監督:スティーヴン・オカザキ、出演:香川京子、加藤武、司葉子、八千草薫、宇仁貫三、中島春雄、佐藤忠男、明石渉、黒澤久雄、野上照代、中島貞夫、マーティン・スコセッシ、スティーヴン・スピルバーグ、夏木陽介、二木てるみ、土屋嘉男、三船史郎、役所広司のドキュメンタリー映画『MIFUNE: THE LAST SAMURAI』。2016年作品。
日本公開版ナレーションはEXILEのAKIRA。
俳優・三船敏郎についてのドキュメンタリー映画。
中国の青島(チンタオ)の租借地で写真屋の長男として生まれ、やがて戦争、東宝第1期ニューフェイス、黒澤明との出会い、日本映画復興のために自分の会社を立ち上げたこと。そして晩年。
ちょっと前にBS朝日で「勝新太郎&三船敏郎 昭和偉人伝」というドキュメント番組をやっていました。
三船さんの生い立ちや俳優人生、プロダクション設立と経営の苦労、黒澤明監督との関係など、このドキュメンタリー映画『MIFUNE』といろいろカブるところもあって、映画では触れられていなかったことも詳しく述べられたりしていて、ほぼ同時期に観られたことは(おそらく映画の公開に合わせたところもあったんでしょうが)ラッキーでした。とても興味深かったのでぜひ再放送してほしいなぁ。
6月から「午前十時の映画祭」で黒澤明監督の『七人の侍』『用心棒』『椿三十郎』の4Kデジタル・リマスター版が上映されていて、三船敏郎が黒澤明と組んで一番脂が乗り切っていた時期の映画を堪能。このドキュメンタリーと併せると、もうこの何週間かは“三船祭り”でしたね。
ナレーションはオリジナル版ではキアヌ・リーヴスが担当していて彼の声で聴きたかった気もするけど、吹き替えの方が内容の取りこぼしが少ないし、AKIRAさんのナレーションは自然で違和感はありませんでした。
でもなぜEXILE?もしかして黒澤明の“アキラ”とかけてるのか?^_^;
さて、僕は三船敏郎さんが70年代に出演した「男は黙ってサッポロビール」のCMのキャッチフレーズは知っているけど当時はまだ生まれてなかったし、「8時だョ!全員集合」の早口言葉についてはリアルタイムで観たのかどうかも記憶がさだかではない。番組が終了する時にプレイバックされた過去のVTRで観たのかもしれない。いずれにしても当時はまだ「世界のミフネ」三船敏郎のことを知らなかった。
僕が三船敏郎という俳優を初めて知ったのがいつ頃なのかはもはや覚えていませんが、リアルタイムで映画館で彼の出演作を観たのはただ1本きり、市川崑監督、沢口靖子主演の『竹取物語』で、三船さんは竹取の翁を演じていた。昔話のおじいさんのイメージとは程遠い、めっちゃパワフルな翁でしたがw
その後、90年代初め頃にリヴァイヴァル上映された『七人の侍』で若かりし日の三船さんを見て、なんかもう圧倒されたんですよね。カッコイイ!と。それから黒澤明監督の諸作品に触れました(NHK教育で放送されていた『羅生門』が三船さんを観た最初だったかもしれない)。
僕は三船敏郎の出演映画をこれまでそんなにたくさん観ているわけではないし(黒澤作品以外では、先ほどの『竹取物語』と溝口健二監督の『西鶴一代女』や稲垣浩監督の「宮本武蔵」三部作、岡本喜八監督の何本かの作品ぐらい)、とてもファンなどとはいえないのだけれど、その丹精な顔立ちと腹から響くような低い声、力強さとユーモアなど、それまで日本の俳優で感じたことのない野性味溢れる魅力が詰まった人だな、と思いました。
だから生涯に150本以上の映画に出演したこの大スターのことを知ったように語れはしないんですが、自分がこれまでに観たわずかな本数の氏の出演作品とこのドキュメンタリー映画で感じたことを綴ります。
唐突ですが、僕の母方の祖父は三船さんと同じ年(1920年)の生まれで、きっと「嘘つけ!」と言われるだろうけど、若い頃にはまわりから「三船敏郎に似ている」とよく言われていた(母・談)そうです。
