ごく普通のサラリーマン、外資系企業勤務、ドレッドヘアのサラリーマンなどを経て、エベレストからのマウンテンバイクをしたプロアスリートの後に保育園経営に失敗し、借金を抱え、失意の底から起業したツアービジネスをヒットさせ、日本のTop10にランクイン、外国人向けツアー作りのコンサルタントをしているボク、三浦岳人。
どん底からようやく掴んだ ”しばられない自由な生き方” を話しちゃいます〜
さあ、自由への旅路話はまだまだ続きますよ〜
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スーツなブラック軍隊会社から始まった自由への旅路話の15話目♪
1話、 2話、3話、4話、5話、6話、7話、8話、9話、10話、11話、12話、13話、14話
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昨日の続き↓
そんなグローバル企業をやめたボクは再び失意の日々を送っていたのです。
そんななか縁があり、ある団体で働くことにしました。
週末や夏休みなどに子供たちを野山に連れて行き一緒に遊ぶのです。
そもそも自分が子どもみたいなので、
一緒に遊ぶのは面白いし、
なによりアウトドアの経験を活かせるしで楽しかったです。
何度か一緒に遊ぶ子も、初めての子もいるのですが、ここで何年か過ごす中、こんなシーンを何度も目にすることがありました。
木々に囲まれた山や川辺で、何人かの子が必ず言うのです。
「何ここ、何にもないじゃん」
その子たちの言う ”何にも” というのは公園にあるような遊具のことですね。
なにも遊具のある公園ではなく、自然の中で遊ぶべきだと言っているわけじゃありません。
ポイントは、
どんなところであれ自分で何かを創り出せるか?
産み出せるか?
ということではないだろうかと考えるようになりました。
それは ”基本的には与えられたものをこなす”
という教育システムに一因があるのでは?
と思い至り、
もっと小さい頃から別のやり方をしてみたら違ってくるだろうと、
一念発起して保育園を始めることにしました。
保育士の資格も取りましたよ。
保育園のテーマは
”徹底的に自分で考え、創り出す”
です。
いい場所も、考え方が合致するスタッフも見つかり、無事スタート。
場所代、スタッフの給与の不足分はボクの身銭を切ることにし、園児を増やしていくことでプラスになることを目指しました。
”徹底的に自分で考え、創り出す” ために、
朝集まったら
遊び方も遊ぶ場所も園児が決めるということにしました。
最初はスタッフが園児のミーティングの司会をしていましたが、
その司会すら園児に任せることに。
自分のしたい遊びだけを一方的に推してくる子もいて、そんな場合は他の子どもたちの支持が得られないのです。
「ワタシ、##して遊びたいんだけど」
「オレ、いやだ」
上手くいかないこんな時こそ成長のチャンス!
”徹底的に自分で考え、創り出す” がテーマですから、このことに口を一切出さずにいかに子ども自身が発見できるかを考えていると、アッ!と思い当たることがありました。
”これってプレゼンテーションの本質と全く同じだな”
つまり、
相手に どれだけ利益を あたえられるか?
を説けるか?
という相手目線を持てるかどうかがキーだな。
就活であれ、転職であれ、社内外のプロジェクトであれ、まったく同じですね。
ヨシっ、子どもたちが相手目線をどう持てるか、どれだけプレゼンテーションができるか試してみよう!
子どもたちがボクやスタッフたちと遊びたい時があるので、その機会を最大限活かすことにしました。
「ねぇねぇガクちゃん、遊ぼうよ」
「うん、いいよ。 遊ぼう!」
最初はこんな風にどんな誘い文句でも乗りますが、
以前と同じ誘い文句には乗らないように日々返事を変えていくのです。
「ねぇねぇガクちゃん、遊ぼうよ」
「う〜ん、今はいいかなぁ」
と返事すると、次第にこんなことを言い始るのです、
「ねぇねぇガクちゃん、○○して遊ぼうよ」
いいですねぇ、工夫が見られます!
こんなことを繰り返していると最終的にはこう言うようになったのです。
「ねぇねぇガクちゃん、△△はと〜っても楽しいから、一緒に遊ぼうよ!」
やった〜
ゴール達成!
つまり
自分が遊んで欲しい(自分目線)
→相手が楽しいよ(相手目線)
というプレゼンテーションに変わったのです!
こうなったらもう大丈夫。
園児司会かつ園児だけのの遊びのミーティングでも変化が見られようになりました。
「ねぇねぇ、みんな、今日は□□しない? @@だから、とっても楽しいよ」
「いいね、やろうやろう」
ってな感じに。
こんなシーンのみならず普段の発言も相手の立場にたつようになってきて、園児たち同士のコミュニケーションもとてもうまくいくようになり、見事な成長ぶり!
少人数制で、変化を深く観察しているからこそできたことなのですが、経営的には身銭を切り続けていました。
やがて身銭が底をつき、早急に園児を増やす必要があるのは明確なわけですが、人見知りゆえ、いろんなところに営業をかけるのが全くワクワクしない。
変わりにいくつか広告を打ってみたはものの、うまくいかないので、借金をして続けていました。
でも結局、状況は変えられず、保育園をたたむことにし、借金だけが残りました。
パタゴニアを離れた後、このように迷宮に13年はまりこんでいたボク。
なので、これらの失敗と失意の日々を学びに変える必要が強烈にあったのです。
さあ、明日からは今やってるツアービジネスのスタートアップの話です〜