前回の記事
‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その2(柳宗悦の「予言」が適中す)‐
関係記事
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その1(政府を決して信用してはならない)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その2(デマ拡散と大衆の「民度」)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その3(目玉や鼻をえぐり、腸や胎児を引きずり出す)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その4(「天皇制」サイコパス国家への批判)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その5(なぜ政府は『虐殺』を画策したのか)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その6(体制維持の「生命の道具化」と「隠蔽工作」)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その7(極度の「情報統制下」にあった朝鮮半島)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 最終回(なおざりにされる『教訓』と『生きづらさ』)‐
・『無知でわがままな王様たち』が君臨する この監獄列島
布施辰治と朝鮮人の関係
布施辰治は“義人弁護士”として明治・大正・昭和の三代にかけて貧者と弱者の味方となり、その人権のために全力を尽くしたことは周知のことである。
その彼を評していわく「社会悪に対しては法廷闘争の鬼と化し・・・・・・ケイレンの手は、悩める人には優しく慰めの奏者となり<中略>情緒なく権勢に我を張る俗物には烈<はげ>しく揮<ふる>う達人となった」(小生・本多共著『涙を憤りと共に━布施辰治の生涯』序文)。
━虐げられた者のために法廷でたたかうことを使命とした布施の法律事務所に、いじめぬかれた弱者が、どれほど門を叩いたことか。それは「毎日数十人、ないし時としては数百人の人々に依って訪問され・・・・・・所轄交番の警官は訪問者の道案内の煩に堪えぬ<はんにたえぬ-わずらわしい>と云うていた位である」(前掲書一八ページ)。
在日四〇年の某氏は「かつて在日朝鮮人にしてなんらかの形で布施辰治の世話にならなかった者はほとんどいないといっても過言でない」と述懐する。
それほど在日朝鮮人とは縁が深い。かつて、軍国主義の風潮に乗って他民族を蔑視し、横柄を権利のように振舞った時代に、日本人弁護士布施辰治は、搾取と虐待に苦しむ朝鮮人をかばい、国家権力に立ちはだかり、目を光らせて擁護したのである。
当時の「在日朝鮮人」の苦境がいかに酷いものであったか。
在日四十余年の韓晛相氏は、こう述べている。
「日本警察内鮮課の監視下で、生きることは生やさしいことではなかった。(中略)人間として生きんがために、文化を論じたり、人権擁護を叫んだり、民族独立の如き根本問題に、一寸でも触れることは、すぐ残酷な報復の仕打と、暗い陰影が執拗に附<つき>まとった・・・・・・、今日のように安易な気持ちで大手をふって宣伝活動が出来るのとは事情が違っていた。大衆動員は勿論のこと、ビラ一枚、ポスター一枚を貼るだけでも、全神経を動かさなければならなかった程、<身の>危険が伴うのであった。祖国を亡くし、天涯孤児同様に流民の身上となった在日同胞に、何んの人権保障があったろうか。無双の悪法“治安維持法”その他の取締法は、全く恐るべき掟であった。一度、不幸にしてその綱に引っかかったら最後であった。内鮮係の監視を背中に感じて、四六時中生活はスパイされ、社会活動は制扼(せいやく-制約)と防害される。厄病神に取り憑かれたものと同様で、何時どんな痛い目に会わないとも限らなかった」(韓晛相「在日韓民族運動史」『民主新聞』一九六〇年十月十九日号)。
※<>は筆者註
『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社
・外国人は「害国人」 日本人に肚に潜む 『千円札の顔』とは
『田中宏・一橋大学名誉教授「日本には敗戦後に復興してきた顔と千円札の顔がある」 〜wam 第16回特別展 朝鮮人「慰安婦」の声をきく 日本の植民地支配責任を果たすために 連続セミナー(第7回)』
https://www.youtube.com/watch?v=kGkZcuFM5Yo
この中(動画2分50秒以後)で、1963年の11月1日から「聖徳太子の千円札」→「伊藤博文の千円札」に変わったのをキッカケに、当時の留学生(台湾・香港・東南アジアの華僑・華人)の方々から、いろいろな声が上がったそうだ。
「田中さん(一橋大名誉教授)、日本人はどのような歴史を勉強しているのか」
