日本が開国したのは、世界が帝国主義という時代


「惑星をも併合したい」といったのは

不動産屋さんではありません。

 

本気でこんなことをいった人がいたことに

まずは、驚きました。

 

日本人ならこんな発想はないでしょう。

 

19世紀から20世紀にかけて

帝国主義という時代でした。

 

この「帝国主義」はマルクス史観の見方

ということですが、

今やそれを超えて定着しています。

 

このまっただ中に日本においては

江戸幕府の内部的矛盾が露呈し、

この帝国主義の洗礼がありました。

 

すでに世界は、イギリスが

次いでフランスが、

遅れてアメリカが世界で植民地をねらっていました。

 

実際アジア・アフリカのほとんどは

イギリスとフランスの植民地となっていました。

 

ドイツやイタリアは、

日本の明治維新とほぼ時期を同じくして

やっと一つの国家としてスタートする時期

でもあります。

 

ちなみにロシアは、近代化は進まず、

「国民国家」という点では、

最も遅れた大帝国でした。

 

スペイン、ポルトガルは没落し、

その後、オランダもイギリスとの戦争に敗れて

覇権はイギリスにありました。

 

 

  19世紀、世界の覇権はイギリスにあった

19世紀~20世紀初頭にかけては、イギリス、

大英帝国の時代でした。

 

そのイギリスのセシルローズという人が

言ったことばが、

「私は惑星をも併合したい」。

 

このイラストがそのことばを表しています。


最近、これが載っている教科書もあります。

 

セシルローズの広げた両足の下にあるのは

よく見ればおわかりのとおり、

アフリカ大陸です。

セシルローズは、アフリカで

ダイヤモンドを掘り当てその9割を独占し、
莫大な資金を得ました。

それをもとに

南アフリカの交通・通信・マスコミを支配下にして
ケープ植民地の首相になります。

イギリス政界をも買収して

南アフリカ会社を設立しました。
 

この会社は、東インド会社と同様、
植民地に対する軍も統治権ももっています。

広大な植民地は

イギリス本土の4倍以上になり、
セシルローズにちなみ

ローデシアと名づけられました。

大英帝国支配下のもと、

南アフリカ支配を意図していることは、
想像に難くないと思います。

このイラストで持っているケーブルは電線であり、
ケープタウンとカイロ、カルカッタを

鉄道と通信で結びつける
後の3C政策を伺わせます。

 

新興国ドイツは3B政策で対抗しようとします。

今の「一帯一路」計画をも思い出させます。
 

 

セシルローズは、イギリス本国の失業者の集会で演説を聞いて
結局失業者は全て「パン、パン、パン」
という叫んでいるだけだといいます。

そして
イギリスに内乱を起こさないようにするためにも、
新領土を獲得しなければならない、
といっています。

当時の過剰人口を収容するためにも、
工場や鉱山で作られる商品市場が必要なのだということです。

考えて見れば誠に身勝手な考え方です。

例え自国の多くの国民が食糧難であったとしても

他国を犠牲にするとは、全く考えていません。

 

しかし、これがこの時代のヨーロッパの考え方です。

アメリカが、先住民の土地を奪って「新天地」としたのも
基本的に同じ考え方でしょう。

「神は世界地図が、より多くイギリス領に塗られることを望んでおられる。
できることなら私は、夜空に浮かぶ(惑)星さえも併合したい。」

というセシルローズの言葉は、いかに強欲であったか。
帝国主義がどういうものなのか、
その本質が見えてくるのではないでしょうか。

もっとも、現在もその延長上にあるのか
南極大陸、月や火星に住むという計画があるようです。

ちなみにローデシアは、1964年北はザンビアとして、
南は少数の白人が翌年一方的に独立を宣言しました。

しかし、多数派の黒人たちが独立闘争を粘り強く継続し、
かつての黒人王国の名前をそのまま復活させ
1980年ジンバブエとして独立しました。

かつて英仏戦争で敗れたフランスは、
アフリカの領地獲得に乗り出し、
再びイギリスと対立関係になります。

さらに、この2国に遅れて国土統一を果たした
新興国のドイツとイタリアも介入して
アフリカは、ほぼ全てヨーロッパ列強の植民地となります。
アフリカ分割
 

アジアでは、インドはすでにイギリスの支配下に、
清国もアヘン戦争後、

ヨーロッパ列強が分割する半植民地状態でした。

 

  西からロシアが、東からアメリカが迫っていた日本

 

南北戦争を終えて遅れて参入したアメリカは、
「門戸開放」、「機会均等」を主張して
清国の市場開放を求めてきていました。

アメリカから見れば、フロンティアを西に拡張し、
日本はその入り口であり、通り道なのです。

ペリーが来航したねらいは明白です。

 

そしてこのアメリカの思惑が

日本を苦しめていきます。

それだけではありません、大国ロシアが
凍らない港になるユーラシアの出口を東西に求め、
南下政策を繰り返していました。

それ以前は、「瀕死の病人」といわれたオスマン帝国に
ロシアは、何度も戦争をしかけていました。

1853年~1856年のクリミア戦争。
現在、ロシアが一方的に併合したとされる

あのクリミア半島です。
イギリスらの干渉で失敗します。

その後3度の露土(オスマン帝国)で勝利しますが、
これもドイツビスマルクの巧みな手腕で
ロシアの主張が大幅に後退します。

まさに「歴史は繰り返す」が現在進行型です。

こうした世界情勢の中で、日本はアジアで 
唯一真の独立国家を目指し、模索していました。

ここ日本が領土を拡張しようなどという

帝国主義の思惑は皆無です。

 

しかし、時代は帝国主義で

国際社会は弱肉強食の時代です。

それは今も本質的には変わりません。

ヨーロッパ列強は、自国の利益のためだけに、
各国が複雑に同盟や連合を繰り返し、
その中に日本は巻き込まれていくことになります。


その後、ロシアが東アジアで南下政策を進め
日露戦争に発展、日本に敗れます。

ロシアは、それを忘れません。

第二次世界大戦中アメリカとの密約
「ヤルタ協定」に基づき、日ソ中立条約を破って南下、
北方領土が現在もロシアが占拠しています。

「歴史は繰り返す」ならば
今度は再び東アジアへ、とならないか、
 

とはメディアでも取り上げられるようになりました。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

次回、もう少し詳しく述べていきます。

 

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