僕は幼い頃は三船さんを知らなかったからわかんなかったし、おじいちゃんは特撮ヒーロー番組「バトルフィーバーJ」の悪役ヘッダー指揮官(石橋雅史)に似てるなぁ、と思っていました。※追記:石橋雅史さんのご冥福をお祈りいたします。18.12.19
※三船さんではありません
祖父の死後に若い頃の写真を見せてもらったら、松平健ソックリだった。…なんか三船敏郎とどんどん関係なくなってますが^_^;
くっきりとした目鼻立ちで髭が濃く、上唇が薄めで引き締まった男臭い口許は確かに三船さんに似ていたかもしれない。僕は祖父のそういう精悍な顔立ちをまったく受け継がなかったので実に残念ですが。
何が言いたいのかというと、つまり「三船敏郎」という大スターは僕の祖父が若い頃にはその辺の誰にでも通じる存在だったんですね。もちろん、その名は現在も多くの人々によって記憶されていて作品とともに映画史に残っているわけですが。
「世界のクロサワ」のように三船敏郎も「世界のミフネ」といわれたけれど、「世界の○○」というのは、世界に誇る、とか、ましてや「日本スゴい、日本エラい」などということではなくて、もはや日本にとどまらずその存在が世界中の人々にとって大切な宝物であることを意味するんだと思う。
「世界のミフネ」は日本人が気持ちよくなるための称号ではない。
アクションスターで武術家のブルース・リーが自分が中国人であることを強く意識して誇りを持ち続けながら今では世界中の人々にとってのヒーローであるように、リーよりも先に世界にその名が知られた三船(リー本人もその存在を意識していたと言われる)も、やはりそのスケールは世界規模だ。
「世界のミフネ」はすでに日本人のためだけの存在じゃない。「クロサワ」がそうであるように。
海外の多くの人々の「サムライ」のイメージは、三船敏郎が映画の中で演じた姿を基にしている。
「誇りを持つ」というのは、自画自賛することではない。
三船さんは、あるべき「誇り高き者」の姿を僕たちに身をもって示してくれた。
スピルバーグがインタヴューで語っているように、誰も三船敏郎にはなれない。
映画監督の中島貞夫さんがインタヴューで仰っているように、「あんな俳優は今までいなかったし、これからもいない」。
世界の「最後のサムライ」。
でも、彼の残した作品とその生き様から学ぶことはできる。
この映画には出ていないけれど娘の美佳さんが語っていた、『レッド・サン』で共演したフランス映画界の大スター、アラン・ドロンが「“お座敷遊び”というのをしてみたい」というので三船敏郎が自分の家に大金をかけて本格的なお座敷を作り芸者さんも呼んでドロンを迎えて踊りを見せたところ、「こういうことじゃない」と言われたエピソードには笑ったし、酒に酔うと家の中で日本刀振り回したり散弾銃持って監督の家に車で乗りつけたりしたというような、TVのヴァラエティ番組で面白おかしく語られる「ミフネ豪快伝説」だけではない、豪放磊落(らいらく)に見えて実は非常に細やかな気配りをする人で、ノートや台本にもびっしりと演技プランが書き込まれていたり(しかもかなり達筆)、努力家だった彼の人柄について映画では語られている。
僕が心打たれるのは、息子の史郎さんがインタヴューで語られていたように戦争時代に特攻隊で明日死んでいく若者たちにスキヤキを食わせて送り出したことを涙ながらに話していた、というエピソード。
三船さんは軍隊でも上官に反抗的で苛められ続け、戦後もずっと戦争を「間違いだった」と反省していたということで、その考えを終生変えなかったことを僕は尊敬する。そういう人がどんどん少なくなっている。
驕り高ぶらず都合よく強い者になびいたりせずに、常に弱い立場の者の味方をする。
生き方そのものがヒーロー。
