前回の記事
‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その9(朴烈事件以後の『義烈団』金祉変の弁護について)‐
関係記事
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その1(政府を決して信用してはならない)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その2(デマ拡散と大衆の「民度」)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その3(目玉や鼻をえぐり、腸や胎児を引きずり出す)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その4(「天皇制」サイコパス国家への批判)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その5(なぜ政府は『虐殺』を画策したのか)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その6(体制維持の「生命の道具化」と「隠蔽工作」)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その7(極度の「情報統制下」にあった朝鮮半島)‐
‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 最終回(なおざりにされる『教訓』と『生きづらさ』)‐
・「当時の訴訟」からみる 朝鮮の植民地問題
『東洋拓殖株式會社』 (Wikiより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E6%8B%93%E6%AE%96
一九二六年三月、布施辰治<日本人弁護士>は、朝鮮の地方農民の長年苦痛の種であった土地問題を解決するために、またも玄海灘を渡った。この問題は、例の“韓日合併”の際、亡国の朝鮮貴族が、広大な土地を詐称して日本側に売り渡した事件である。
布施辰治の年譜と、その経歴には、必ず引き出される項目である。
それほどに重大で深刻な、朝鮮中を震撼させた事件である。その一文を引用すると、布施は「全羅南道宮三面の耕地約一七〇〇町歩<約1686ヘクタール>の所有権確認訴訟を起す準備のため渡朝した。官三面の村民は明治四十三年<1910年>に朝鮮王族の慶善宮<キョンソングㇺ>が自分の所有地と称して東洋拓殖会社に売ってしまった耕地を取り返すためにねばり強い斗争<闘争>をしていた」(布施柑治『ある弁護士の生涯━布施辰治』五九ページ)
※『東洋拓殖会社』について
‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その19(続・過酷な植民地経営 強行された土地調査令)‐
ここにいう慶善宮とは「李太王<高宗皇帝>ノ後宮ニシテ李王世子<李垠>ノ私親」という「淳嬪厳」である。また宮三面とは、上記の宮家の差配とする(?)三ヵ面━羅州郡栄山面・細枝面・旺谷面を指し、その他五ヵ面の各一部にわたる広大な土地を含む。
また土地面積にしても「約一七〇〇町歩<約1686ヘクタール>」とあるが、権寧旭によると実測面積は二五〇〇町歩<約2480ヘクタール>といわれる。
その東洋拓殖とは、周知のように<朝鮮>総督府設置と同時に設けられた、土地収奪を目的とする総督府外郭会社である(宮三面と東拓の関係は『朝鮮研究』一九六八年十月号の権寧旭の論文に詳しい)
※<>は筆者註
『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 125~126頁より
・「絶大な権力」を誇った 朝鮮総督府
『明治大学教授・山田朗氏「歴史認識問題と徴用工問題を中心とした植民地支配の問題これは私達が正面から向き合わなければ これからの歴史が作っていけない」!! ~2.8「徴用工」問題から考える日韓関係学習会』
https://www.youtube.com/watch?v=2krSCofNiIQ
東洋拓殖会社の関連で、ここで『朝鮮総督』についてのおさらいです。
日本の朝鮮統治は徹底した「武断政策」にはじまった。朝鮮総督には陸海軍の現役の大将が任命されて朝鮮における行政、立法、司法、軍事を統括した。警務総長には朝鮮駐屯軍憲兵司令官が兼任し、各道警察部長はその道の憲兵隊長が兼任した。いっさいの政治結社、大衆団体の結成が禁止され、日本に反抗する朝鮮人は片っぱしから逮捕投獄された。朝鮮人に対する刑罰は中世的な笞刑<ちけい=むち打ち>を併用し、判任官以上の官吏ばかりか小学校の日本人教員まで帯剣した。
その一方で、日本は朝鮮全域にわたって「土地調査事業」を実施した。近代的な土地所有制度の確立という理由で「併合」直前の一九一〇年三月からはじまった「調査事業」は一九一八年一〇月までつづいたが、この間、耕作者はいても公有地のほか所有権者のはっきりしない土地や、期限までに申告をしなかった農民の土地は没収され、日本人や日本の国策会社東洋拓殖の所有に移された。
※<>は筆者註
時事通信社 『朝鮮要覧1973』現代朝鮮研究会 49~50頁より
