昭和と聞いて思い浮かぶのは?

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私自身は、現在
サンデー毎日の日々で、
 
ゴールデンウィークには
申し訳ない日々なのですが、
 
かつては、ゴールデンウィークといえば、
部活の練習と春の大会
公開授業の準備と
休んだ記憶がなく、
 
それは、昭和から続いて
平成もずっとだった気がします。
 
ただ、昭和の方がまだゆとりがあったと
思っています。
 
昭和の頃はまだ
土曜日出勤が当たり前でしたが、
それでも、精神的なゆとり
気持ちのおおらかさがあったように思えるのですが。
 
交通の便やインターネットやSNSが広がり、
便利になった分、忙しく窮屈になったのかも
しれません。
 
気がつくと昭和もずいぶん遠くになりました。
 
もともと、昭和天皇の誕生日というのが、
私に体に馴染んだ国民の休日でした。
 
その後、みどりの日となり、昭和の日となりました。
その昭和も戦前と戦後では、
全く別の国になりました。
 
といえば、いいすぎでしょうか。
私は昭和戦後生まれですが、
 
亡くなった明治生まれの祖母や
昭和一桁生まれの両親には、
 
この歳になってそのすごさを
思い出し、感謝することが多くなりました。
 
一言でいえば、自分のために生きていなかった
ということになるでしょうか。
 
じゃあ誰のためといえば、
家族や世の中の人のため。
 
我慢強さや周囲への気配りなど
そのレベルは、自分は到底及ばない。
 
大卒の私は、旧制中学や高等小学校出の
父母の振る舞いには到底かなわない。
 
昭和の戦後、個人主義、個性重視といわれてきて、
ここに来て両親の遺伝子や躾が
自分の中にかろうじて生きていることに
感謝しながら生きている毎日です。
 
ちなみに「昭和の日」を調べるとその趣旨は
「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み
国の将来に思いを致す」とあります。
 
この歳でいえることは、
自分のためだけに生きてもいずれ行き詰まるということ
人のために生きるほど豊かな人生はありません。
 
自分が教師として在職していた頃
念頭にあり、実践していたことは、
人のために尽くすことが
どれだけ楽しいかを実感させることでした。
 
いえることは、
確実にいじめはなくなったということです。
 
なぜいえるかといえば、
中学生の生徒や保護者が
はっきりとそういったからです。
 
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。