もっとも人間・三船敏郎はけっして完全無欠の人ではなくて、酒乱が原因で夫婦の関係がこじれたことはやはり問題だし、「英雄、色を好む」などと問題行動の数々が「大スター」だから許された時代(それでも既婚者でありながら妻とは別の女性と内縁関係だったことはスキャンダルになった)と違って今ならぶっ叩かれて芸能界から干されてもおかしくないぐらいのことをしてる人だから、97年に77歳で亡くなられてもうちょっと長生きしてほしかったとは感じつつも、20世紀の終わり頃に黒澤明と時を同じくしてこの世を去った(黒澤監督は翌98年に逝去している)のは何かの運命だろうし、やはり昭和の人、20世紀の人だったのだな、と思う。
たとえ長生きできても、今の時代には合わない人だったのかもしれない。
そういう意味でも、もうこういう人は現われないでしょう。
晩節を汚すような言動を延々しながらいまだに生き続けている老人たちを大勢見ていると、三船敏郎も黒澤明もその人生の駆け抜け方は本当に見事だったな、と。
晩年はお二方とも体調を崩して、ご家族のかたたちも介護が大変だったようですが。
でも最後まで愛され続けた人だよなぁ。
このドキュメンタリー映画には「三船愛」が溢れてて誰もが彼を褒め称えるので観ていてちょっとこそばゆいものがあるんですが、みんながこの稀代のスター俳優のことが大好きだったことはよくわかる。
生まれたと思ったらあっという間に軍隊に召集されて、やがて映画界入りとなるので、先に観たドキュメント番組以上の知らない情報はあまりなかったですが、インタヴューされている人々がそれぞれ自分の立場から自分の言葉で三船敏郎という人を語っているのが聴けたのはよかった。
殺陣師が語る三船敏郎というのもなかなか珍しい気がするし。
正直なところ、三船さんと共演したこともなく、黒澤監督の作品に出演経験もない役所広司さん(三船さんにはじかに会われたことはあるそうですが。あと2014年に「第1回京都国際映画祭」で“三船敏郎賞”を受賞している)がこの場に相応しかったのかどうか疑問ではありますが。
役所さんは『日本のいちばん長い日』の再映画化作品で岡本喜八監督のオリジナル版で三船さんが演じた役をやってるし、アニメーション映画『バケモノの子』では『七人の侍』の菊千代をはじめかつて三船敏郎が演じた役柄からインスピレーションを得たキャラクターの声をアテていたのでその縁なんでしょうが、彼がインタヴューの中で語っていた「侍」や「三船敏郎」についての言葉は僕にはなんだかずいぶんと観念的で上っ面だけなものに感じられた。
別に僕は役所広司さんのことをディスる気などないですが、インタヴューの彼の言葉の中に三船敏郎への愛とか関心をあまり感じなかったんですよね。
たとえばスピルバーグのインタヴューでは彼がいかにミフネのことが大好きか(字幕越しですが)、その熱っぽくて具体的な語り口からよくわかる。スピルバーグは『1941』で三船敏郎をキャスティングしているし、『レディ・プレイヤー1』では三船さんそっくりのアヴァターを、そのものずばり「トシロー」という名のプレイヤーに操らせていた。また、マーティン・スコセッシも黒澤作品に詳しく、黒澤監督の『夢』にゴッホ役で出演もしている。みんな当事者なんだよね。
『1941』の撮影の合間にジョン・ベルーシと。劇中で二人の共演シーンはない
とにかく、共演者の皆さん、三船さんのことが好きで堪らないのが伝わってきて。
だから、むしろ三船さんとの共演作が何本もある仲代達矢さんにインタヴューしてほしかった(役所さんは仲代さんが主宰する「無名塾」出身という繋がりはあるが)。貴重な記録にもなっただろうから。
2年前に作られたこの映画に出演されている加藤武さんも土屋嘉男さんも夏木陽介さんも、そして初代ゴジラのスーツアクターの中島春雄さんもその後亡くなられている。
加藤さんが語られていた戦時中の日本の酷い状態についても、いたずらに過去を美化せずにああやって自ら体験してきたことを語れる人が一人、また一人といなくなってきている。
だからこそ、戦争が終わり言いたいことを言う「自由」を謳歌できることが、「平和」が、どれほどありがたいことか、あの時代を生き抜いた人々は骨身に沁みてわかっていたんだろう。
