ごく普通のサラリーマン、外資系企業勤務、ドレッドヘアのサラリーマンなどを経て、エベレストからのマウンテンバイクをしたプロアスリートの後に保育園経営に失敗し、借金を抱え、失意の底から起業したツアービジネスをヒットさせ、日本のTop10にランクイン、外国人向けツアー作りのコンサルタントをしているボク、三浦岳人。
どん底からようやく掴んだ ”しばられない自由な生き方” を話しちゃいます〜
さあ、自由への旅路話はまだまだ続きますよ〜
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スーツなブラック軍隊会社から始まった自由への旅路話の11話目♪
1話、 2話、3話、4話、5話、6話、7話、8話、9話、10話
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おとといの続きね。
そんなことで、無事スポンサーをゲットしたボクは、エベレストの麓へ飛び立つことができました〜
操縦席が丸見えの小〜さな飛行機に乗り、標高2840m(富士山の7合目位ね)の麓へ到着。
麓と言っても、そこからトレッキングをスタートし、何日もかけてベースキャンプまでマウンテンバイクを担いでいくのだよ。
乗って登れるような地形はほとんどないからね。
ベースキャンプの標高は5364m、で酸素は地上の半分。
呼吸、ホント苦しかった〜
3歩あるいて、止まり、肩を大きく上下させ、ゼーゼーと激しく呼吸し、10歩あるいては休憩ってな感じで、1時間歩いても全然進まないんだなぁ。
それに、ヒマラヤって、全てが大きいから、スケール感が日本での感覚と桁違い。
例えば ”ヨシっあそこに見える所までをまずは目標として歩こう。 まぁわりと近くに見えるから30分くらい? 超ノロノロでも1時間みとけば着くでしょ” なんて思って、歩を進めるでしょ。
30分後(30分前と、見え方が全然変わらない…)
1時間後(うえぇ、もしかしてこれでようやく半分くらいかも… ショック大きすぎ)
2時間後 (ハアハァ、着いたはいいけど…..あんなに近く見えたのに2時間もかかるのか… これから先どうなるんだろう)
という感じで、麓からベースキャンプまで7日間かかったッス。
最後の2日間は氷河の上、足は滑るしで心底マイったなぁ。
でもさ、身体的に限界を超えても、心は充足感でいっぱいだったなぁ。
なんせ、そうゆうことをあえてやりにいってるんだから。
ってことで、写真を何枚かご覧いただきましょう。
ちなみに、1人で行ってるから、写真は三脚たてて自撮り。
上の写真を撮るのに10回は撮り直したなぁ。
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ここからは帰国して始まった雑誌の連載の話ね。
最初は白黒1ぺージから始まった6ヶ月の連載。
毎月、編集者の方と打ち合わせするのですが、好評ですとのこと。
うれしいねぇ。
で、回を重ねるごとにページも増え、
カラーのページになり、
場所もいいページに移っていき、
最終的にはなんと3年にも渡る連載になりました〜
雑誌に載せるために実際にマウンテンバイクを担いでる姿や持ち物などを撮影する時にはスタジオに入り、巨大な白いロールスクリーン(たまにテレビでみるじゃないですが、モデルが雑誌などの撮影してる時に乗っていて、天井まで繋がってるやつ)の上に立ったりし(ヒャァ、これがアレかぁ)とドキドキしたりと、なかなかできない体験もさせてもらいました。
3年の間に編集者が1度変わり、その方は別の出版社に転職されたのですが、そこでアウトドア雑誌を立ち上げたのですね。
で、その方から声を掛けていただき、しばらくその雑誌の監修をさせてもらうことになりました。
本当に感謝。
このように書くと順風満帆なプロアスリート人生を歩んでいるかのように聞こえるかもしれませんが、
それは華やかにも聞こえるごく1部を話しただけだから。
実際にはここからなんと13年にも及ぶ人生の暗夜行路に足を踏み入れてたんですねぇ。
実はエベレストの冒険を終えた後の生活は迷いの道に入り込み、失敗の連続で惨憺たるものでした。
さて、続きはその暗夜行路な話。