前回の記事
‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その1(『自由法曹団』について)‐
関係記事
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その1(政府を決して信用してはならない)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その2(デマ拡散と大衆の「民度」)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その3(目玉や鼻をえぐり、腸や胎児を引きずり出す)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その4(「天皇制」サイコパス国家への批判)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その5(なぜ政府は『虐殺』を画策したのか)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その6(体制維持の「生命の道具化」と「隠蔽工作」)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その7(極度の「情報統制下」にあった朝鮮半島)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 最終回(なおざりにされる『教訓』と『生きづらさ』)‐
・帝国時代を 振り返る
一九四五年八月、大戦が終わるまで、日本国中に“人権”などありえなかった。
人間への迫害、搾取、官憲横暴は当たり前として、世相は暗く陰惨なものであった。たとえば吉田英雄『日嫁哀話』や細井和喜蔵『女工哀話』を開くだけでも、人夫とか職工とかは治安の対象とされ、蔑視され抑圧されて惨めに消えてゆく。
その一方に、日本の軍隊などは残酷物語に閉ざされていた。そんな暗い時代に、ましてや、主権のない朝鮮人には二重の抑圧が加えられていた。
そして日本の敗戦後、はじめて「民主化」が訪れて“基本的人権”なる言葉も、日本語に登場する。しかし、その民主化も、中途半端で挫折したことは周知のこと。そこで、あわよくば旧態への夢を描く人々もあり、別の形で、さまざまな事件が露出されている。
別言すると、日本の民主化を測る目印は、日本にいる朝鮮人への態度でわかる、といわれる。すなわち、日本政府の在日朝鮮人への態度が、日本の民主化の尺度になる。したがって、在日朝鮮人への「差別と偏見」問題も、結局、日本国民の全体課題につながる。
私は、この時点で、かつて(一九二〇年六月)、かの柳宗悦が『改造』誌に載せた「朝鮮の友に贈る書」の一文を想起する。
『柳宗悦<やなぎむねよし>』 (Wikiより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%AE%97%E6%82%A6
「様々な酷い事が貴方がたの間に行われたのを耳にする時、私の心は痛んでくる・・・・・・若し<もし>日本が不正であるならば、いつか日本の間から貴方がたの味方として起つ者が出るにちがいない。・・・・・・少なくとも未来の日本は人道の擁護者でありたいと希っている。貴方がたはかかる声を信じては被下らぬだろうか」
「私の正しい観察によれば、個人として朝鮮の人々に憎しみの心を持つ人は殆どいないのである。・・・・・・若し<もし>日本が暴力を傲る事があるなら、いちはやく日本の中から貴方がたへの味方が現れるであろう。・・・・・・それは朝鮮の不名誉であるよりも、日本にとっての恥辱である。・・・・・・私は私の日本がかかる恥辱をも省みないとは思わない。否、私は未来の日本を信じている。・・・・・・精神に動く若い人々は日本を真理に迄高めねばならぬ任務を感じている。或<あるい>政治の方針が人間の道に背くとしたら、かかる政治は永続しないであろう・・・・・・。その宿命として内部から瓦解されるにちがいない。・・・・・・ここに不正な力に虐げられる国があるなら、必ずや人間の正義は起って、その虐げられる国の味方となるであろう。人間の誠心にはかかる勇気が断じて消えない事を私は信じている」(柳宗悦著 『朝鮮とその芸術』三四ページ以下。傍点は筆者<引用ではアンダーライン>)。
この稿は英訳抜粋で海外に登校され、また異例にも朝鮮訳が『東亜日報』に連載された。
そして柳宗悦の予見どおりに、日本法曹界からは「自由法曹団」が現われた。とくに布施辰治のような弁護士が出現したのだ。
日本法曹界が国際社会に誇りとすべき「自由法曹団」は、一九二一年に設立されている。その生みの親の一人である布施辰治は、創団以前から、無権利状態の在日朝鮮人の人権のために尽くした弁護士であった。彼こそ山崎今朝弥、上村進らと共に、今日の自由法曹団の伝統をつくった先達といわれる。
朝鮮人が「自由法曹団」を語るとき「布施辰治」をまず挙げるのが適当であろう。彼の名こそ、朝鮮人の忘れることのできない恩人である。もし私に尊敬すべき日本人を挙げろといわれるならば躊躇なく、河上肇と布施辰治を挙げるであろう。
※<>は筆者註
『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 109~111頁より
・『未来の日本を信じる』 時代超え突き刺さることば
‐明治時代の朝鮮観その5(社会主義者・人道主義者の朝鮮観③)‐
柳宗悦の言葉は、かの布施辰治の「登場」を予告する文章として、きたる正義のたたかいが起こる「必然性」を叙述している。まことに、本質をとらえたもので、あれから100年近くが経過し、殺伐とした現代日本においても、数々の「虐げられる人々」が多くいる中、かの山本太郎代表が『れいわ新選組』を立ち上げ、この国に生きる者たちの「光」となる事実をみて、私自身は深い想起の渦に引き込まれる。
今、この瞬間を生きる者として、過去の歴史を見つめなおし、先々に活かせる認識を追い求め、これからも記事を書き続けていこうと思います。
<参考資料>
・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社
<ツイッター>
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