それはその後の人生観に影響しているのだろうと思う。
僕は、苦しい時代を経験したけれど、けっしてしみったれていない三船さんの「品性」に惹かれるんですよね。
彼は大スターとなってからは裕福な生活を送ったが、それでもどこか庶民的な感性を保ち続けて、しかも貧乏臭くはなかった。金持ちでも品性下劣な奴はわんさかいるが、三船さんは違った。
司葉子さんが語るように、撮影で泊まった旅館の食事があまりよくないと材料を買ってきて自分で炒め物をしてみんなに振る舞ったり(軍隊で料理を覚えて得意だったそうな)、チャーシューメンが好きで撮影所でお昼によく食べていたとか、なんかとても親近感が湧くんですよね。
ラーメン大好き三船さん
僕はそういう三船さんの話を聴くたびに、彼と同い年の自分の祖父が生きた時代を感じて、勝手にジ~ンときています。
戦争で生き残り高度成長期を支えた世代である祖父たちと、三船さんの映画界での躍進ぶりはどこかで重なっているように思う。
やがて経済成長の滞りが始まる一足先に、日本映画は次第にかつての勢いを失っていく。
そして60年代半ばに、早くも三船敏郎と黒澤明のタッグは解消される。
香川京子さんは1965年の『赤ひげ』の撮影の時に、これで黒澤監督と三船さんが組む作品は最後になるのかも、と予感したようなことを仰っていたけれど、本当に「やりきった」ということだったんでしょうね。
でも、その後も三船さんは『デルス・ウザーラ』に主演するために他の仕事を一切入れずに待機していたそうだし、黒澤監督に「チョイ役でもいいから出してくださいよ」と言っていたそうだから、ご本人はできれば黒澤映画にまた出たかったんですよね。
三船さんの直訴に対する黒澤監督の「三船ちゃんをチョイ役では出せないよ」という答えには、大スターである三船敏郎への敬意と配慮がうかがえる。
やはり黒澤映画に多く出演した志村喬は晩年までしばしば小さな役でも出演していたことを考えると、黒澤明が三船敏郎をいかに特別な存在として扱っていたのかがわかる。
黒澤監督だってきっと三船さんを再び起用したかったんだろうと思う。でも一国一城の主になった三船さんの都合と黒澤監督の映画作りのタイミングがどうしても合わなかったんでしょう。
1948年の『酔いどれ天使』から17年間に16本、志村喬主演の『生きる』を除くすべての作品に出演した、戦後の日本映画界をともに駆け抜けてきた盟友である三船敏郎を黒澤明が軽く見ていたわけがないんだよね。
だから、黒澤明の映画は三船敏郎を使わなくなってからつまらなくなった、それは愚かな判断だった、という批判は僕には的外れなものに思える。
先ほどのドキュメント番組でも三船プロダクションの経営のために身体が空けられなくなって、準備や撮影に時間のかかる黒澤組への参加は物理的に難しくなっていたことがわかるし、だから当時流れた(今でも噂する人がいる)二人の不仲説はまったくの誤りである。
そのことについて『MIFUNE』の方はあまり突っ込んだ説明がなかったのはちょっと残念でしたが。
97年に三船さんが亡くなった時に黒澤監督が息子で映画プロデューサーの黒澤久雄氏に託した弔辞(黒澤監督もすでに病床にあった)からも、「もう一度一緒に映画を作りたかった」という黒澤監督の中にあった悔いがひしひしと伝わってくる。
お二人が亡くなる30年も前に映画史に残る名コンビが事実上の解散状態となって、その後共同の新作が作られなかったことは確かに惜しいけれど、それでもこれは監督と俳優の本当に美しい関係だと思います。
幸いなことに、僕たちは彼らの遺した作品を今でも観ることができる。「映画」は何十年も前の奇跡が観られる魔法の装置だ。
映画の世界にはかつてこういう凄い人たちがいて、そこに語り継がれる素晴らしき絆の物語があったことを心に刻んでおきたい。
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