前回の記事

 

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その13(日本の労働問題「先人たち」の努力)‐

 

 

関係記事

 

‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その1(政府を決して信用してはならない)‐

 

‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その2(デマ拡散と大衆の「民度」)‐

 

‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その3(目玉や鼻をえぐり、腸や胎児を引きずり出す)‐

 

‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その4(「天皇制」サイコパス国家への批判)‐

 

‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その5(なぜ政府は『虐殺』を画策したのか)‐

 

‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その6(体制維持の「生命の道具化」と「隠蔽工作」)‐

 

‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その7(極度の「情報統制下」にあった朝鮮半島)‐

 

‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 最終回(なおざりにされる『教訓』と『生きづらさ』)‐

 

 

・在日朝鮮人を取り巻く ひどすぎる「労働環境」

 

 

『高野山ダム』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%87%8E%E5%B1%B1%E3%83%80%E3%83%A0

 

そのころ、朝鮮人労働者への虐待の一例は、片山潜も「日本における朝鮮人労働者」と題して、「一九二二年の夏、新潟県における水力発電所の工事場の建築請負人が、二、三人の朝鮮人土工を残忍なやり方で虐待して殺し、それを川になげこんだ。この事件によって朝鮮人労働者を残酷に搾取していることが、日本中に強烈に印象づけられた・・・・・・」と書き、

 

‐東アジアの今とこれから その13(『恥ずべき歴史』の認識すること)‐

 

また朴慶植によれば、一九二五年七月二日の各新聞の見出しに、“監獄部屋を脱出して警視庁へ二〇名の命乞い、樺太の鉄道工事で虐待され一〇名は生死不明、東京へ辿り帰った朝鮮人の訴え”の記事があった(「朝鮮人強制連行の記録」より引用)。

 

こんな悲惨な状況を、布施辰治は傍観していられなかったのであろう。

 

法廷弁論に東奔西走する彼が「在日朝鮮人労働産業犠牲者救援会」まで結成したことは、まさしく法律家にして社会運動家であった。弱者の人権擁護に徹した布施辰治の使命感は、次の句で十分に知れるであろう。

 

「弁護士の職務と使命は弱きを助けて強きを挫く義人の業<わざ>だ」「正しくして弱きもののために、余は強からしめよ」「虐げられている人と一緒に、虐げる者を敵として闘う」「虐げられているその人じしんに自分がなる」━この崇高な理念に基づいて、彼は在日朝鮮人のためにも尽くしてくれたのである。

 

この「布施辰治」を、どうして忘れ得ようか。

 

※<>は筆者註

 

『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 131~132頁より

 

 

・世の中の「底辺」に渦巻く狂気

 

 

大日本帝国時代における労働問題は、今よりはるかに「劣悪な状況」にあったと推測できるし、行政上は「日本人」である朝鮮人も、政治的側面から見れば「準国民扱い」であり、あまつさえ侮蔑の対象として、常に「危険分子」とレッテル貼りされた複雑な歴史がある。

 

現代の日本でも、私たちが知らない『アンダーグラウンド』(こういう言い方は好きませんが)において、きっと同様の事例は腐るほどあるだろう。

 

外国人技能実習生の待遇問題しかり、とりわけ『入管問題』では「行政による非人道的扱い」が常態化している。

 

かの『れいわ新選組』代表の、山本太郎氏はこう述べる。

 

入管問題はここ数年、取り上げさせてもらっていますが、結局、議員って、票になるかカネにならなきゃ動かないことが多いんです。

 

でもそもそも票にもカネにならないところを、まず助ける政治。その人たちが切り捨てられないということは、この国に暮らす人は、全員が切り捨てられないことになる。

 

そう考え動く議員がいてもいいだろうということです。入管のことをやりだしたのは、被収容者から手紙をもらったことがきっかけです。私のところに、牛久<茨城・東日本入国管理センター>からも大阪(大阪出入国在留管理局)からも長崎(大村入国管理センター)からも頻繁に助けを求める手紙が送られてきます。ほんとにたどたどしい文字の人から、ものすごく文章のうまい人、もう「これ書いたの日本人、違うの?」というような人まで。

 

それは何かというと、日本で生まれ育ち、小さい頃から日本で学校教育を受けていたけれど、親の入管法違反の理由に、いきなり入管に入れられた人ですよ。

 

被収容者や仮放免(一時的に収容を停止し、身柄の拘束を解くこと)された人(外国人)とかに、「入管を批判すんなら、サッサと日本から出ていけよ」みたいなことを言う人もいますが、でも難民として逃れざるを得なかった状況や、迫害の犠牲者として日本に逃れてきても入管で人間扱いされていないような実情があるわけです。

 

一度、入管施設で南米出身の20代前半という人に会いにいったんですけど、しゃべりは完全日本人ですよ。頭の回転も速いし、こんなところに閉じ込めずに、仕事に就けたら、会社にも社会にもプラスなのにもったいないと思ったんです。

 

日本を愛している外国の方を何年にもわたって施設収容して、まったく先が見えないという虐待を何年も続けることに、さらに怒りが湧きました。役者時代に映画『夜を賭けて』(2002年公開)の中でやらせてもらった役で、入管に入れられて、ひどい暴力に遭うシーンがあるんですけど、当時は実情も知らないまま演じていました。

 

逆に言えば、政治家になってからいろんなことを知って、ああそういうことやったんか、というふうに思うところです。今再びあの役を演じたら、途中で入管の実態について詳しく説明したくなると思いますね。説明セリフだけで15分は必要だな(笑)。

 

※<>は筆者註

 

『#あなたを幸せにしたいんだ 山本太郎とれいわ新選組』 

著山本太郎 集英社 45~46頁より

 

 

『山本太郎の入管問題の取り組み(2019.12.18)』

 

monbran

 

https://www.youtube.com/watch?v=DBl8Xo7nUyc

 

れいわ支持者で、やたらと「国民の権利」を連呼している人たちがいるが、その人たちは『自分たちの範囲』でしか物事を捉えられていないと思うのです。

 

山本太郎代表は、実際的な経験(フィールドワーク)も含めて、それよりも「はるかに広い視野」をお持ちで、理論的な経済知識も含め、これを裏打ちとして各種政策の打ち出しを行っている。

 

もちろん、私自身も「圧倒的に経験が足りていない」人間のひとりとして、自分のキャパシティを越えた物事にはコミットできませんが、少なくとも、『当事者の方々』と関わってこられた山本氏のお話を聞いて、「国民」という分断ラインを引かず、この社会すべてに参画されていらっしゃる方々に対して、日々の生活の中で降りかかる『不条理』については、断固反対し、「誰も切り捨てられない社会」、ひいては『この国で生きる人々』すべての「生存保障」に繋がる政治だとか、日本が歩んだ不幸な歴史と合わせて、本当にいろんなことを考えさせられるキッカケになりました。

 

 

<参考資料>

 

・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社

 

・『#あなたを幸せにしたいんだ 山本太郎とれいわ新選組』 著山本太郎 集英社

 

・Youtube動画 『山本太郎の入管問題の取り組み(2019.12.18)』

 

https://www.youtube.com/watch?v=DBl8Xo7nUyc

 

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

https://twitter.com/XMfD0NhYN3uf6As

 

 

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