前回の記事

 

‐シリーズ・朴烈事件を追う その1(大正時代の社会運動)‐

 

 

関係記事

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その1(『自由法曹団』について)‐

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その2(柳宗悦の「予言」が適中す)‐

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その3(日本在住外国人のトップランナーの歴史)‐

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その4(「義人弁護士」に至るまでの生い立ち)‐

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その5(三・一独立運動以後の『義烈団』活動について)‐

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その6(布施辰治の仕事歴)‐

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その7(虐殺真相究明に対する帝国政府の妨害と朴烈事件の経緯)‐

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その8(壮観たる大法廷裁判・朴烈の四ヵ条要求)‐

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その9(朴烈事件以後の『義烈団』金祉変の弁護について)‐

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その10(朝鮮の土地問題・植民地化の歴史)‐

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その11(「法曹界」のキャリアと地位を捨てた活動)‐

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その12(台湾の反植民地闘争弁護と朝鮮共産党事件)‐

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その13(日本の労働問題「先人たち」の努力)‐

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その14(新潟県水力発電所・朝鮮人土工「虐殺」の話)‐

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その15(布施氏の「弁護士資格剥奪」と その後の趨勢)‐

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 最終回(生くべくんば民衆と共に、死すべくんば民衆の為に)‐

 

 

・「直接行動」の境目

 

 

しかし、日本人の直接行動派といえども実際に“天皇を殺っつける”ほどの決断はなかったようである。

 

朴烈の弁によれば、「日本テハ皇室ニ対スル罪ハ他ノ罪ト比較シテ・・・・・・高クテ割合ニ合ハヌト言フ点ト、木偶<でく>テアルト云フ点カラシテ日本ノ社会主義者ハ皇室ニ触ラヌ様ニシテ居ル様ニ見受ケ」られたというのだ。

 

その大正期には、思想啓蒙と社会不安が重なって、若い青年の間に勧善懲悪的なテロもしばしば行なわれた。大正十年にしても、東京のホテルにおける閔元植の殺害、大磯別邸での大富豪安田善次郎の殺害、東京駅での原敬首相刺殺などがある。

 

世相は、とにかく混沌に錯綜し、自殺行為も多い。

 

そして熱血青年が自殺を覚悟する際には「でっかい人物を道連れにして、後世に名を残す」といった風潮もみられた。

 

当年二十歳になったばかりの朝鮮人のアナキスト朴烈は、死を覚悟して、でっかい爆弾テロを考えていた。それは朝鮮での三・一運動のあとに結成された「義烈団」の影響もあったと思われる。日本帝国主義打倒のための決死隊「義烈団」の「朝鮮革命宣言」にうたわれた。

 

敵に対する報復・暗殺・破壊の目的物として「第一は、朝鮮総督および各官公吏。第二は、日本天皇および各官公吏。第三は、敵の一切の施設物」となっている。

 

上海に本拠を置く義烈団の爆弾闘争の第一目標は、朝鮮総督とその官公吏にあった。これに対して、東京で闘志を燃やしていた朴烈は「日本天皇および各官公吏」を狙う、という算段である。

 

‐東アジアの今とこれから その10(大逆事件と明治社会主義者の総括)‐

 

そして彼は、爆弾を求めて、非常にアクセクした。一〇年前の「幸徳事件」の二の舞を演じまいとしても、もっぱら外国製または“上海の爆弾”の搬入を謀っていた。

 

朴烈は「爆弾」を手に入れさえすれば、それを天皇または皇太子に投げつけて、わが人生を遂げたい、とばかり考えていた。そのころ、爆弾を求めたのは朴烈だけではない。日本の尖鋭なアナキストたちも爆弾を求めていた。のちのギロチン社の中浜鉄・原沢武之助らは「英国皇太子暗殺計画」を立てていた。一九二二年(大正十一年)四月に、イギリス皇太子プリンス・オブ・ウェールズ(ウインザー公)が日英親善のための日本訪問をすることになっていた。

 

これは前年、日本のヒロヒト皇太子<昭和天皇>が訪英した返礼訪問であったが、中浜らは、その機会をとらえて命を叩き込み、アナキストとして崇高な使命を果たし、生涯を閉じる覚悟だったという。とくにイギリスの皇太子を狙うことは、日本の天皇や皇太子を狙うよりも世界的に遥かに影響力が大きい、と踏んだようである。

 

※<>は筆者註

 

『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 56~58頁より

 

 

・『ハレーション』の中で・・・

 

 

朝鮮や日本の闘士らが、このような「行動」を出るにいたったのも、時の政府の圧政や矛盾が生んだ『結果』であろうと、ひとつの国を滅ぼし、その民を奴隷のように扱い続けた先に、必然なる憎悪と復讐心を生み出し、また「日本人」内部にも、多かれ少なかれ、現行体制に異議を持つ人々が、到底「当時の選挙」では、各人の権利や目的が獲得できない以上、悶々なる苦しみだけが広がり、やがてそれは「暗殺テロ」という形で、『政府高官』や『エリート層』にターゲットをしぼって、直なる行動へ打って出るキッカケが、あちらこちらに蔓延していたわけです。

 

そうでなければ、上述の事態に陥らないだろう。

 

少なくとも、過去の大日本帝国の「建付け」を理解すれば、関係する近代史(既述)の記事と合わせ、今回の「現象」についての認識を深める助けとなります。

 

 

<参考資料>

 

・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社

 

 

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