

教育が成立していないというのは、

学校が荒れていることに象徴されています。

 

それは、子供が教師を信頼していない

ということにほかなりません。

 

ほとんどの子供は、学校は行くべきところで

勉強しなければならないところ

くらいの認識はありますが、

 

ごく少数、それは学級の1割とよくいわれますが、

指導を受け入れない、

要するに教師のいうことを聞かない子供がいると

学級は崩壊するといわれます。

 

その環境で生きるためには

その環境に慣れないといけません。

 

歴史を学んでいくうちに

様々な教訓が今現在に生かされる

ことに気づきました。

 

例えば、手塚治虫のマンガにもあったのですが、

戦場で人の命を殺めると気分が悪くなる

のが、人間だということがわかります。

 

しかし、そのうち腐臭のする死体の上で

平気でメシがくえるようになるそうです。

 

荒れた学校というのは、

いわば倒産寸前の会社のようなものです。

 

組織全体で取り組まなくては

ならないのですが、

当然、当事者の自分も

策を講じる必要があります。

 

かつてある校長先生が

「千回裏切られても子供を信じろ」

と教師たちにいっていました。

 

悪いことをやっているのは事実としてあるが、

悪いのは行為であって子供ではない

ということです。

 

結局、教師がいうことは

それほど間違ったことはいいません。

 

しかし、正しいことを言ったとしても

必ずしも人はそれを受け入れるとは限りません。

 

それは、ひとえにその正しいことを言った教師を

信頼していないからです。

 

それは大人にもいえることで、

あの上司のいうことだけは、聞きたくないな

そう思ったことがある方もおられるでしょう。

 

子供の状況は大人社会の反映であることは

確かで、あれから随分学校も変わったと思います。

 

教育基本法や学校教育法が改正されました。

それは、国、大人が動いたということで

少しは、落ち着いたとは思います。

問題は山積みですが。

 

  教育の再生の一つは歴史教育にある

 

独立して社会人になった私の子供が言っていました。

お父さんは、

ゴールデンウィークも休みもいなかった。

 

要は、父親らしいことはしていない

ということをいいたいのです。

 

おにぎりつくって、

日曜日の夕方(部活の試合でやっと帰ってくると)

海へ行ったじゃないの、と

妻がフォローしてくれていました。

 

学級や道徳、生徒会、部活動

ありとあらゆる手段を尽くして

子供(生徒)と人間関係をつくるのですが、

最終的に私がたどり着いたのが、授業です。

 

「教師は授業で勝負する」とわが業界ではいいます。

実際には、準備する時間は日中ありません。

睡眠を削るしかないのです。

 

ですから、多くの教師は

授業まで手が回らないのが現状でしょう。

教師にも生活があります。

 

しかし、だから、

勢い授業はつまらなくなる。

 

健康を維持するには、その辺が限界だと

実際思います。

 

しかし、私の場合は、教室で子供の死んだような目、

机に突っ伏して寝ている姿などをみると

とても絶えられなかったわけです。

 

そして、子供の心の荒みの根本の一つが

歴史にある、そう強く確信するようになりました。

 

祖先という歴史が軽んじられ、侵略者と

ののしられ、しかも自分もそうだと思っている

歴史をもつ国の子供が

まともに育つとは思えないからです。

 

授業のような形で発信するのは難しいのですが、

授業で扱えなかった私の

授業研究(準備)ノートから

 

今、一般向けに発信しています。

大人になると歴史をもっと勉強すればよかった

という人は多くなります。

 

やはり、自分の人生が祖先や先達とつながっていることを

感じるからだと思います。

 

長時間、しかもやらされていると感じる

仕事は疲労を蓄積させます。

 

しかし、助け合ったり、励まし合ったり

お互いに高め合ったりする組織は

疲れがたまりにくいものです。

 

それが、私が目指した学級、学年、学校でした。

今の社会に欠けているものだと思います。

 

競争しても限界があります。

それより、理想と目標をもって

 

世界に対して日本が一丸となって

日本のよき価値観をもって取り組む

そういう時代に来ていると思います。

 

このブログは、そういう祈りを込めて書いています。

 

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

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