過去があるから現在があるという歴史

 

世界の国を分けるときにいろんな方法があります。
 

かつては、資本主義国家と社会主義国家。
 

アジアなどに若干残ってはいるものの、
社会主義だったソ連と東欧は解体しました。

先進国と発展(開発)途上国。
先進国は、だいたいG7
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、
日本、カナダ
 

それに対するのが、最近は

開発途上国という場合が多いようですが、
 

中でも新興国は、BRICS。
ブラジル、ロシア、インド、チャイナ、南アフリカ

さらにグローバルサウス。
開発途上国で南半球に位置する国といいますが、
トルコ、インドネシアなども含んで、
チャイナも入るとか入らないとか
はっきりしません。

今新たに登場したのが
民主主義国家に対する権威主義国家。
 

権力が一部の指導者に集中している国家。
スウェーデンのV-Dem研究所というところによると
2022年の段階で、民主国家の方が少ない
という調査結果が出ています。
調査によって世界の7割は独裁国家だとしています。
 

人類の歴史は進歩しているといったのは

だれだったでしょうか。

 

 

  「国民国家」とは「民主主義国家」


いち早く国民国家となったイギリスやフランスは、
18世紀~19世紀にかけて
 

産業革命を経て

その商品の市場を求めて植民地経営に乗り出す
帝国主義の国となっていきました。

国民国家とは、民主主義国家でもあります。
なぜ、国民国家かといえば、
それは「戦争に強いからだ」と宮脇淳子氏が述べています。

なぜ強いのかといえば、
自分が生きていくためには自分の国が必要で、
その国を守ることが自分のためだと
国民が皆思うからだと思います。

つまり、国民国家における主権は国民にあり、
それは国民の命や財産、生活の善し悪し全てが
自分や家族のそれと同じことであり、
それ故自分の考えと態度に責任をもたなければならない、
そういう意識の高さがあるからです。
ドイツ イタリア
ナポレオン軍の強さのところでも述べたように、
絶対王政の時代のように国王が国を私物化し、
金で雇われた傭兵と官僚が国を動かしていた国とは、
意識が違います。

ただ、19世紀の段階で選挙権があったのは
有産階級で男子というのが普通です。

有産階級とはいわゆる富裕層で税金を納めている人たち
職業的には、いわゆる商工業者
貿易商人や工場経営者、資産家です。
 

こういう人たちが国を動かすわけですから
儲けることを考えるのが普通です。
さらに、一つの国として意志を示します。
それが大きな強みだと思います
 
そういう意味で、ドイツやイタリアは、
19世紀になっても日本の江戸時代のように
領邦国家で国が統一されていませんでした。

同じように日本でも、
江戸時代は270あまりの殿様のいるところをおらが国と考え、
武士もその殿様に忠誠を尽くすことを本務にしていました。

ドイツの諸侯・貴族は約300というから
日本の殿様の数と同じくらいだったということになります。

江戸時代末期になるまで、
自分たちが日本人であるという意識は
かなり薄かったのではないでしょうか。

お国はどちらですか、というのはまだ聞くことができます。
その場合のお国は、自分の生まれ故郷の都道府県です。

だからこそ、廃藩置県は第二の革命ともいわれるわけです。
そしてその下地はすでに1000年前にあり、

 

この場合、要は天皇にあり、

新しい「国民国家」として生まれ変わることができた

ということです。

 

  遅れてできた国家ドイツ、イタリア

 

ドイツは、述べたように
中世以来約300あまりの小国に分裂していました。

10世紀頃からローマ教皇が
その中の一国の国王に戴冠することで
ローマ帝国の後継ぎを自称し、

いつの頃からか「神聖ローマ帝国」と
いわれるようになった時代もありますが、

その実体はないといってもよく、
フランスの啓蒙思想家ヴオルテールは
「神聖でなく、ローマでなく、帝国でない」といっていました。

いわば実体は、日本の江戸時代のような
領主国家の連合体のような状態でした。

その中で、イギリス商品に圧倒されていた状況を
打破しようとプロシアが中心となり、

まずは1834年関税同盟を結んで、
いわば関所をなくして流通の自由化を図ります。

お気づきの方はおられると思いますが、
実は日本で江戸時代関所はありましたが、
関税はすでにありません。
織田信長がこの時代から見ても300年も前に
廃止しています。

ドイツは19世紀の段階で、
約40の小国や自由都市が分裂していましたが、
18カ国が関税自由化に加盟して
のちに全てが加入しました。
ドイツ ブランデンブルク門
プロシアでビスマルクが首相になると、
強力な軍事政策を土台にドイツを統一して、
オーストリアを除いた1871年ドイツ帝国を樹立します。
 
イタリアは、ローマ文明発祥の地であり、
ルネサンスでダ・ヴィンチ、ミケランジェロらが
活躍した国でもあります。

その実体は分裂したままで、
イタリアは単なる地理的名称だといわれていました。

北イタリアには、そうした歴史を引き継いだ都市国家があり、
中部にはローマ教皇がおり、
南部にはナポリ王国、シチリア王国が存在していました。
ヴェネチア ゴンドラ
近代になり北イタリアを支配していたオーストリアに
ナポレオンが勝利したことで、
統一国家を目指す動きが市民層から起こるようになりました。

共和派と王国派の対立はありましたが、
1861年にイタリア王国を宣言し、
その後イタリアの一部を支配していたオーストリアとフランスが
相次いでプロシアとの戦争に敗れたことで
ヴェネツイアとローマ教皇領を併合して
1871年にほぼ現在に近い国土となりました。

ただ、未回収のイタリアとしてトリエステと南チロルが残り、
第一次世界大戦の原因の一つとなります。

 

おわかりのとおり、

ドイツとイタリアと同じ頃国家として

生まれ変わったということです。

 

しかし、日本は天皇中心の中央集権国家

の歴史をもっていたということになります。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

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