「今度の千円札が伊藤博文となるが、朝鮮民族の恨みを買って、ハルピンで殺されたが、なぜそのような人物を千円札に持ち出すのか。しかも毎日の生活のなかで、在日朝鮮人(韓国人)は、これで買い物をするのでしょう。ずいぶん残酷なことを日本人はする・・・」
‐朝鮮最後の『クラウンプリンス』李垠<イウン> その1(高宗皇帝7人目の息子)‐
周知のとおり、伊藤博文は時の朝鮮王室・大韓帝国皇室との絡みにおいて、唯一の幼き皇太子・李垠を連れ去り、その人生をめちゃくちゃに狂わせた張本人で、朝鮮亡国の舵を切った『明治の元勲』のひとりである。
今の日本人の「歴史観」なんというものはスッカラカンだ。
せいぜいマスメディアに植え付けられた「文脈」の延長線上で、アジアなるものを捉え、極めて自己中心的な論理に固執して、本当の意味で「他者の言葉」を聞く気持ちなんてものは皆無である。
要は何もないし、己の認識や行動が、現在やこの先において「何をもたらすのか」という想像力も知力もない。
『山本太郎(れいわ新選組代表) おしゃべり会 島根県松江市 2020年1月23日』
https://www.youtube.com/watch?v=etN3vaccQ6w
以前にも、似たような事例があった。
一件「経済的排外主義」と見えるようだが、過去の日本の歴史を照らし合わせれば、それが容易に『エスノセントリズム』に結びつき、先の関東大震災における、おぞましい『朝鮮人大虐殺』も、こうした恐怖と蔑視に基づいた「妄想」であることは言わずもがなである。
戦争を「国家経営の生業」とし、原爆投下や特権付き在日米軍を据える「一部の口実」として、先の大戦における『戦争犯罪』を肯定し続けるアメリカ人に言われる筋合いはないが、ある意味においては「真実」であり「正論」ともなり得る。
日本人が、周辺諸国や外国にルーツを持つ人々を「裏切り続けるほど」、惨めな被害者意識で自分たちを「悲劇のヒーロー気取り」すればするほど、主に自分たちの首を絞め、それとは関係のない善良な方々までの評価を「地のぶち落とす」ことに気づけないのは、彼らの経験上においても、はたまた脳内構造においても、哀れで残念極まりないのが事実だ。
言語文化上、極めて「経験未熟な」私たちは、英語・現地語で、さまざまなコミュニケーションができないために、外国人「ひとりひとりの顔」を想像することも放棄し、何か灰色がかったグレーな存在として、見下し、嫌悪し、恐れ遠ざけようと感じる。
殊に、顔や所属の明かされない「インターネット上」においては、それが露骨となってくる。
例えば2018年でいえば、入管法(改正出入国管理法)。安い労働力を外国から大量に入れるための法律ですけど、将来的にはもともと日本国内で働いている人々の賃金の低下や、労働環境のさらなる破壊にもつながるばかりか、さきざき外国人労働者との間で衝突や分断も起こり得るもので、働く人々にとってはまったく得のない、絶対にやってはいけないものです。
(インタビュー1山本太郎)
『#(ハッシュタグ)あなたを幸せにしたいんだ 山本太郎とれいわ新選組』 著山本太郎・木村元彦・雨宮処凛 集英社 42頁より
‐歴史的知識の欠落したひとりの若者(生保コリアン除外や朝鮮学校無償化反対など)‐
‐れいわ山本代表・在日コリアンの「地方参政権容認」/やすとみ歩先生の『惻隠の情』など‐
前述の画像よろしく(島根県松江市おしゃべり会のコメント)、彼らは山本代表を「支持する」と言っておきながら、氏が語る『物事の本質』から逃げ続け、社会的分断を助長する目的で、「日本民族」の対立軸にある「外国資本」を持ち出し、憎悪を剥き出し、ふわっとした『敵』を作り出すことによって、具体的な企業名や構造的本質も語らず、見境もなく攻撃の刃をあちこちに突き刺して、やれ「ガイジンガー!」など連呼する始末である。
こういう薄っぺらい論議が横行するにおいて、『日本が持つ課題』の「膨大さ」を痛感するばかりだ。
<参考資料>
・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社
・Youtube 『田中宏・一橋大学名誉教授「日本には敗戦後に復興してきた顔と千円札の顔がある」 〜wam 第16回特別展 朝鮮人「慰安婦」の声をきく 日本の植民地支配責任を果たすために 連続セミナー(第7回)』
https://www.youtube.com/watch?v=kGkZcuFM5Yo
・同 『山本太郎(れいわ新選組代表) おしゃべり会 島根県松江市 2020年1月23日』
https://www.youtube.com/watch?v=etN3vaccQ6w
・Cluttered talk blab blab blab 『Let's talk about a war crime②』記事
https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12330003251.html
・『#(ハッシュタグ)あなたを幸せにしたいんだ 山本太郎とれいわ新選組』 著山本太郎・木村元彦・雨宮処凛 集英社
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