詳しく見ていきますと、日韓併合後、朝鮮総督府がおかれ、初代総督には「併合」条約の調印を指揮した陸軍大将寺内正毅(1852~1919)が就任した。
総督は、陸海軍大将の中から選ばれ、天皇に直属し、朝鮮に駐留する日本軍(朝鮮軍)を指揮し、朝鮮の内政全般にわたって絶大な権限を持っていました。
『初代朝鮮総督 寺内正毅』 (Wikiより)
https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12463715321.html
‐朝鮮最後の『クラウンプリンス』李垠<イウン> その3(日韓併合・悲劇の狭間で)‐
この中でも、初代総督の寺内正毅は、まさしく「虎の形相」と恐れられ、大韓帝国の皇后厳妃が息子の李垠を巡って、伊藤博文との「約束」を守らない寺内に異議申し立てを行ったところ、たちどころにものすごい剣幕で脅し、のちに厳妃は、腹痛と高熱に悶え、幼き皇子との再会を叶えられず、悲しさと苦しみの中で息を引き取った逸話があります。
この軍人総督のもとで、憲兵と警察を一体化した治安機構である憲兵警察制度が完成され、それは朝鮮に駐留する日本軍憲兵隊の司令官が警察総長を兼ね、各道に配置された憲兵隊の隊長が警察部長、将校が警視、下士官が警部を兼ねるというシステムで、「併合」前から義兵闘争など、朝鮮民衆の抗日運動を抑圧するために、朝鮮駐剳(ちゅうさつ=駐在)憲兵司令官秋石元二郎によってつくられたものでした。
『明石元二郎』 (同)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%85%83%E4%BA%8C%E9%83%8E
1624箇所、1万6300人の憲兵や巡査が朝鮮全土に分散配置され、憲兵は普通警察事務のほかに「諜報ノ蒐集(収集)」「暴徒ノ討伐」から「日本語ノ普及」「殖林農事ノ改良」「副業ノ奨励」「法令ノ普及」「納税義務ノ諭示(ゆし=口頭や文章で示すこと)」など、大衆の生活の隅々にまで、文字通り軍事警察の支配の網の目を張り巡らせた。
この憲兵警察のほかに、一ないし二個師団の日本陸軍が常駐し、海軍二個分遣隊が朝鮮に送り込まれていました。
このような剥き出しの暴力的支配を基礎に、「併合前」からの治安立法に加えて新たに「集会取締令」(1910年8月25日)が出され、朝鮮民衆の言論・出版・集会・結社などの権利は、ことごとく奪われた。大韓協会や西北学会などの民族運動団体は無論のこと、日本が作り利用した御用団体であった一進会までも含め、10余の結社が併合直後ただちに解散させられ、新聞や雑誌は相次いで発禁処分、廃刊を余儀なくされました。
その上で、『京城日報』や『朝鮮公論』などの日本人経営の御用新聞雑誌だけが発行を許可された。
このような日本の支配に、少しでも抵抗しようものなら『朝鮮笞刑令』(1912年3月)をはじめとする野蛮で過酷な処刑が待ち構えていました。
たとえば、日本の強制する「陸地綿(アメリカ系綿の一品種)」栽培に消極的だということのみで、朝鮮の農民は手足を縛られ、笞(むち)で打たれる有様でした。
・『皇国史観(国学)』にもとづく 同化政策
まさに『武断政治』という恐ろしい支配が続く中、いわゆる「朝鮮人の日本人化を強制する」植民地教育が行われました。
日本人学者たちの『日鮮同祖論』『朝鮮社会停滞論』に代表される、朝鮮民族の自立的な発展を否定した『朝鮮文化論』や関係史なるものが流布されていった。
冒頭の過酷な植民地経営で紹介した、『武断統治』や『同化政策』は、日本の朝鮮支配の「基本方針」として、相互に深く結びついて、以後一貫したルールとして維持・強化されていく。
1911年8月23日、朝鮮人に日本語を強制し、天皇制日本の「忠良なる国民」となることを要求した『朝鮮教育令』が出された。
この教育令にもとづいて設立された公立学校は、朝鮮語・漢文の授業時間数は著しく制限され、朝鮮の地理や歴史は教えられず、代わりに日本語と日本の地理や歴史が教えられ、修身が必修とされた上に、日本人の教師が腰にサーベルをつって教壇に立ち、これを教えました。
他方、朝鮮人の自主的な私立学校や書堂は併合前の『私立学校令』や、これをさらに強化した『私立学校規則』(1911年10月)、『書堂規則』(1918年2月)などによって抑圧された。
このようなバックボーンの中で、布施辰治とその仲間たちの奮闘は続いていきます。
<参考資料>
・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社
・Yuotube動画 『明治大学教授・山田朗氏「歴史認識問題と徴用工問題を中心とした植民地支配の問題これは私達が正面から向き合わなければ これからの歴史が作っていけない」!! ~2.8「徴用工」問題から考える日韓関係学習会』
https://www.youtube.com/watch?v=2krSCofNiIQ
・時事通信社 『朝鮮要覧1973』現代朝鮮研究会
・『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂
<ツイッター>
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https://twitter.com/XMfD0NhYN3uf6As
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